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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~
~ 文紡ぎ 建午の月 君にたぐひてこの日暮らさむ ~
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文のみの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]
「ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ」
「万葉集 第四巻 五二〇番」より
作者:詠み人知らず
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、九十一の月になっている。
暦は五月になっている。
季節は仲夏になっている。
一昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
様々な思惑が複雑に絡まる中の仲夏になる。
ここは、甲斐の国。
天気のはっきりとしない日が始まるようになった。
雨の降る時間の長い頃に咲く花を見る機会が増え始めた。
今日は雨の降る気配は無い。
前の月に、武田家は、一万五千の兵を率いて、三河侵攻のために甲斐の国を出発した。
菊姫も松姫も、落ち着かない日が続いている。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫は普通に居る。
菊姫は部屋の中に困惑して入ってきた。
松姫も菊姫を困惑して見た。
菊姫は松姫に困惑して話し出す。
「お松。落ち着かない時が続いていると思うの。」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「私は大丈夫です。」
菊姫は松姫に普通に話し出す。
「外出したいの。私がお松の傍に常に居る状況になるけれど、お松も一緒に外出して欲しいの。」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に普通に話し出す。
「お松。準備が出来たら、外出しましょう。」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を普通の表情で見た。
松姫も菊姫を普通の表情で見た。
少し後の事。
ここは、松姫の乳母の住む家。
一室。
部屋の中には、商品が広げてある。
菊姫は普通に居る。
松姫も普通に居る。
商人も普通に居る。
松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様。前の月からの武田家の行動を知っているのでしょうか?」
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「知る部分。知らない部分。様々だと思います。」
松姫は商人を困惑して見た。
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「今は様々な場所で戦が起きています。突然に味方になります。突然に敵になります。危険な状況でなければ、奇妙様の話を伝えて、姫様の返事を聞いて戻るように頼まれています。甲斐の国内の様子や甲斐の周辺の国の様子を、伝える内容は頼まれていません。」
松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「お気遣いありがとうございます。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「時間が無くなると困ります。今までのように始めます。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は商人を微笑んで見た。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。
ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
菊姫は商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「お松。元気で過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。今は、予想していたような、予想外のような、状況の中に居る。様々に変わる状況が続いている。お松が辛い想いをしていないか心配だ。雨の降る時間が増える気配が有る。今回は雨に想いを重ねる歌を贈り物に選んだ。私はお松を想い続けている。私はお松の傍で過ごしたい気持ちは変わらない。私は、お松が心配しないように、お松に逢うために、元気に過ごす。お松。命を大事に過ごしてくれ。体に気を付けて過ごしてくれ。」
松姫は小さい紙を持ち、商人微笑んで小さい声で話し出す。
「長い伝言を覚える行為。大変ですよね。ありがとうございます。」
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「凄い記憶力です。何時も感心します。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」
菊姫は商人を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。私も奇妙様に逢いたい気持ちを抱いて過ごしています。私も奇妙様を想い続けています。“ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ”。歌の贈り物。ありがとうございます。歌に重ねる想いが心の中に強く伝わってきます。雨の降る様子を見ながら、心の中で贈り物の歌を詠みます。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。松より。」
商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品ね。購入するわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。
菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。
松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品です。購入します。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。
松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
幾日か後の事。
ここは、甲斐の国。
空が雨の降る気配を見せている。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は普通に居る。
部屋の外が騒がしくなった。
松姫は部屋の外を不安な様子で見ようとした。
菊姫が部屋の中に困惑した様子で入ってきた。
松姫は菊姫を不安な様子で見た。
菊姫は松姫に困惑して話し出す。
「お松。先日、勝頼兄上が、織田家と徳川家の連合軍の陣地に突撃したそうなの。突然の結果、甲斐の軍勢は、多くの武将と多くの兵を失ったらしいの。勝頼兄上は、数百の兵に守られて陣地から離れたそうなの。」
松姫は菊姫を驚いた表情で見た。
菊姫は松姫を抱くと、松姫に不安な様子で小さい声で話し出す。
「お松が信忠様を想い続けている気持ちは広く知られているわ。お松に今後に起きる展開は想像以上になる可能性が有るわ。お松は様々な方面に注意を払ってね。私はお松を出来る限り助けるわ。」
