このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下社の御柱祭

木落とし坂。中央には観光の為に用意された擬似御柱があります。ちょうど松の木の手前の辺りになります。夏場はこのように緑の斜面で覆われますが、4月上旬といえばまだ茶色の地面が剥き出し。この坂下は国道142号となっている為、山出し期間中は通行止になります。 (2001年5月撮影・・・2010年、坂は改修され滑らかな斜面になっています)

下社の御柱祭は仮見立てが祭の3年前、本見立てが2年前です。用材にはモミの木が使用されます。そして1年前の5月に伐採され、棚木場(たなこば)に運ばれます。この伐採時に皮を綺麗に剥くのが上社との違いです。下社は上社とは違って明治35年以降分担して曳く事になっているので籤引きは行わず奉告祭を行います。それが済むと各地区で綱を打ち始めます。綱は縄を使用するのが一般的ですが、地区によっては藁を使用するところも。昔ながらの藤蔓を使うところもあります。

上社の山出し祭の翌週、御柱熱も入ってきたところで下社の山出し祭が始まります。山出しは3日間行われ注連掛(しめかけ)まで曳行されます。下社の場合「めどでこ」はありません。下社は上社に比べて曳行の道のりは短いのですが、藪あり側溝あり土手あり沢ありの狭く急な山道を曳く為にかなり時間がかかります。人が少ないと曳けないし、多いと進まないんですよね。どちらかといえば危険なのは木落としというよりもこちらの曳行といえるでしょう。途中、斧(よき)立社というお社の前で御柱は一旦止まり、ここまでの曳行の無事を感謝し、道中の安全を祈願します。その近くには1944年の御柱祭で陣頭指揮をとり、予期しない動きをした柱に体を挟まれ命を落とした町長さんの碑があります。

さて山出し祭の最大の見ものは長さ100メートル・傾斜35度の急坂での「木落し」。よく観光パンフレットに載っている写真はこれなのです。実際に坂の上に立ってみると、よくぞこんなところを下れるものだと関心してしまう程。そんな柱の先端に乗る人を「華乗りはなのり」といい、ある意味でクレイジーなお人です(笑)。振り落とされ、また飛び乗ろうとするイキなお兄さん(おじさま?)達の姿は豪快そのもの。また、いかに美しく坂を落とすのかも見せどころとなります。
木落しは3日間。予定では初日午後一時頃から始まる筈なのですが時間通りにはなかなかいきません。この木落しを見る為にかなりの見物客で河原は埋め尽くされます。落とされた柱は曳行を続け、注連掛(しめかけ)で一気に引き上げられ、そこに並べられて山出しは終わりです。最後の御柱がここに曳きつけられるのは、とっぷりと日が暮れてから。観光客が帰っても、お祭りは続くのです。


翌5月、上社の里曳きの次の週に下社の里曳きが始まります。曳行分担はまた変わり、曳行順序は変則的な山出しと違って先に春宮一、春宮二・・と春宮の四本が曳かれ、その後に秋宮の四本が続きます。お宮まではすぐ。注連掛は丘のような場所なので、まずここから木を落として曳行、更に春宮境内で落とされます(通称・ミニ木落とし)。ここで春宮の御柱は境内に残されます。秋宮の御柱は境内を曳かれ、国道を横断し、魁町を直角に曲がり、また国道に出るというややこしいコースを通ります。これは昔の道に沿っているからだとか。魁町には幕末の赤報隊・相楽総三が眠る魁塚(さきがけづか)があります。秋宮への最終の曳行は大概予定時間から大幅に遅れる事が常なので、薄暗くなってから到着し、提灯の灯りをともしながら曳きつけます。建て御柱は初日が春宮一のみ、後は二日かけて建てられ、そして終了します。下社では社殿を中心に見ると右側に一之柱、左側に二之柱、二之柱の奥が三之柱、一之柱の奥が四之柱という順番となっています。下社里曳き祭での楽しみは色々とあるのですがその中でもお薦めは長持ち連です。この辺りで
は祭りに長持ちは当たり前。会社で持っているところもあるんですよ。それが繰り出します。長持ち歌もその地区毎違うのが面白いです。

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