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*平城京跡(東院庭園)* | 井上内親王は 皇太子首皇子(後の聖武天皇)と 夫人県犬養広刀自の 第一王女として生まれました。 妹の不破内親王は生年が不詳ですが、 恐らく井上内親王とは 歳が近かったと考えられます。 幼くして斎親王に卜定。 以後、長い年月を伊勢で過ごしています。 | ||||||
*明和町の「斎宮の森」* 伊勢神宮よりも内陸に斎宮の遺構があります。 地名は「さいくう」。 こんな場所で過ごしたのでしょうか。 | |||||||
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*恭仁京跡のすぐ近くにある国分寺跡* | 聖武天皇はある時、 平城京から点々と各地を彷徨いました。 恭仁京は夢の都。 もしかしたら聖武天皇は 唯一の男皇子である安積親王の為に この都をつくりたかったのかもしれません。 この辺りは「瓶原(みかのはら)」と 呼ばれていました。 | ||||||
我が王(おほきみ) 天知らさむと思はねば 凡にそ見ける 和束杣山 (大伴家持) 井上内親王の弟である安積親王。 彼は17歳という若さでこの世を去りました。 その突然の死には暗殺説を 推測させるものがあります。 安積親王の誕生は井上内親王の伊勢下向後。 彼女は一度もその姿を見る事なく 弟の死を悼まねばなりませんでした。 親王と親交のあった大伴家持は 万葉集に心に響く挽歌を残しています。 | |||||||
*正法寺* | 安積親王の菩提を弔うお寺は 陵墓の見える高台にありました。 和束の里は至るところに茶畑があり、 名産の和束茶が有名です。 | ||||||
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