八丈島航路について
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  東京出港から八丈島到着後のバイクの受取り林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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八丈島への安定した船便ができたのは90年も前のこと

本格的な定期航路の開設は大正時代
 [1] 東京からの距離と位置
 [2]八丈島航路について
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 [4] バイクの受取り
航空機ではなくて海路八丈島を目指すのであれば、ここで八丈島航路の歴史をちょっと知っておくのも悪くありません。客室で寝しなに航路の歴史に思いを馳せれば、より旅情が感じられて航海がさらに味わい深いものとなるでしょう。

八丈島航路の開設は今をさかのぼること100年以上も昔の明治の頃ですが、 それ以前の
江戸時代、本土との往来は春秋2回の廻船のみでした。この廻船で年貢の絹を搬送、江戸で穀物や日用品を購入して帰島していました。そんな時代が明治維新後もしばらく続いていましたが、 明治11(1878)年に長戸路十兵衛が西洋型スクネル帆船を建造して本土との定期便確保を試みたのですが、事業は失敗・・・。

9年後の明治20(1887)年に日本郵船が小笠原定期航路を開設したことによって、 小笠原便が八丈島に年2回寄港するようになりました。その後、政府の補助で小笠原便の寄港は年4回に増加、 明治32(1899)年にようやく月1回程度になりましたが、 しかし、あくまでこれは八丈島への寄港でした。

さらに時代は進み明治40(1907)年、 東京府は東京湾汽船(現東海汽船)との間で命令航路と呼ばれる伊豆諸島航路の定期航海契約を結びましたが、八丈島は除かれてしまいます。 このため、 明治43(1910)年に八丈島独自で東京湾汽船と月1回以上の航海契約を結び、 大正15(1926)年に三宅島寄港の八丈島航路が命令航路に指定され、 ここにようやく安定した船便が確保されます。90年以上も昔のできごとでした。

命令航路とは政府や地方自治体、軍隊から補助金が交付される代わりに船の定期運行とその維持を命じられた航路のことです。現在は離島航路整備法によって航路維持の助成処置が規定されており、命令航路に関する法令は存在していません。






大勢の民間人とともに撃沈された東光丸

戦争の犠牲となった「東光丸」の悲劇
八丈島の人々の悲願であった定期航路ですが、太平洋戦争中には悲劇も起きています。昭和20(1945)年4月16日、120名を乗せて神湊港を出航した八丈島からの最後の疎開船東光丸が、出航の僅か1時間後にアメリカ海軍のパラオ級潜水艦シードッグの魚雷攻撃を受けて沈没。 上甲板にいた船員と軍人の11名が助かっただけで、民間人の疎開者に生存者はいなかったみたいです。ほとんど知られていませんが、現代の八丈島航路の華やかさの影にはこのような悲劇もあったんですね。






八丈島航路の沿革
1910(明治43)年     東京湾汽船会社と八丈島有志代表浮田鉄吉、山田喜代吉が「芙蓉丸(96トン)」で毎月1回以上の航海契約を締結
1922(大正11)年5月   「八丈丸(345トン)」が三宅島〜八丈島に就航
1925(大正14)年4月   「八丈丸(345トン)」が三根沖で暴雨風のため遭難沈没。船員13名が死亡
1926(大正15)年10月   三宅島・八丈島が東京府知事の命令航路となる
1930(昭和5)年10月   東京から八丈島に寄港して小笠原父島・母島に至る定期航路が開設。主として「桐丸(531トン)」が就航 
1941(昭和16)年     「桐丸」の月6回の就航が「萩丸」で月3回の就航になる(太平洋戦争中)
1945(昭和20)年4月   「東光丸」が撃沈されて約120名が死亡(太平洋戦争中)
1947(昭和22)年6月   「黒潮丸(496トン)」が東京〜八丈島間に就航 
1948(昭和23)年3月   「第3旭丸」が八丈島藍ヶ江港で遭難 
1957(昭和32)年     東海汽船が八丈島代理店を直営に切り替えて「八丈島支店」を設置
1965(昭和40)年8月   「神湊港底土岸壁」が完成。年間を通して約90%の接岸が可能となる
1968(昭和43)年10月   「弥栄丸(貨物船・330トン)」が三宅島〜八丈島間に就航  
1971(昭和46)年6月   「ふりいじあ丸(2.286トン)」が就航
1978(昭和53)年4月   「すとれちあ丸(3.708トン)」が就航
1983(昭和58)年3月   「ふじしま丸(149トン)」が八重根港に入港
2002(平成14)年5月   「さるびあ丸(4.973トン)」が就航
2012(平成24)年2月   「八重根港船客待合所」の供用開始
2014(平成26)年6月   「橘丸(5.681トン)」が就航
2014(平成26)年7月   「神湊港(底土)船客待合所」の供用開始
2017(平成29)年5月   東海汽船の橘丸がWRを輸送して「林道探索の書」が八丈島に初上陸する!

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