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鎌倉夢語り 〜 大姫 編 〜
〜 秋 葉月の出来事 真澄みの想い 〜
はじめに。
この物語の主な登場人物の年齢です。
大姫は、十二歳。
海野小太郎幸氏は、十七歳。
北条政子は、三十三歳。
源義経は、三十一歳。(※名前のみ登場)
河越重頼の娘[仮名−真澄]は、約二十二歳。(※名前のみ登場)
以上を想定して書きました。
物語の世界へどうぞ・・・
今は秋。
ここは、鎌倉。
日中は暑さを感じる時があるが、陽が沈むと暑さを感じなくなってきている。
ここは、小御所。
大姫の部屋。
大姫は微笑んで居る。
海野小太郎幸氏が部屋を微笑んで訪れた。
大姫は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎。明日だけど、鶴岡八幡宮に出掛けたいの。供を頼んでも良いかしら?」
海野小太郎幸氏は大姫に僅かに困惑して話し出す。
「明日は、政子様が数名の御所の女房に、奥州征伐の勝利の祈願のために、鶴岡八幡宮で御百度参りをさせます。人選や準備などのために、落ち着かない時間が多いと思います。鶴岡八幡宮に出掛けるのは難しいと思います。」
大姫は海野小太郎幸氏に僅かに不機嫌に話し出す。
「私は、お父様のために、お母様のために、出掛ける予定を諦める必要があるのね。」
海野小太郎幸氏は大姫に僅かに困惑して話し出す。
「政子様は鎌倉のために鶴岡八幡宮に祈願します。私事の祈願に該当しないと思います。」
大姫は海野小太郎幸氏に僅かに不機嫌に話し出す。
「お父様も、お母様も、偉くなったから、本人は御百度参りをせずに、御所に勤める女房に御百度参りを頼むのね。さすがだわ。」
海野小太郎幸氏は大姫を困惑して見た。
大姫は海野小太郎幸氏に僅かに不機嫌に話し出す。
「お父様の野望とお母様の野望のために、幾人もの御家人が戦いに巻き込まれているわ。御百度参りは必要な行為だわ。御百度参りの邪魔は出来ないわ。明日は鶴岡八幡宮に出掛けないわ。」
海野小太郎幸氏は大姫を僅かに困惑して見た。
大姫は海野小太郎幸氏に僅かに不機嫌に話し出す。
「小太郎。明日はたくさん話しましょう。」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「私が大姫様の愚痴を聞きます。大姫様は思い切り愚痴を話してください。」
大姫は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎。今の話を本気にして良いの?」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
大姫は海野小太郎幸氏を微笑んで見た。
海野小太郎幸氏も大姫を微笑んで見た。
翌日の事。
ここは、小御所。
大姫の部屋の前に在る庭。
季節の花が咲いている。
大姫は微笑んで居る。
海野小太郎幸氏も微笑んで居る。
北条政子が微笑んで訪れた。
海野小太郎幸氏は北条政子に微笑んで軽く礼をした。
大姫は北条政子に僅かに不機嫌に話し出す。
「お母様。今日は忙しいわよね。何のために来たの?」
北条政子は大姫に困惑して話し出す。
「大姫が小太郎と庭で楽しく話す姿が見えたら来たの。」
大姫は北条政子に僅かに不機嫌に話し出す。
「今日は小太郎を供にして鶴岡八幡宮に出掛けたいと思ったの。今日は御所に勤める数人の女房を鶴岡八幡宮で御百度参りさせるそうね。お父様の野望とお母様の野望のために、幾人もの御家人が戦いに巻き込まれているわ。御百度参りの邪魔は出来ないわ。今日は鶴岡八幡宮に出掛けず、小太郎と庭で話すと決めたの。」
北条政子は大姫を困惑して見た。
大姫は北条政子に僅かに不機嫌に話し出す。
「お母様が現れるまでは、小太郎と庭に咲く花を見ながら楽しく話していたの。」
北条政子は大姫に困惑して話し出す。
「大姫。ご免なさい。」
大姫は北条政子に僅かに不機嫌に話し出す。
「お母様。何に対して、私に謝っているの?」
北条政子は大姫を困惑して見た。
大姫は海野小太郎幸氏に僅かに不機嫌に話し出す。
「小太郎。お母様は、侍女に大切な用事を頼んだから、暇だと話しているわ。お母様の話し相手になりなさい。」
海野小太郎幸氏は大姫を困惑して見た。
大姫は僅かに不機嫌に居なくなった。
北条政子は海野小太郎幸氏に申し訳なく話し出す。
