このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

上社の御柱祭


上社本宮の一之柱。
柱先端に御幣があるのが特長.。説明書の高さが仮に120センチくらいと考えてみるとその大きさが分かりますよね。
(2001年5月撮影)

上社の御柱祭は仮見立て(どの木を御神木とするかを決める)が祭の2年前、本見立てが1年前。モミの木を使う事が慣わしとなっていて、上社はくじ引きで柱が決まります。一之柱が一番大きく、四之柱が小さいもので、本宮一之柱(本宮一)を引き当てる事が氏子代表の大役となります。代表は抽籤の日まで精進潔斎をしたり水垢離をしたりして過ごすそうです。だから小さい柱を引き当てると土下座をして謝るなんて光景もみられるみたいです。昔は小さな柱を中ててしまった事に責任を感じ、何ヶ月も諏訪に帰ってこれなかったという人もいたり、してその大役の様子が窺い知れます。柱が決まると各地区で曳き綱にする綱打ちを始めます。前の年くらいから農家ではこの為の藁などを用意しているようですね。元綱には丈夫な藤蔓を使用する地区もあります。3月になると伐採。そして4月。いよいよ山出し祭(やまだしまつり)です。

山出しは3日間行われ御柱屋敷(おんばしらやしき)まで曳行されます。順番は本宮一、前宮一、本宮二という感じ。下社に比べて曳行の道のりは長いのですが、開けた道を通るので割と順調なのです。しかし前の柱が動かないと後ろの柱も動けない事で毎回「お約束の」ちょっとした小競り合いはあるようですね。そして、柱中央には「めどでこ」と呼ばれる上社御柱特有の添え木がつくので、上手く曳いて行かないと集落に入った時、民家の屋根を破壊し、塀を破壊します(笑)。最初の難関は穴山地区の鉤の手(通称・穴山のクランク、穴山の大曲がり)で、大木をどのように上手く進めるかが曳き子と梃子衆の腕の見せどころ。ここを無事通りすぎ、子之神(ねのかみ)地区の「諏訪大社御柱御旅所」の石柱のところで一旦御柱は止まり神職のお祓いを受けます。

さて上社山出し祭の最大の見所は二日目・三日目の「木落し」と「川越し」です。「木落し」は下社の勇壮さに比べて坂が低いので優美で華麗といった方が良いでしょう。とはいえ段差約30メートル、傾斜約30度の坂をめどでこに沢山の人を乗せたまま落ちていくのですから、やっぱり命がけ。木落としの時にはめどでこは曳行時よりも長いものに付け替えられ、より人が乗れるようになっています。片方のめどでこで8人〜10人くらいでしょうか。ホント、鈴なりです(笑)。近くにJR線が通っているので、列車通行の際は徐行して乗客サービスをしてくれるのが恒例になっているようです。

木落し坂。山から曳かれてきた御柱はこの坂を上り、ここから下へと落とされます。この頂上からは、多くの住宅が立ち並ぶ中に宮川が見えます。昔は遮るものもなく川とお社が見えた事でしょう。(2005年4月撮影)

そして「川越し」。川越しは「川越え」、古くは「宮川の渡し」ともいい、決まった名称は特にないようですが最近は「川越し」という名で通っています。八ヶ岳の雪解け水が注ぎ込む宮川を渡らなくては、御柱屋敷に曳きつける事は出来ません。流されたり気を失いかけたりする人も出る程の川越しを経て御柱屋敷に到着。山出しは終わりです。余談ですが昔は本宮一之柱が木落しを終え、中河原の交差点付近までくると、後ろから来た他の柱は前の本宮一之柱を追い越してよいという慣例がありました。この為、次から次へと木落し・川越しをし、御柱屋敷の曳きつけを競ったそうです。今はJR線や住宅などで様子が変わっていますが、昔は一面の水田。ここを所有する地主の皆さんは如何に自分の水田に被害が

擬似御柱と宮川。雪解けの川の水は身を切るように冷たい。1000年以上の伝統の中で、諏訪の男たちはこうしてこの川を渡ってきたのです。
(2005年4月撮影)

出ないようにするか思案したのだとか(ああいう事もこういう事もしたんですよ)。また、早く曳きつけをしてしまう為に木落しも川越しもめどでこはつけず、先に川を渡したり、反対に柱の後から渡したりという事も。川越しの際には競い合った御柱が4本も柱が河岸まで並んだという話もあるほどです。今のように1本ずつ華麗な姿で木落し・川越しをするようになったのは戦後の事なのです。

翌5月の連休に里曳き祭(さとびきまつり)が始まります。里曳きは騎馬行列や長持ち等が出てとても華やかです。連休と重なる為に見物客も沢山。御柱屋敷から各お宮まではすぐなので、ゆっくりゆっくり曳いていきます。順番は本宮の四本が先、前宮の四本が後となります。前宮の入口を本宮の柱が通り過ぎた後、前宮の柱は境内の中へと入っていきます。そこでの見どころは前宮本殿まで約300メートルという急坂の曳き上げ。それも石段。これを一気に曳き上げるのです。これが終わると翌日は建て御柱(たておんばしら)となります。本宮の建て御柱は最
終日。上社では社殿を中心に見ると右側が四之柱、左側が一之柱、一之柱の奥が二之柱、四之柱の奥が三之柱という順番になっています。御柱が垂直に建つまでは一時間程。まっすぐに建った柱の先端に御幣を打ち付けるとお祭は終了です。翌日、御柱固め(次の御柱祭まで柱が倒れないようにする神事)を行います。



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