松姫は菊姫に不安な様子で小さい声で話し出す。
「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に不安な様子で小さい声で話し出す。
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで小さい声で話し出す。
「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「姉上。ありがとうございます。」
菊姫は松姫を微笑んで放した。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫を真剣な表情で見た。
松姫も菊姫を真剣な表情で見た。
菊姫は松姫に真剣な表情で話し出す。
「お松。甲斐の国の領民や家臣の中で、動揺する人物が現れるかも知れないわ。甲斐の周りの国が更に様々な思惑に包まれるわ。私もお松も、気をしっかりと持って過ごしましょう。」
松姫は菊姫に真剣な表情で話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を真剣な表情で見た。
松姫も菊姫を真剣な表情で見た。
「ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ」
雨の降る時間が増えている仲夏。
様々な思惑が乱れながら時が過ぎていく。
武田家と織田家が、更に複雑に絡んだ状況になっている。
武田家にとって、織田家にとって、更に大きな時の流れが始まる気配を見せている。
松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中でも、想いを紡いでいる。
松姫と織田信忠は、雨に想いを重ねながら、想いを紡いでいる。
仲夏の時間は、様々な想いの中でも、様々な思惑の中でも、同じ時間の中で過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第四巻 五二〇番」
「ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ」
作者は「詠み人知らず」
ひらがなの読み方は「ひさかたの あめもふらぬか あまつつみ きみにたぐひて このひくらさむ」となるそうです。
歌の意味は「雨でも降ってくれたら良いのに。(そうしたら)雨で出かけずにあなたに寄り添って今日一日過ごしましょう。」
原文は「久堅乃 雨毛落<粳> 雨乍見 於君副而 此日令晩」
「ひさかたの」は、「天(あめ)、雨、月、など空に関する言葉を導く枕詞です。」
この歌の題詞には、「(雨障み 常する君は、ひさかたの・・・について)(※一つ前の番号の歌)後の人が追って同(こた)えた歌一首」とあります。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。
ご了承ください。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。
高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。
武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、過信などの意見を聞かないようになったそうです。
理由は二つの説が考えられています。
一つの説、自信過剰になった。
一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。
以上の二つの説が有ります。
武田軍の関連についてです。
天正三年(1575年)四月~五月についてです。
天正三年四月五日(1575年5月14日)、武田勝頼は三河への侵攻のために大軍(約15000)を率いて甲府を出立します。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、武田勝頼は長篠城を包囲します。
天正三年五月二十日(1575年6月28日)、武田軍は長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出します。
天正三年五月二十一日(1575年6月29日)、夜明けとともに、武田軍は織田軍・徳川軍の陣地に突入して戦います。
武田軍は織田・徳川の連合軍との戦いの中で、名のある武将、一万から一万二千の兵を失いました。
武田勝頼は数百の兵に守られて敗走します。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」に改名するのは後の出来事になります。
名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
ご了承ください。
織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」の日付、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正三年(1575年)四月~五月の織田家の動きを簡単に説明します。
天正三年四月初旬、池田勝正らが、織田側の堀城、堀城周辺を攻め落とします。
この動きに呼応して、三好康長などが高屋城に籠城します。
この頃、石山本願寺が挙兵します。
織田軍(武将は、柴田勝家、明智光秀、荒木村重、など)は、討伐のために、京都から河内に向かいます。
天正三年四月八日(1575年5月17日)、織田軍は三好康長を河内の高屋城を攻めます。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、三好康長が降伏します。
天正三年四月八日~四月二十一日のこの戦いは、「高屋城の戦い(たかやじょうのたたかい)」・「高屋・新堀白の戦い」・「第二次石山合戦」、などと呼ばれています。
天正三年四月下旬、織田信長は京都を出発して岐阜に戻ります。
織田信長が岐阜に戻った理由は、武田勝頼の三河への侵攻が関係しているようです。
天正三年五月十三日(1575年6月21日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岐阜を出発します。
天正三年五月十五日(1575年6月23日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岡崎城に到着します。
天正三年五月十八日(1575年6月26日)、織田軍の援軍の約三万、徳川家康の援軍の約八千が、設楽原に到着して陣を築きます。
武田家と織田家の間に起きている出来事を簡単に書きます。
天正三年(1575年)五月の初旬~下旬に、武田勝頼、織田と徳川の連合軍、の間で、「長篠の合戦」が起こっています。
戦いの結果は、武田軍の大敗で終わります。
鉄砲により敗北した説が広く知れていますが、兵の数の大きな差による大敗、武田軍の武将の離反、などの幾つかの説があります。
「建午(けんご)」についてです。
「五月の異称」です。
「“建”は、北斗七星の柄を指す方角を言います。旧暦の五月に“午”の方角を向きます。そこから名付けられました。月建(がっこん)の一つです。」
陰暦五月の別名の場合は、「建午月(“けんごげつ”、“けんごづき”)」、「建午の月(けんごのつき)」もあります。
「月建(がっこん)」についてです。
「陰暦の各月毎に、北斗七星の柄の先が夕方に指す方角を十二支に当てはめて名前を決めたもの。」です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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