「小太郎は大姫の気持ちを明るくするために努力している最中だったのね。」
海野小太郎幸氏は北条政子に微笑んで話し出す。
「大姫様は庭で咲く花を見ながら、楽しく話していました。私は努力していません。」
北条政子は海野小太郎幸氏を微笑んで見た。
海野小太郎幸氏も北条政子を微笑んで見た。
北条政子は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「大姫の気持ち、奥州征伐に加わる御家人、奥州征伐に加わる家族の気持ち、などを考えると、私は寂しい姿を見せられないわ。奥州征伐は鎌倉側が優勢との報告が届いているわ。優勢の報告が届く状況では、今の私の立場では、鶴岡八幡宮に出掛けて御百度参りを出来ないわ。」
海野小太郎幸氏は北条政子に微笑んで軽く礼をした。
北条政子は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「大姫は、奥州征伐に関しても、たくさんの内容を思っているのね。」
海野小太郎幸氏は北条政子に微笑んで軽く礼をした。
北条政子は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎。今日は大姫の傍に居てあげて。」
海野小太郎幸氏は北条政子に微笑んで軽く礼をした。
北条政子は海野小太郎幸氏に微笑んで頷いた。
北条政子は微笑んで居なくなった。
海野小太郎幸氏は微笑んで居なくなった。
僅かに後の事。
ここは、小御所。
大姫の部屋。
大姫は僅かに不機嫌に居る。
海野小太郎幸氏は部屋を微笑んで訪れた。
大姫は海野小太郎幸氏を不思議な様子で見た。
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「政子様と話す時間と大姫様と話す時間。政子様が楽しい時間に感じる方を答えて欲しいと話しました。私は大姫様と話す時間が楽しいと答えました。政子様が大姫様の傍に行くように話しました。私は大姫様と楽しく話すために戻ってきました。」
大姫は海野小太郎幸氏に心配して話し出す。
「小太郎。明確に答えて大丈夫なの?」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「今の私の話は嘘です。」
大姫は海野小太郎幸氏に不思議な様子で話し出す。
「小太郎。何故、嘘を付いたの?」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「大姫様と長く話すためです。」
大姫は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎の気持ちが分かる嘘に思うわ。小太郎の気持ちが分からない嘘にも思うわ。」
海野小太郎幸氏は大姫を微笑んで見た。
大姫は海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎。明日、鶴岡八幡宮に出掛けましょう。」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで軽く礼をした。
大姫は海野小太郎幸氏を微笑んで見た。
翌日の事。
ここは、鶴岡八幡宮。
境内。
大銀杏の傍。
大姫は微笑んで居る。
海野小太郎幸氏も微笑んで居る。
大姫は大銀杏を微笑んで見た。
海野小太郎幸氏は大姫と大銀杏を微笑んで見た。
大姫は大銀杏を寂しく見た。
海野小太郎幸氏は大姫を心配して見た。
大姫は大銀杏を見ながら、海野小太郎幸氏に寂しく話し出す。
「小太郎。義高様と私と小太郎は、お父様の野望とお母様の野望のために、人生が大きく変わったわ。義経様と真澄も、お父様の野望とお母様の野望のために、人生が大きく変わったわ。」
海野小太郎幸氏は大姫を心配して見た。
大姫は大銀杏を見ながら、海野小太郎幸氏に寂しく話し出す。
「私も真澄も、お父様の思惑とお母様の思惑のために、お父様が敵視する男性と繋がり、人生が大きく変わったわ。真澄に質問したいわ。真澄と話したいわ。」
海野小太郎幸氏は大姫を心配して見ている。
大姫は海野小太郎幸氏を見ると、海野小太郎幸氏に微笑んで話し出す。
「小太郎と楽しく話しながら大銀杏を見るために鶴岡八幡宮を訪れたのに、小太郎と楽しくない内容を話しながら大銀杏を見ているわね。」
