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≪当時の想い出≫
1985年2月20日〜26日 |
さて、2度目の九州です。5年前はひたすらブルートレインに乗りたくて選択した 九州でした。ですから、滞在時間も短く博多と長崎の市内観光程度でした。 しかし、今回はじっくり腰を据えて、九州北西部地方の観光並びにローカル線 巡りを行うことができました。 でも何故、宿泊費の捻出もままならない貧乏PINEが、そんなに長い期間遠征 できたのか? 長期滞在のからくりは、PINEの親友がこのころ博多の駅前に居を構えていた からであります。早朝、深夜に博多駅へ突入しての列車撮影。親友宅に約1週 間転がり込んでのわがまま三昧によって、今回UPした貴重な写真を得ること が出来ました。最近では、当HPに意見や要望を寄せてくれており、感謝の気 持ちで一杯です。 この頃国鉄は民営化を控え、不採算ローカル線の廃止が進んでいました。UP した 甘木線 は3セクに移行して鉄路は生き残ったものの、 室木線 や 勝田線 は 廃線となりました。炭坑で賑わった路線も役目を終えたとういことか。鉄道ファ ンにとっては残念なことです。 今回の写真で、ヘッドマーク付交流ELを撮影出来たのは嬉しかった。PINEの 住む近辺は直流電化区間のため、交直両用のEF81などは使用されているが 、交流専用ELは馴染みが薄かった。しかもブルトレヘッドマーク付。初めて列 車の写真を撮った6〜7年前と同じ様な興奮をおぼえた。 今、2001年5月号の時刻表を眺めているが、ブルトレも随分様変わりしたも のである。最盛期3往復を誇り筑豊本線経由の列車もあった「 あかつき 」は、 彗星と併結されて1往復。「 みずほ 」は名前が消滅した。一番のショックは、19 58年ブルトレ第一号として産声をあげた「あさかぜ」が、下関止まりで1往復に なっていたことだ。 ブルトレの代表といっても良い「 あさかぜ 」、伝統列車の火が消えないでもらい たいものである。 遠征その5 では、再び 遠征その3 のような安上がり計画で、中部地区への遠征 です。3セク移行路線の3枚を含め12枚をUPする予定です。 |
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