このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
*上御霊神社* 兄・桓武天皇が早良さんを祀ったのが始まりで 八所御霊が祀られています。 現在の境内は当時よりも小さくなっていますが この「御霊の森」から 平安京を焼き尽くす「応仁の乱」が勃発しました。 京都を自分の足で歩いてみたいと思い立ち 初めて訪れた場所のひとつ。 この境内は落ち着いてももかのお気に入りです。 | *晩秋の下御霊神社* 上御霊さんより創建年代は新しいのです。 朱色の鳥居が秋の紅葉に映えて鮮やか。 実は夕暮れ時も素敵なんですよ。 実はこの界隈、京都をぶらぶらするには もってこいのお散歩コースだったりします。 素敵な喫茶店も多いですし 大好きな一保堂茶房もすぐ近く! こちらも八所御霊をお祀りしていますが、 その一柱に早良さんの姿を見る事が出来ます。 |
*乙訓寺にある早良親王供養塔* 藤原種継射殺事件により 首謀者の一人として名をあげられた早良親王は 長岡京内のこの寺に幽閉され、淡路へと旅立ちました。 それから約10日後、食を断ち絶命してしまいます。 乙訓寺とは「おとくにでら」と読んで 京都でも有名な牡丹寺なのです。 | |
*高野新笠大枝御陵* | 息子である山部親王が桓武天皇として即位した事で 新笠は皇太后へとのぼりつめました。 しかしその晩年は寂しいものだったようです。 娘である能登内親王は早くに亡くなり 兄弟の争いによって早良親王は 死に追いやられてしまいました。 能登内親王の息子で、新笠の孫にあたる五百枝王も この折、陰謀に荷担していたとして罪を問われました。 長岡京への遷都から程なくして彼女はこの世を去ります。 大枝は古くから渡来人所縁の地。 両親揃って渡来人であった新笠にとっても 所縁の地であった事でしょう。 |
*紅葉の神泉苑* 早良親王は御霊となって平安京を駆け巡りました。 平安時代を中心に御霊会が行われた神泉苑。 その長い歴史の中で荒廃し、二条城築城によって その大半が埋没したといいます。 地名の「御池」はここに由来し 現在では僅かにその遺構が残るのみ。 | |
*藤森神社* | 早良親王と所縁のある神社の一つ藤森神社には 親王に関するいろいろなお話が残されています。 親王の追号である「崇道天皇」は 舎人親王の追号「崇道尽敬皇帝」と似ている為か この両者は縁があったりするのです。 藤森神社もまた舎人親王所縁とされています。 勝負事の神様としても有名ですよね。 |
*桓武天皇柏原御陵(御陵を守る猫たち?)* | 兄である桓武天皇の御陵は 西賀茂から柏原の地に移されました。 別名の「柏原天皇」の名はここからきています。 平安京建都の祖といわれますが、 彼がこの地に都を遷したのは 早良親王の怨霊に怯えていたという説もあります。 因みに「京都」の地名は 中御門大臣宗忠の『中右記』に初めて登場し、 当初はそう呼ばれてはいませんでした。 |
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