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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~
~ 文紡ぎ 南呂 天照る月 妹を偲はむ ~
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]
「久方の 天照る月の 隠りなば 何になそへて 妹を偲はむ」
「万葉集 第十一巻 二四六三番」より
作者:詠み人知らず
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、八十二の月になっている。
暦は八月になっている。
季節は仲秋になっている。
今は十五夜の前になる。
昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
様々な思惑が複雑に絡まる中の仲秋になる。
ここは、甲斐の国。
一日の中で暑さを感じる時間が多い。
早朝や陽が沈むと僅かに暑さが和らぐ。
秋の気配が僅かずつ増えていく。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は普通に居る。
菊姫が部屋を微笑んで訪ねた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫に微笑んで囁いた。
「お松。外出する展開にするために、歌の質問をした時に、考え中と返事をしてね。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。今日も暑いわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。今月は、中秋の名月を楽しめるわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「十五夜に詠む歌は決まった?」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「考え中です。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「外出して、歌の題材を探しましょう。少し経ったら、外出しましょう。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで頷いた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
暫く後の事。
ここは、松姫の乳母の家。
一室。
商品が広げてある。
菊姫は微笑んで居る。
松姫も微笑んで居る。
商人は普通に居る。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商人に微笑んで頷いた。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は商人を微笑んで見た。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。
久方の 天照る月の 隠りなば 何になそへて 妹を偲はむ
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
菊姫は商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「お松。様々な出来事が起きている。お松にとって穏やかな仲秋を願う日が続く。私は元気に過ごしている。安心してくれ。お松が私の言葉を聞く時は、十五夜の前だと思う。お松に十五夜にちなんで月を詠んだ歌を贈りたいと思った。お松を想いながら、十五夜の月を見たい。十五夜に月が見られるように、夜空に願って過ごす。お松の傍で、来年の十五夜の月を見ながら過ごす希望を抱いて過ごす。少しずつ過ごしやすい時間が増えると思う。無理をせずに過ごしてくれ。命を大切に過ごしてくれ。」
菊姫は松姫と商人に微笑んで話し出す。
「長い伝言が続くわね。お松を想う気持ちが伝わるわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫を微笑んで見た。
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「気遣い感謝しています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「今回の伝言も長いです。覚える行為が、更に大変だと思います。私への気遣いも含めて、何時も感謝しています。ありがとうございます。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。姫様は奇妙様の想い人です。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」
菊姫は商人を微笑んで見た。
松姫も商人を微笑んで見た。
商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「奇妙様の気持ちの伝わる歌です。さすがです。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。安心してお過ごしください。十五夜にちなんだ月を詠んだ歌の贈り物。ありがとうございます。私も、奇妙様の傍で、来年の十五夜の月を見ながら過ごす希望を抱いて過ごします。私も夜空に十五夜の月を見られるように願います。今年の十五夜は、奇妙様から頂いた贈り物の歌を心の中で詠みます。奇妙様も無理をせずに気を付けてお過ごしください。奇妙様も命を大切にお過ごしください。松より。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人に恥ずかしく小さい声で話し出す。
「今回も長い返事になりました。」
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「想いの伝わるお返事です。長いお返事に感じません。奇妙様に一言も間違えずにお伝えします。ご安心ください。」
菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。
「お松。良かったわね。」
松姫は小さい紙を持ち、菊姫に微笑んで小さい声で話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫を普通の表情で見た。
菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品ね。購入するわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。
菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。
松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品です。購入します。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。
