このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

のんびり歩き隊

                                                                 2018. 3. 3    晴れ


          高子二十境巡り
           福島県 伊達市                                                               のんびり小隊


大玉村「あだたらの里」直売所から安達太良山を望む

昨日まで日本列島を揺るがしたW低気圧が過ぎ去り、久しぶりに好天気となりました。

気温(予想16℃)も上昇します。本日は伊達市にある高子二十境に「春」を感じながらのんびりと歩きます。

二本松市以北の山を歩いた際、一度は立ち寄ってみたかった「奥の松酒造」さんです。

帰路はいつも時間に制約されるので、先に「酒蔵ギャラリー」を見学、、、

一輪挿しのようなオリジナルタンブラーをGetしました。(創業1716年 享保元年)

   

自宅を9時20分に出発しましたが、途中、寄り道をしたので高子沼まで約2時間も掛かってしまいました。

あだたらの里では「ネギ苗」をGetしました。クルマの中はぷんぷん、ネギ臭さぁ~

昔々、福島の従兄弟に連れられて高子沼に遊びに来ました。今から約50年も前のことです。

当時は「池」があるだけで、、、何もありませんでした。Webで「高子二十境」を知り、歩いてみることにしました。

「春の高子二十境と伊達・箱崎の獅子舞を巡る」マップを参考に高子沼駐車場をスタートしました。

山爺のじじぃから引き継いだ「ブドウの樹」、、、昨年は剪定をしませんでした。

枝は伸び放題です。教科書を読んでも、何処をどう切っていいかのか判りません。

「走馬嶺」への途中、展望台らしき東屋を発見しました。ここから信達平野が一望出来ます。

個人所有のようなので上がれませんが、、、展望台で一杯、呑みながらの景観は最高でしょう。

一般舗装道から「高子二十境探勝路」に入ります。探勝路と言っても農作業道です。

探勝路は「ブドウの丘」を登ります。

ぐるり廻って、鉄塔が建っている向かい側の稜線を歩きます。

高子二十境とは、、、

江戸時代の高子の儒者 熊阪覇陵(1709年~1764年)が故郷の景勝地20箇所を選定しました。

高子二十境は阿武隈急行線の高子駅を中心に半径約700mの範囲にある緩やかな丘陵です。

丘陵上には熊阪覇陵・台州・盤谷 親子孫三代の「高子の景観」を詠った漢詩が残されています。

走馬嶺から約5分の所にある愚公谷、漢詩は読み難いなあ~

探勝路脇にある石仏、じっくり見ましたが、、、、年代は判りませんでした。

稜線の畑には「ならず者」が出没するようです。

眼下に高子沼を望むことが出来ました。

いいですねぇ~、この稜線歩き、、、

突如、現れた壁、、、内側には汚染土が隔離されていました。

しっかりしている案内板、しかし、、、工事中の箇所があり、撤退することになりました。

   

返照原です。谷文兆(江戸時代後期の画家)との接点がここにあったのですねぇ~

信達平野を囲む半田山と南蔵王連峰、写真中央の四角い構造物は「相馬福島道路」の橋梁の礎です。

山爺にはこんなにも大胆なカットは出来ませんが、、、翌日、「巨峰」の剪定をしました。参考になりました。

内山山頂の三等三角点です。

保原の街中を走る阿武隈急行の鉄路(旧丸森線)

本日の予定は上保原駅まで降り、阿武隈急行線の北側にある白雲洞や丹露盤などを巡ります。

電車を利用した場合は向瀬上駅~高子駅~上保原駅間を「歩き隊」と考えていました。

高子二十境から不忘山を望む

案内板に従って稜線上の最後の鉄塔から麓に降りたところ、立入禁止のロープが張られていました。

工事現場の中に入ることも、阿武隈急行線を横断することも出来ないので、、、藪漕ぎで稜線上に戻りました。

稜線から他の探勝路に戻ることは時間的に無理なので、伐採地の中を降りて作業道に出ました。

今、歩いて来た稜線を振り返ります。

阿武隈急行の「伊達なトレイン 政宗ダテニクル」が走って来ました。瞬時に捉えることが出来ました。

相馬福島道路(復興支援道路)の橋梁下部工事のため、探勝路の一部が通行止めになっていました。

(平成31年1月11日まで工事中) このため、予定を変更しなければなりませんでした。

阿武隈急行線の高子駅です。駅前には閑静な住宅が建ち並んでいました。

工事中のため、探勝路の一部が寸断されましたが、ぽかぽか陽気の中を歩くことが出来ました。

高子沼に戻り、ランチタイムにしましょう。

ヘラブナ釣り、のどかだなあ~

山爺を睨み付けているおニャン子、嫌いな人は判るのですねぇ~

   

定番に成りつつある、プレス式コーヒー&スィーツで〆ました。

このあと、「福島桧工房」さんに立ち寄りましたが、不在でククサの材料の手配が出来ませんでした。


後記

高子沼の歴史

1591年(天正19年) 伊達政宗は豊臣秀吉の奥州仕置きにより、伊達郡を召し上げられました。

伊達政宗は岩出山に移封され、次期領主の蒲生氏郷に金鉱の存在が判らぬよう、、、

金鉱石の精錬所跡を隠すべく、土手を築いて水底に沈め、出来た沼が「高子沼」と言われています。

高子沼周辺には金鉱山の抗口が残っています。

昭和初期には高子沼の底から中世の鉱石粉砕用の石臼や廃鉱石が多数出土しました。

山爺は灌漑用の溜池と思っていました。



風邪のため、約2週間、体調不良(喉の痛み)になりました。そのため、歩く間隔が空いてしまいました。

今回の「高子二十境巡り」は電車の利用も考えていましたが、、、時間が足りないのでクルマにしました。

工事中のため、予定変更を余儀なくされましたが、「収穫の秋」に再度、訪れてみたいと思います。


   

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