このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

遠征その7

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大阪編

新快速 雷鳥 はまかぜ

 

碓氷峠編

あさま あさま あさま

無断転載厳禁

 

≪当時の想い出≫

大阪  1992年8月12日〜15日
碓氷峠1997年6月
ご欄の通り、JRAメインレース後の最終レースの如く淋しい最終回です。時期の異なる
2つの遠征を寄せ集めて、無理矢理仕立てました。
大阪編から。もうこの当時には完全に「旅行=旅打ち」になっていましたから、鉄道写
真は移動の合間に撮影する、オマケ的な存在になってました。それでもこの時は、園
田&笠松競馬の中日に天橋立観光を1日挟むなど、旅打ち色を薄めた構成にしまし
た。
前回も述べましたが、1989年の「 遠征その6 」北海道遠征を起点に、1990年新潟&
三条&高崎遠征、1991年京都&名古屋遠征、1993年水沢(2回目)&上山遠征と
5年連続して旅打ちメインの遠征を行い、競馬場行脚全国制覇を目指し始めました。
この後も単発的に南関東4場、足利、宇都宮、盛岡、金沢遠征等を重ね昨年の九州
遠征に至ってます。昨年の九州遠征では、鉄道写真を少し撮影してきましたので、別
の機会に発表したいと考えています。
碓氷峠はご存知の通り、長野五輪を機に長野新幹線が開通し、引き替えに切り捨て
られた鉄道文化遺産です。66パーミル(1000m進むと66m上昇または下降)という
日本最大の急勾配を、補助機関車の手助けを得ながら上り下りする、鉄道ファンに人
気の区間でした。撮影に行った時期が悪く(梅雨期)あいにくの天気でしたが、現在で
はもう撮ることの出来ない貴重な数枚を収めてきました。

 

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