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Wed, 18 Dec 2002 

こだま通信 第3号

 2002年もいよいよ押詰まってきましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。 今回から「韓国ソウル市内の点描」ということで、ソウル市内の見たまま感じたままをお伝えします。  

○私自身の韓国交流は、韓国が経済発展を背景に国際社会に仲間入りを始めてからのことでして、外交的にはビザ無し渡航が認められてからのことです。それまでは麻布にありました大韓民国領事館に行って面倒な手続きをしていたのです。当時の市販の観光案内書もまだ混乱していて、新刊の案内書でも ビザ発給手続きのため領事館に行くように書いてあるものがあり、わざわざ確認に行ったことを記憶しています。外貨持ち込み制限枠が大幅に緩和後でしたが、この点ついても情報が混乱していて、銀行に問い合わせても一様な回答は得られませんでした。

○韓国の通貨はウォンですがレートが不安定のため、日本の銀行はリスクを恐れてか両替をしてくれません。 現在、成田空港ではウォンを買えますがドルやユーロに比べればまだ少数派です。日本では一時期、自動販売機に変造の500ウォン硬貨が大量に使われ社会問題になりましたが、100ウォンは日本の100円硬貨にそっくりですし、500ウォン硬貨は500円玉にそっくりのデザインです。そのような韓国のイメージは決して良くはありませんが、それゆえに韓国政府は一大観光キャンペーンを始めたのだと思います。ちょうどそのような雰囲気の中で私のソウル訪問が始まったのです。  

○韓国の国際空港は現在はイーチョン空港ですが、それ以前はキンポ空港でした。キンポ空港とソウル市内を結ぶ交通はリムジンバスですが、現在は地下鉄も走っています。リムジンバスは新しく、各座席には液晶TVが付いていましたが、そのTVも現在は残骸のみでまったく見ることはできません。 当時、市内でカメラを持ち歩くことは厳禁と言われていましたが、現在はレンズ付きフィルムをコンビにでも売っていますので、軍事基地を除いてはほとんど自由のようです。キンポ空港は軍民共用ですが、空港警備は若い兵士が担当していました。鉄かぶとはかぶっておらず、戦闘帽・軍服・警棒という装備でした。

○過去、1950年から1953年までの朝鮮戦争ではプサン附近まで北朝鮮の軍隊が押し寄せてきた歴史があり、韓国の人々は北の動きにはとりわけ敏感です。その反面、たびたび起こる北との衝突については慣れっこになっている面があり、たとえばイーチョン附近で潜水艦が座礁し北の兵士が上陸したときも落ち着いていました。ただ、金日成が死亡したときは韓国人の神経は大変緊張していました。  そのころの訪韓時の記憶ですが、原子力病院内のあちこちで仕事を放り出した職員が、あちらこちらで新聞を中心に議論をしている姿が印象的でした。知り合いの研究者に尋ねると「次の金正日がどのような政治手法を使うのかに最大の関心を持っているのだ」と説明してくれました。ちょうど成田出発 直前の朝刊で死亡のニュースが出て、日本の論調も北の侵攻を危惧していましたので大いに心配でした。

○しかし1週間や2週間で空港閉鎖にはならないであろうと考え、もしそのような場合でも日本のニュースが聞けるよう短波ラジオを用意して行きました。そのことを韓国の友人に打ち明けると、即座に「すぐに地下鉄の駅に隠れるようになっているので安全です。食糧も水も十分用意してあります」と答えが返ってきました。ノーベル賞の授賞式で有名なスエーデンのストックホルムでも核戦争に備え、地下に退避壕が掘られており、公園や住宅街にはきれいな門構えの退避壕入り口が用意されています。地下鉄は地上より深く掘られており、壁面のデザインは堅い岩盤を想定したプラスチックの壁材ですが、心理的に安心感を演出していたことを思い出しました。  

○ソウル市内の乗り物ですが、私は地下鉄が一番気に入っています。地下鉄を除いてはタクシーがその次に安くて便利ですが、ソウル市内は一方通行が多く、ちょっと道を間違えても遠回りをしていくのでそのような場合は割高です。私は韓国のことばであるハングルはまったくしゃべれないのですが、現在は携帯電話による翻訳サービスがあるので安心です。外国では身振り手振りでも通じますので、奥さんや子供さんと一緒にパントマイムの練習をしておいたらどうでしょうか。娯楽と実益を兼ねたボデイランゲージの練習によって、海外旅行を何倍も楽しくできると思いますよ。この話と逆ですが、韓国人のお年よりはほとんどの方が日本語を話したり、理解したりできるようです。その理由は皆さんはよくご存知のとおり、日本の統治下に長く置かれてきたためです。1945年の日本の敗戦以降、韓国の人々は日本占領以前の李王朝時代のことばで話し、書くことができるようになりました。大勢乗った電車の中で、お年寄りに、日本語で「どうか座ってください」と言われたときは、一瞬相手が日本語で言ったのかどうか耳を疑いました。

○さて、今回はソウル市内点描ということで、韓国旅行事始と乗り物のお話をさせていただきました。次回はショッピングよもやま話をさせていただきます。 では皆様良いお年をお迎えください。来年は私の年、未年です。「めえ〜」。

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