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国見町ご集印めぐり 【2018.8.8】 雨 福島BK+のんびり小隊
福島県 国見町
これから、福島BKが主催する「夏の10大イベント」に参加するため、集合場所の福島駅に向かいます。
郡山駅7時35分発のE721系1000番代の近郊形電車に乗車します。(2016年11月〜営業運転開始)
0番代と異なりアクセントカラーが「赤色」から「さくら色」になりました。夏休み期間中なので空いていると思いましたが、、、
ご覧の通り、1番線ホームはお客さまで溢れていました。
福島駅到着の時間が約5分遅れましたが、集合時間には間に合いました。(車両故障ではありません。)
福島駅では「福島交通観光」さんの新型バスと福島BKさんのスタッフが出迎えてくれました。
イベントの参加者は18名です。「国見の歴史が丸わかり!国見町ご集印めぐり」へ出発で〜す。
山爺はご朱印めぐりと勘違いし、ご朱印帳を持参しましたが、、、今回はご集印めぐりでした。
道の駅「国見 あつかしの郷」の駐車場です。正面に半田山が見える筈ですが、、、雲の中です。
「国見 あつかしの郷」は2017年5月にオープンした東北最大級の道の駅です。宿泊施設があります。
大屋根の緩やかなカーブは国見町のシンボル「阿津賀志山」と「二重堀」の曲線をモチーフにしています。
「国見町文化財センターあつかし歴史館」のKさんのガイドでこれから国見町の歴史を丸ごと体感します。
最初に訪れたのが、観月台文化センターの敷地内に移築された「旧佐藤家の住宅」です。
旧佐藤家は現在の国見IC付近に江戸時代中期に建設されたと言われています。
「旧佐藤家の住宅」は福島県指定重要文化財になっています。
江戸時代の農民家屋は一般的に天井がありません。
丸木を棟の位置で交差させる「首又(さす)組み」と呼ばれる骨組みと梁で茅葺き屋根を支えています。
東日本大震災で土壁は崩れましたが、「首又組み工法」はびくともしませんでした。凄いなあ〜
左の写真は「たんがら」と呼ばれている籠です。口が広く、逆円錐形をしています。
右の写真は右から「かまど」「脱穀機」「石臼」です。「かまど」と「石臼」は国見石で造られています。
国見石は江戸時代末期から昭和40年代後半まで採掘され、材質が均一で柔らかく、加工し易いのが特徴です。
町内には約500棟の石蔵が現存しています。また、耐火性に優れているので昔から「かまど」に使われて来ました。
現在は約400℃の高温で焼く、国見石のピザ窯に使われているとか、、、
旧佐藤家の住宅から歩いて約5分の所に「奥山家住宅」があります。
国見石(外壁の白煉瓦)を使った八角形の塔が特徴になっている迎賓館(洋館)です。
奥山家住宅は洋館と和風主屋のふたつの建物が繋がって一体化しています。(登録有形文化財)
奥山家は天保年間(1840年頃)〜昭和初期にかけ、呉服屋・地主・金融業などを経営していました。
明治期には北海道に広大な山林を有し、秋田県で製材業なども手掛け、その檜材は建築材に使われました。
奥山家は伊達地方有数の豪商として栄えました。
3代目忠左衛門は県会議員や藤田町長を務め、国見町の近代化(JR藤田駅や第百七銀行の誘致)に貢献しました。
国見町役場です。東日本大震災でダメージを被り、新しく建てられました。
国見町のシンボル、阿津賀志山が見えています。
午前中の最後の訪問地は「中善寺蓮池」です。
国見町には奥州藤原氏が築いた「阿津賀志山防塁」があります。平泉とゆかりのある町として蓮の株を譲り受けました。
これらの蓮は、、、中尊寺に伝わる藤原泰衡(第4代当主)の首桶に納められていた蓮の種から開花したものです。