海野小太郎幸氏は大姫に微笑んで話し出す。
「大姫様。無理をせずに、話したい内容を話してください。」
大姫は海野小太郎幸氏を微笑んで見た。
海野小太郎幸氏も大姫を微笑んで見た。
大姫は大銀杏を微笑んで見た。
海野小太郎幸氏は大姫と大銀杏を微笑んで見た。
奥州藤原氏が滅亡するのは翌月の文治五年九月三日の出来事になる。
すると、どこかから囁くような声が聞こえてきた。
「義高様・・・」
「鎌倉側は、義経様を許し無く討ったとして、奥州征伐を始めています・・・」
「昨日の鶴岡八幡宮の御百度参りを、複雑な思いで受け取ってしまいます・・・」
「私には難しい出来事が続きます・・・」
「義高様・・・」
「真澄に質問したいです・・・」
「真澄と話したいです・・・」
「義高様に質問したいです・・・」
「義高様と話したいです・・・」
「義高様・・・」
「私と小太郎は、様々な姿を見せる大銀杏を見ながら、鎌倉で待っています・・・」
* * * * * *
ここからは後書きになります。
「河越重頼の娘(名前不祥)(“鎌倉夢語り”では“真澄”)」は、源義経の正室です。
源義経の正室ですが、名前や生没年が分かりません。
源義経が奥州で亡くなった時に一緒に居た女性と同一人物らしいと伝わるため、この女性の年齢から河越重頼の娘の年齢を想定してドラマや小説などに登場しています。
源義経は、文治五年閏四月三十日(1189年6月15日)に奥州で亡くなったと伝わっています。
源義経が亡くなった時には、女性と幼い女の子も一緒だったと伝わっています。
幼い女の子は、源義経と女性との間に生まれた子と伝えられています。
源義経は三十一歳、女性は二十二歳くらい、幼い女の子は四歳くらい、で亡くなったと伝わっています。
この女性の詳細は分かっていません。
そこから、源義経が亡くなった時に一緒に居た女性は、河越重頼の娘との説が広まりました。
鎌倉に源義経が亡くなった報告が届いたのは、文治五年五月二十二日(1189年7月7日)だそうです。
鎌倉側が源義経の亡くなった確認をしたのは、文治五年六月十三日(1189年7月27日)で、場所は「腰越浦」だそうです。
鎌倉側は亡くなった人物が源義経本人かはっきりと確認できなかったそうです。
この一連の経緯から、源義経は生きている伝説が広まったと考えられています。
源頼朝は、源義経を許可無く討伐した事を理由に、奥州征伐を奏上しました。
後白河法皇は、院宣の発給をしませんでした。
大庭景義は、奥州藤原氏は源氏の家人なので、家人の誅罰に勅許は不要などと主張します。
源頼朝は、大庭景義の主張を受けて、全国に動員令を発します。
源頼朝は、文治五年七月十九日(1189年9月1日)に奥州征伐のために鎌倉を出発しました。
後白河法皇は、この日付で藤原泰衡追討の院宣を発給したそうです。
奥州藤原氏は、文治五年九月三日(1189年10月14日)に滅亡したと伝わっています。
源頼朝に藤原泰衡追討の院宣が届いたのは、文治五年九月九日(1189年10月20日)だそうです。
源頼朝が平泉を発ったのは、文治五年九月二十八日(1189年11月8日)そうです。
源頼朝が鎌倉に到着したのは、文治五年十月二十四日(1189年12月3日)そうです。
源頼朝は、奥州征伐を終えて、全国統一を完了した事になります。
源頼朝は、藤原泰衡追討に不参加の御家人には処罰を行ったそうです。
文治五年八月十日(1189年9月21日)、北条政子は、御所の数人の女房を、奥州征伐の勝利祈願のために、鶴岡八幡宮に御百度参りをさせたそうです。
この物語は、この日の前日から数日後までの出来事を想定して書きました。
この物語より前の出来事になりますが、海野小太郎幸氏の父と兄の一人は、源義仲(源義高の父)に従い、戦いの中で亡くなっています。
この物語は、海野小太郎幸氏が奥州征伐に参加した詳細が分からないため、奥州征伐に海野小太郎幸氏が参加していない前提で書きました。
この物語は「鎌倉夢語り 大姫 編 秋の出来事 真澄みの想い」より後の出来事として書きました。
「真澄み(ますみ)」は「非常に良く澄んでいること」です。
「葉月(はづき)」は「陰暦八月の異称」です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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