このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

御岳御厨野林道を鈴ヶ沢方向から進むと途中に現れるこの地点には、
右折している本谷林道の林道標および本道筋側には「御岳林道」、「五味沢林道」と記された2本の林道標が存在。
通常一般的にはここは御岳御厩野林道として知られているため、
「はて?」と思ってしまうかもしれませんが、
それらの由来を鞍掛峠越えルートの建設経緯と合わせて簡単に説明してみたいと思います。

まず峠越えルート開設以前についてですが、
下呂営林署内にて御厩野から鞍掛峠に向かって延びていた竹原林道に接続して
昭和31(1956)年頃に名古屋営林局によって御厩野林道を開設されました。
ただし、この時点ではまだ峠越えルートは完成していません。

その後の昭和35(1960)年に長野営林局がそれに接続する形で鞍掛林道の開設に着手、
昭和37(1962)年に完成したことによって峠越えルートは開通します。
そして岐阜県側から峠を越えて水無(鞍掛)地区へと入れるようになってから、
鞍掛林道に接続して延伸する形で五味沢林道は建設されました。
その具体的なルートは大赤沢を回って五味沢中浦を経て三浦貯水池の湖岸沿いに本谷へと至るもので、
昭和45(1970)年頃になると本谷筋にさらに延伸されます。

その結果、御岳林道と接続して(それがこの地点)現在のルートが形成、
と同時に竹原林道、御厩野林道、鞍掛林道、五味沢林道、御岳林道と区分されていたものを
まとめて「御岳御厩野林道」と呼ぶようになったというわけですね。
なので、ここに御岳林道および五味沢林道の林道標のみが存在していることも
以上の経緯を知っていれば本来は不思議はありません。

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