平安の香りを伝える「中善寺蓮」は淡紅色の清楚な大輪が特徴です。大池公園の「大賀ハス」よりも大きかったです。
「自然観察の会」に入会してから、昆虫が気になるようになりましたが、、、蝶名が判りません。
国史跡「阿津賀志山防塁」です。(下二重堀地区)
1189年(文治5年)源平合戦が終わり、鎌倉幕府が成立すると日本の歴史において重大な合戦が東北で起こりました。
源頼朝が率いる鎌倉方の軍勢と奥州藤原氏の軍勢が戦った「奥州合戦」です。
奥州藤原氏はこの合戦における最大の防衛ラインを阿津賀志山に置き、藤原国衡を大将としました。
国見町は両軍数万の軍勢が対峙した激戦の地となり、その遺構が「阿津賀志山防塁」です。
防塁は阿津賀志山中腹から阿武隈川旧氾濫原まで全長約3.2kmあります。(二重堀構造)
ランチタイムです。道の駅「国見 あつかしの郷」にある「母さん惣菜ビュッフェ」で食しました。
国見町で採れた旬の野菜を使い、お母さんたちが調理した手作りバイキングです。
バイキングだけで満腹なのに、、、更に、彩り綺麗な「夏野菜パスタ」が出て来ました。
美味しゅうございましたが、、、山爺は2倍デブってしまいました。
昼食後は旧大木戸小学校を改装した「国見町文化財センターあつかし歴史館」で国見町の歴史を受講しました。
阿津賀志山防塁の模型です。
防塁は二重の堀と三重の土塁からなる「二重堀構造」が基本となっています。
奥州合戦は三日間にわたって続き、、、奥州藤原氏の滅亡は阿津賀志山での勝敗で決しました。
仏教による理想郷(浄土)をめざした藤原氏が武力で滅ぼされた奥州合戦を伝える史跡(防塁)となっています。
この合戦で活躍し、伊達郡を領有した中村念西は「伊達」を名乗り、伊達氏の歴史が始まりました。
貝田姥神沢旧鉄道レンガ橋、草などに隠れていますが、、、
1887年(明治20年)、黒磯駅〜塩釜駅間の開通に合わせて設置された旧鉄道橋です。
レンガ積みのアーチ構造の橋は近代化に向けた当時の日本の気鋭とモダンさを今に残しています。
現在は町道の一部になっています。
御瀧神社です。一の鳥居〜四の鳥居まであります。創建時期は不明ですが、五穀の神と養蚕の神をお祀りしています。
御瀧神社湧水は「福島の水30選」に選ばれ、「町天然記念物」にもなっています。
「大滝」も「小滝」も旗竿付近から水が湧いています。
水量が豊富で生活用水や水田の灌漑用水として幅広く、利用されています。
この湧水を飲むと、眼に良いと言い伝えられていますが、、、現在は飲料出来ません。
三常院には阿弥陀如来立像、観音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊が安置されています。
雨脚が強くなったので車窓からの見学になりました。縄文時代中期(4500年前頃)の竪穴式住居跡の岩淵遺跡です。
国見町探訪を終え、15時30分に福島駅に戻って来ました。
帰路の電車内で福島限定の缶酎ハイを呑み、国見町の歴史に再び酔いしれました。
福島BKの「夏の10大イベント」のひとつ、「国見の歴史が丸わかり!国見町ご集印めぐり」に参加しました。
2011年(平成23年)5月、阿津賀志山(厚樫山)に登った際、防塁の存在を知りました。
山頂の展望台から防塁を確認しましたが、、、日本の歴史が動いた場所であることまでは判りませんでした。
自ら調べて、この地を訪れても良かったのですが、地元のガイドKさんに事細かく説明していただき、感謝、感謝です。
イベントを企画した福島BKさんにも感謝です。次回は「仏都会津の始まりの町〜磐梯町〜」を訪ねて歩きます。
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