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≪当時の想い出≫
1983年9月14日〜19日 |
今回のテーマは日本三景。小学生の頃、東北地方に住む親戚に連れられて松島 を観光し、2年前には広島から少し足を伸ばし宮島で鹿と遊んできた。残るひとつ は天橋立である。「 遠征その1 」でも書いたが、このころはまだまだ純粋に鉄道を 使いながら、名勝めぐりを行っていた。それでも鉄道7に対して観光3位の割合で はあるが。 今回使用したアシは殆ど各停である。周遊券を使用したので、篠山口〜天橋立 では急行の自由席を利用したが、特急券、寝台券の類は購入しなかった。 あっ、ウソだった。往路の東京〜大垣夜行(345M)でG車を使っていた。現在の 快速「ムーンライトながら」の前身である。345Mは当時急行に使用していた165 系車両だったので、G車もそこそこのグレードで、各停であるためにG料金も安く、 鉄道旅行派にとって価値ある列車だった。 そのため、この後2回、旅の入り口として345Mを利用した。 今回夜行列車を使用したのは、345Mと「 山陰 」の2列車である。「山陰」は普通 列車ながら、寝台車を連結しているために列車名をもつ数少ない存在の列車で した(みどりの窓口で寝台券の発券業務をスムーズにするためです)。 この旅行から旅費を安くするための工夫が始まりました。「山陰」を利用したのも そのひとつです。宿泊費が浮き、1日をフルに使えます。わざわざ、山陰本線を逆 行して周遊範囲ギリギリの城崎まで下り、城崎から京都行きの「山陰」に乗車しま した。列車内での睡眠時間をより長く確保するための涙ぐましい努力です(T_T)。 しかし、今にして思えば10系寝台車に乗る最後のチャンスだったんだよな〜。 寝台券も手許に残るし、いい記念になったよな。と、今ボヤいても当時は旅費を1 円でも安くすることしか考えていなかったので、寝台車に乗る発想すら無かったと 記憶しています。チョット悔しい。 復路は東海道本線の各停を乗り継ぎ(すっげ〜ヒマ人)、途中静岡(新静岡)〜 清水(新清水)間は静岡鉄道というアクセントも織り込みました。 そして、今回の列車三昧の旅のエピローグは、小田原からロマンスカー乗車で締 くくりました。 3回目にしてブルトレから卒業し、東海道線、北近畿地方の電車、気動車、客車 を私鉄を含め満喫できました。 遠征その4 では、訳あって再び九州です。1週間の遠征の中から厳選した13枚を 公開予定です。 |
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