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御神渡りレポ

地球温暖化の影響や、諏訪湖の水質などの環境の変化によりここ十数年の間は見る事が稀になった御神渡り。でも諏訪の人たちは冬がやってくるといつ神さまがお渡りになるのか、今か今かと待っているのです。


■2003年(平成15年)■全面結氷1月6日/出現1月17日/拝観式1月19日(認定)
2003年1月。諏訪湖に御神渡り現象が見られたのは1998年(平成10年)以来。その前はというと1991年(平成3年)となります。この日を今か今かと待っていた諏訪の人たちですが、その中にはももかの姿も(笑)。本来なら御神渡りと認定されて3日の精進の後に御神渡り拝観式が執り行われるのですが、今回は天候の為に精進は1日だけだったらしいです。
御神渡り拝観式は1月19日に決まりました。その日の天候といえば午後から雪の予報。この日を逃したらもう暫くの間(何年先?)、御神渡りを見る事は出来ません。雪が積もると氷上が見えなくなるばかりか、その保温性で氷は融けやすくなるのです。そんな訳でももかはお仕事の前に諏訪湖に行く事にしたのでした。
(残念ながら拝観式の様子は時間の都合で見る事は出来ませんでした)。
その日の午後から予報通りの大雪に見舞われました。当然の事、この亀裂はそれから見る事が出来なかったのです。その雪が融けきるまで数週間はかかったでしょうか。御神渡りが残した裂け目からはさざなみが立ち、春の訪れと共に氷を融かしていったのです。

■2004年(平成16年)■全面結氷1月16日/出現1月29日/拝観式1月31日(認定)
2004年1月。12月の凍てつくような寒さとは裏腹に、御柱祭年の始まりは暖かい日が続きました。「御柱(祭)の年なのに、御神渡りが見られないなんて」。口には出さなかったけれど、それほど氷の状態は緩やかなものでした。何しろももかの家でも通常4月半ばに咲く梅の花が、この時期に咲き始めていましたし、長野県南部では満開のところもあったのです。しかし寒の入りの名の通り、小正月の頃から氷点下10度前後の寒波が続き、とんでもなく凍てつくような日々の中、諏訪湖が結氷しました。
そして。1月29日午前に御神渡りが確認され、31日、無事に御神渡り拝観式が行われたのです。当日は朝から気温が高く、氷の状態を考慮して拝観式もところによっては岸からの神事となりました。でも・・・その暖かい陽気の中でも氷に乗る勇敢な観光客は後を絶たず、午後も100人は乗っていたのではともいわれていました。翌日の天気が雨の予報だったので、観光客が特に集中したのでしょうね。因みに今年の諏訪湖の溶け始めは2月13日と14日にかけての週末で、その氷の溶ける勢いが早かった為に沖に取り残され、水に浸かってしまった方もいらしたようですよ。大事に至らず良かったですけど。
神事には「陽気やや不順」のご神託の通り、2004年は例年にない雷、台風が日本列島を直撃しました。そんな中、諏訪地方は余り影響を受けなかったのは幸いでした。


■2005年(平成17年)■

明けの海。
2月中旬に御神渡りがなかった事が神前に奉告されました。

■2006年(平成18年)■全面結氷12月20日/出現(認定)1月7日/拝観式1月13日
例年にない2005年12月の寒波。日本海側を中心に降り続く大雪、そして諏訪は真冬日の連続で一気に諏訪湖は凍りつきました。全面結氷日が12月20日。クリスマスと元旦をこんな湖を見ながら迎える年は滅多にありません。そんな中、1月9日に御神渡りが確認され、明治以降の記録から7番目の早さとなる拝観式が行われたのは1月13日の事でした。その御神渡の見事な事!しかし拝観式の翌日から気温が急上昇、雨になった為、御神渡は少し縮小してしまいました。2006年の冬、日本海側中心に大雪が降り続きました。北信濃でも例年無い大雪でした。そして7月。忘れられない豪雨が諏訪・伊那地方を直撃しました。諏訪市・下諏訪町での大水害、岡谷市での土石流、そして河川の氾濫、高速道路を含む生活道路の寸断・・・。長く悲しい夏でした。

■2007年(平成19年)■御神渡注進奉告式式2月25日
明けの海。
全国的な暖冬で、諏訪も今季は一度も真冬日を迎えないまま春となりました。2月25日御神渡りがなかった事が神前に奉告されました。大河ドラマ『風林火山』の風に乗り、諏訪も風林火山一色。

■2008年(平成20年)■全面結氷1月25日/出現月30日/拝観式2月2日(認定)
暖冬予報で諦めかけていた御神渡。でも1月下旬の冷え込みにみるみるうちに諏訪湖は凍り、御神渡の兆候が。その噂が流れると、いつしか諏訪湖には亀裂を一目見ようという人の姿が多くなりました。ももかも1月30日に諏訪湖をぐるりとまわり前回よりも低めの亀裂を見て参りました。拝観式は2月2日。その後の諏訪は「暖冬」とは思えない寒さと週末ごとの雪降りに振り回されたひとつきを送ることに。この年は各地でゲリラ雷雨という大雨に見舞われ、県内では雹害もあり農作物に被害が出ました。台風の影響がなかった珍しい年でもありました。

■2009年(平成21年)■御神渡注進奉告式式2月21日
明けの海。
全国的な暖冬で2月14日の諏訪の気温は17・1度(飯田で20度)を記録。この日長野県は杉花粉の飛散が確認されました。2月21日御神渡りがなかった事が神前に奉告されました。御柱祭前年という事で、各地で準備が始まっています。

■2010年(平成22年)■全面結氷1月19日/御神渡注進奉告式式2月20日
けの海。
暖冬の影響で早くから御神渡の出現が危ぶまれていた諏訪地方。1月19日に全面結氷が見られるも、2月20日に御神渡りがなかった事が神前に奉告されました。御柱祭当年のこの年、祭りは盛大に行われました。一年を通して異常気象が見られ、4月17日には満開の桜に雪が積もるなどの春先の寒波、全国的な猛暑に諏訪地方も30度を超える日が続いた夏など、農作物への影響が大きい年でもありました。秋には寒暖の差が激しかった事から近年にないほど紅葉が素晴らしく、長野県では松茸豊作の嬉しい話がありました。


■2011年(平成23年)■全面結氷1月11日/御神渡注進奉告式式2月20日
明けの海。
前年のクリスマス寒波、年末寒波、年明け寒波と寒波続きの諏訪地方。1月11日にほぼ全面結氷の知らせが。しかし、1月の平均気温がマイナス2.7度という極寒の中にも関わらず、湖北西岸は波立つようになり、2月20日に御神渡りがなかった事が神前に奉告されました。注進状にはあれだけ氷が張りながらも御神渡りがなかった事を、「異例」として記しました。因みに異例とされるのは江戸時代以来の事です。この年は、自然災害に日本中が悲しい思いをした一年でもありました。長野県では東日本大震災(3月11日)、栄村を中心とする長野県北部地震(3月12日)、松本を震源とする地震(6月30日)などの影響があっ
た他、諏訪ではゲリラ豪雨(8月)や新作花火大会(9月)に大型台風通過が重なるなど、今までに経験したことのない年となりました。

■2012年(平成24年)■全面結氷1月30日/出現月4日/拝観式2月6日(認定)
年末から寒波が続き、県北部や日本海側は記録的な豪雪に見舞われた1月。諏訪では寒い日が続いているにも関わらず波立ったままの湖の光景に、「御神渡りは無理じゃないか」と諦めかけていました。しかし1月下旬の寒波により、1月30日に全面結氷。そしてこの冬一番の寒さのマイナス13.9度を記録した2月3日にせり上がりの兆候がみられ、翌日立春に至り御神渡りが4年ぶりに確認されました。2月に入っての出現は1987(昭和57)年以来30年ぶりとの事です。4年ぶりの御神渡りの知らせに週末は道路が渋滞し湖畔は賑わいました。しかし拝観式当日は気温が上がる予報通り、拝観式が終わる頃には雨が降り始め翌日までに大雨となった結果、湖面のせり上がりは縮小してしまいました。

■2013年(平成25年)■全面結氷1月6日/出現1月22日/拝観式1月25日(認定)

