このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

遠征その2

写真の上でクリックすると、大きな写真になります。

まつかぜ 新快速 日本海&はまかぜ 銀河
雷鳥 しなの 可部線  

無断転載厳禁

 

≪当時の想い出≫

1981年8月15日〜20日
1回目のひとり旅から丸1年が経過した。親のスネばかりかじってもいられないので、
バイトも始めた。バイト代で2回目の旅費を捻出した。
そして、1年前に誓った今回の目的地は広島。長崎で全身震えるような衝撃を受け
たのは、被ばくに関する様々な資料、写真でした。PINEの両親は戦前の生まれで、
戦中、戦後の辛さ、惨めさについてはよく聴いておりました。しかし実際に戦争の傷
跡を目の当たりにし、更に後遺症に悩まされ怯えている人が現在も病と闘っていると
聞き、当り前の様に享受していた『平和』の大切さを痛感しました。
長崎、広島での見聞が、現在のPINEの様々なものの考え方の原点になっているよ
うな気がします。
さて、今回の旅は大阪を中継点として、関西地区の車両の撮影も目的のひとつでし
た。出来映えが芳しくなかったため、HPへの画像のUPは少なくなってしまいました
が、手許には数十枚の写真が残っています。
大阪を中継点にしたのは、多客期で「銀河」しかブルトレのチケットを入手できなかっ
た為でもあります(往復銀河利用)。
しかし、20系の52cmB寝台は拷問としか思えない狭さでした。寝返りがうてないの
には参りました。20系への乗車はこれが最初で最後になったので、今にして思えば
いい想い出ではありますが。
更に、復路ではA寝台に乗車した。お金を稼ぐ辛さが身に染みている現在では、とて
もこんな贅沢は出来ない。ふざけたガキである>自分。
これ以降、寝台車を使った旅は、1989年の「北斗星」まで封印される。旅費が安く
あがるような計画に、満足を感じるようになったからです。当然、宿泊費を浮かすた
めに、夜行急行の自由席や各停の利用が増えていく。
遠征その3 へ続く。

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください