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井上内親王
(717〜775.4.27)
聖武天皇の第一皇女。母は県犬養宿禰唐の娘・夫人県犬養宿禰広刀自。同母弟妹に不破内親王、安積親王。異母妹に孝謙・称徳天皇。光仁天皇の皇后となるが巫蠱の罪により廃され、後に復位。吉野皇后と呼ばれた。子に酒人内親王(第21代斎王、桓武天皇妃)、他戸親王(光仁廃太子)がいる。陵墓は奈良県五條市御山町の宇智陵。
「いのうえ」「いのえ(へ)」「いがみ」などの読み方があるが、ここでは「いのえ」とする。
養老5年(721)9月伊勢斎王に卜定され、神亀4年(727)に伊勢へ下向。天平16年(744)同母弟の安積親王の薨去によって伊勢斎王を退下。帰京の後は天智天皇皇孫にあたる白壁王の正妃となった。天平勝宝6年(754)に酒人女王を、天平宝字5年(761)に他戸王を生んだ。但し他戸王の生年は他説あり、751年というものもあってはっきりしていない。
神護景雲4年(770)に異母妹にあたる称徳天皇が後継者を示さないまま崩御し、井上内親王の縁で夫君である62歳の白壁王が即位した。これが光仁天皇である。とはいえ、この在位は聖武天皇の直系にあたる井上内親王の子供・他戸王への皇位継承の中継ぎのようなものだったと考えられる。天智天皇系の諸王の一人であった白壁王が皇位に就く事自体、不満を持つ氏族が少なくなかったからである。この時、井上内親王の同母妹・不破内親王は称徳天皇の不興をかって内親王位を廃され京外追放中だった。同年11月立后。また光仁天皇の子女は親王・内親王の宣下を受けた。酒人内親王はこうした中、四品を賜った長兄山部親王を上回る三品の位を得ているが、これは母親の身分もあるのだろう。翌年他戸親王が立太子。
しかし立后から僅か数年後の宝亀3年(772)3月2日、巫蠱の罪に連座して位を廃され、5月27日には井上内親王の大逆罪により、他戸親王は位を廃され庶人に落とされてしまう。母である井上内親王の厭魅大逆が度重なり、そのような女性を母に持つ子供を皇太子とするのは憚られるというのが理由であった。そのような中で同年酒人内親王は伊勢斎王に卜定。また姉の失脚とは対照的に不破内親王はその後徐々に位を回復しているが、何か作為的な意味合いがあるのかもしれない。翌年他戸王に代わり皇太子には山部親王が立った。後の桓武天皇である。10月光仁天皇の姉・難波内親王を厭魅した罪で他戸王と共に大和国宇智郡没官宅に幽閉され、宝亀6年(775)4月27日、母子共に同日謎の死を遂げる。これらの事件は山部親王を擁立しようとする藤原式家百川らの陰謀ともいわれている。百川は称徳天皇崩御の折に兄・良継や藤原北家永手らと謀り白壁王を皇太子と定める宣命を作成し、光仁天皇擁立に成功した人物なのだ。しかし百川の真の狙いはこうして即位させた光仁天皇ではなく、その息子・山部親王の即位にあったというのだ。この年、酒人内親王は伊勢斎王を退下。母弟のいない京へ一人戻る事となる。
井上母子の薨去後、京にはあらゆる異変が続いた。これを朝廷は井上内親王の怨霊の仕業と考え、恐れた。特に恐れていたのは井上母子を退けて皇位についた桓武天皇であったといえる。井上内親王の遺骸を改葬し墓を御墓と追称。桓武朝の延暦19年(800)には皇后位を追復称し、その墓を山陵と称した。山陵は吉野陵と呼ばれ、これによって井上内親王は吉野皇后、吉野皇太后などと呼ばれている。また非業の死を遂げた人々を慰める為に催された御霊会や御霊社の創建は、それを物語っている。そしてこれは偶然なのだろうか。井上内親王の御陵は長岡京の真南に位置しているのだ。
* 井上内親王について思うこと *
井上内親王とは長らくのお付き合いとなります。きっかけは何だったのかもう覚えてはいないのですが、多分学生時代に熱烈に追いかけていた飛鳥時代よりは彼女の生きた時代というのが現在のももかのライフワークとなっているともいえるでしょう。また彼女の娘である酒人内親王についてはご存知の方もいらっしゃるかもしれないのですけど、ももかの「平安初期好き」を加速させた人物でもあるのです。実は彼女の絵を描くのが好きv
父・聖武天皇の御世といえば、長屋王の変とか藤原広嗣の乱とか恭仁京や信楽京への遷都とか大仏開眼(これは孝謙女帝の御世ですけど)とか天皇の母方の実家である藤原氏が絡んでくるいろんな興味深い事柄が多いのですけれど、その一方で同時に生きていた一皇女の生涯というのがこれまた興味深く思うのです。ちょっとした文献(例えば『太平記』で愛宕山でお話している姿とか)に出てくる変貌した彼女の姿もももかとしては要チェック。皇女であり斎王であり皇后であった彼女のイメージは、おっとりとしていて暖かな空気を持った人です。京の情勢に敏感に行動していた妹の不破内親王とは対照的。小さい時に家族から離れていた分だけより家族思いで、自分の居場所をちゃんと作っている母親なのです。
奈良県の五条市に彼女の御陵やその御霊信仰に基づく神社が多くあるのですが、また行けたら良いなと思っています。
番外→ 井上内親王のゆかりの地
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