寒暖の差が激しかったこの年は、3月の低温を経て桜の開花を迎えました。諏訪湖畔のソメイヨシノが散り始めの姿を見せていた4月20日夜には雨が雪に変わり、翌日には桜の花に雪が零れ落ちるように降り積もるという珍しい光景が見られました。4月28日には霧ヶ峰高原の火入れ(野焼き)で大規模な山林火災があり、GWの観光に大きく影響しました。この年の出来事で諏訪の人が忘れる事が出来ないであろうものは8月15日の花火大会でのゲリラ豪雨でしょう。それまでもその後も、雨が降る事はなかった諏訪地方。15日のまさに花火大会開始〜終了(予定)時間の間に、猛烈は雨と雷が諏訪地方を襲いました。当日の本州の天気図を見ると、九州の裾で雨が見られたものの他は雨雲がなく、日本の真ん中の諏訪湖周辺という小さな地域のみ雨雲が集中していたのです。60年以上、大雨が降っても雷が鳴り響いても台風が来ても打ち上げるという「伝説的な」諏訪湖の花火大会は初の中止となりました。電車の上下線不通(単線の為)、高速道路の不通(中央道・長野道)帰宅困難者への避難所の開設など地元では対応に追われました。春先の霜害から夏の猛暑、そして秋の台風の通過と、農家の方には厳しい年でした。


■2014年(平成26年)■全面結氷1月16日/御神渡注進奉告式式2月23日
明けの海。
寒波が続き小正月には全面結氷が見られた諏訪湖。しかし1月26日未明に雨が降り、立春の頃には完全に解氷。翌週2月8日(諏訪29センチ)、翌々週14〜15日(降り始めから降り終わりまでの降雪52センチ)の大雪は、長野県の東部・中部・南部の県境を封じ隣県山梨県も大変な降雪を記録。注進奉告式に至る1週間は連日マイナス10度近くの最低気温に再び諏訪湖は9割方結氷するという近年稀なる状態を迎えました.。2月23日に御神渡注進奉告式が行われ「片明海」である事が奉告されました。前年同様、散りかけてはいたものの桜の上に雪が降り積もるという寒暖の激しい春を経て迎えた初夏には、東京で降雪かと見紛う雹害もありました。7月の木曽の豪雨は線路をも巻き込み、交通にも影響を与えました。全国的に「短期間豪雨」見舞われた夏は曇りや雨がちのすっきりしない天候が続きましたが、秋の紅葉は当たり年で短いながらも美しい風景を楽しむことが出来ました。
記録的積雪、木曽の豪雨災害、御嶽山噴火、北信濃の地震と、この年の信州は災害が多く大変な年でもありました。


■2015年(平成27年)■全面結氷日なし/御神渡注進奉告式式2月22日
明けの海。

■2016年(平成28年)■/御神渡注進奉告式式2月12日
明けの海。御柱の年。

2017年(平成29年)■全面結氷1月25日/御神渡注進奉告式式2月18日
明けの海。

■2018年(平成30年)■
全面結氷1月13日、1月27日/出現2月1日/拝観式2月5日(認定)
月の日本列島は記録的な大雪と寒冷に見舞われました。連日氷点下が続いた中旬に、諏訪湖は全面結氷。しかし強風により瞬く間に湖面は波打ちました。首都圏を中心に大雪が降った1月22日の諏訪地方は積雪5センチを記録。なかなか凍らない諏訪湖が再び凍り始めたのは再び寒気が到来した下旬。1月27日に全面結氷、解氷を繰り返していくうちにせりあがりが見られるようになりました。しかし一之渡りの上座となる諏訪側のせり上がりがなかなか姿を見せず、ようやく旧六斗川の先に延びる筋を確認できたのは2月1日。2日の大雪(諏訪17センチ)にも筋が消えることなく、2月5日に5季ぶりの拝観式を迎えることができました。占定では、昭和13年・同20年の状況に見ていると判断されました。
春は早く訪れ、梅雨明けも6月30日と例年より早く、迎えた夏は猛暑となりました。諏訪の最高気温は8月5日に34.9℃を記録。西日本豪雨、大阪北部地震、8月の台風の多さに加え、二百十日を過ぎてから到来した台風21号。そして北海道地震。平成最後の夏は暑さと共に災害が続いた夏でもありました。


←横河川口(岡谷市)

諏訪には2ヶ所、白鳥の飛来地があります。
一つは上川、
そしてもう一つがこの諏訪湖の横河川口です。
御神渡と氷上をよちよちと歩く白鳥の姿は
最近では見かけない光景です。
前方に開けているのは甲府へと続く空。
冬になるとくっきりと富士山が見られるのですが
撮影日にはお目にかかれませんでした。

*2006年1月12日の写真から 
この年は御神渡りがとても綺麗に見られたんですよ。
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