松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
数日後の事。
ここは、躑躅ヶ崎館。
一室。
一室の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。
「報告は終わりか?」
「はい。」
「今後も報告を頼む。」
「はい。」
「お菊。お松が縁談の話を受ける気持ちにならないのか? お松の心変わりを早める方法は無いのか?」
「お松は、父上も母上も、慕い尊敬しています。父上が縁談を決めて、父上からお松に伝えた縁談です。父上も母上も、想い続ける気持ちが、武田家のためになると話しました。父上はお松に縁談の破棄を話していません。お松にとって、新たな縁談の話を受けられない気持ちが続いています。無理矢理に心変わりを起こす方法は、お松が落ち込むか、お松が頑なになります。」
「織田家が、伊勢長島一向一揆の討伐を行う。お松の言動に更に気を付けて欲しい。」
「お松が疑心暗鬼になると、織田家に味方する可能性が有ります。別な意味で危険です。お松の言動に引き続き注意しますが、お松に明らかに分かる状況は避けたいです。」
「分かった。お松が疑わない程度に、お松の言動への注意を少し強めてくれ。」
「分かりました。」
暫く後の事。
ここは、甲斐の国。
夜空には、綺麗な月が輝いている。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
菊姫の部屋の前に在る縁。
菊姫は夜空を微笑んで見ている。
松姫も夜空を微笑んで見ている。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫も菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫に微笑んで囁いた。
「お松。月を見ながら、心の中で歌を詠んだのね。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「はい。」
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は夜空を微笑んで見た。
菊姫は松姫と夜空を微笑んで見た。
「久方の 天照る月の 隠りなば 何になそへて 妹を偲はむ」
十五夜を行う月になっている。
仲秋になったが、夏の名残が少し残る時間がある。
仲秋の間も、様々な思惑の中で時が過ぎていく。
松姫と織田信忠は、十五夜の月を見ながら、想いを紡いでいる。
仲秋は、強い想いの中で、様々な思惑の中で、ゆっくりと過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第十一巻 二四六三番」
「久方の 天照る月の 隠りなば 何になそへて 妹を偲はむ」
作者は「詠み人知らず」
ひらがたの読み方は「ひさかたの あまてるつきの こもりなば なになそへて いもをしのはむ」
歌の意味は「空に輝く月が隠れてしまったら、何をみてあの娘のことを偲べばよいのでしょうか。」となるそうです。
原文は「久方 天光月 隠去 何名副 妹偲」
「久方の(ひさかたの)」は、「天(あめ)」、「雨(あめ)」、「月(つき)」、など、「空(そら)」に関する言葉を導く枕詞です。
「十五夜(じゅうごや)」と「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」についてです。
「陰暦の八月十五日の夜。満月の夜。」をいいます。
別名には「芋名月(いもめいげつ)」があります。
この時期は、古来より観月に最も良い時節とされています。
秋や冬は空気が乾燥して月が鮮やかに見える事、それに、夜でもそれほど寒くないために、名月として観賞されるようになったそうです。
中国にも同様の風習が唐の時代に確認されているそうです。
更に古くからある事も考えられます。
日本には九世紀から十世紀の頃に渡来したそうです。
貴族を中心に行なっていたそうですが、後に武士や町民にも広まったそうです。
酒宴を開いたり、詩や歌を詠んだり、薄を飾ったり、月見団子・里芋・枝豆・栗などを持ったり、お酒を供えて月を眺めたそうです。
「お月見料理」というそうです。
中国では「月餅」を作ってお供えするそうです。
「月餅」が日本に来て「月見団子」に変わったそうです。
お月見が一般的に行なわれるようになったのは、江戸時代からだそうです。
お月見団子は一般的には自分の家庭で作るそうです。
お月見団子の数は、その年の月の数だけ供えるそうです。
2013年の「中秋の名月・十五夜」は、「2013年9月19日」だそうです。
ご確認ください。
風習の関係から、この「十五夜」の物語の他に「十三夜」の物語も掲載予定です。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。
ご了承ください。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。
高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。
武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、過信などの意見を聞かないようになったそうです。
理由は二つの説が考えられています。
一つの説、自信過剰になった。
一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。
以上の二つの説が有ります。
武田軍の関連についてです。
天正二年(1574年)八月についてです。
大きな動きはありません。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
ご了承ください。
織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。
浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。
織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正二年(1574年)七月から八月の織田家の動きを簡単に説明します。
天正二年七月十九日(1574年8月5日)、伊勢長島一向一揆の討伐のために、岐阜城を出陣します。
天正二年八月五日(1574年8月21日)、長岡藤孝に本願寺一向宗を根切りにするように命じます。
その時に、明智光秀と策を立てるようにも命じているようです。
「南呂(なんりょ)」についてです。
主に二つの意味があります。
「中国音楽の十二律の一。基音の“黄鐘”(こうしょう)より九律高い音。日本の十二律の“盤渉”(ばんしき)にあたる。」
「陰暦八月の異称」
以上です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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