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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~
~ 文紡ぎ 仲呂 卯の花と霍公鳥 我れ忘れめや ~
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文のみの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]、
「皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや」
「万葉集 第八巻 一四八二番」より
作者:大伴清縄(おおとものきよつな)
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、九十の月になっている。
暦は四月になっている。
季節は初夏になっている。
一昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
様々な思惑が複雑に絡まる中の初夏になる。
ここは、甲斐の国。
一日を通して過ごしやすい時間が続いている。
緑色の木々の葉、たくさんの花が、たくさんの場所で見られる。
今日は朝から晴れている。
数日前、武田家は、一万五千の兵を率いて、三河侵攻のために甲斐の国を出発した。
菊姫も松姫も、落ち着かない日が続いている。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫は普通に居る。
菊姫は部屋の中に困惑して入ってきた。
菊姫は松姫を普通の表情で見た。
松姫は菊姫を困惑して見た。
菊姫は松姫に普通に話し出す。
「お松。落ち着かない時が増えていると思うの。」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「私は大丈夫です。」
菊姫は松姫に普通に話し出す。
「外出したいの。私がお松の傍に常に居る状況になるけれど、お松にも一緒に外出して欲しいの。良いかしら?」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に普通に話し出す。
「お松。少し経ったら、外出しましょう。」
松姫は菊姫に普通に話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を普通の表情で見た。
松姫も菊姫を普通の表情で見た。
少し後の事。
ここは、松姫の乳母の住む家。
一室。
部屋の中には、商品が広げてある。
菊姫は普通に居る。
松姫も普通に居る。
商人も普通に居る。
松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様。数日前からの武田家の行動を知っているのでしょうか?」
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「伝言を頂いた時は、多くの内容をご存じではない様子でした。今は、多くの内容をご存じになっていると思います。」
松姫は商人を困惑して見た。
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「様々な場所で戦が起きています。味方、敵、中立、様々に変わります。危険な状況でなければ、奇妙様の話を伝えて、姫様の返事を聞いて戻るように頼まれています。」
菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「時間が無くなると困ります。前回同様に始めます。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は商人を微笑んで見た。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。
皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
菊姫は商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「お松。元気で過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。卯の花を見た。お松と共に卯の花を見たいと思った。お松に卯の花に想いを重ねて歌を贈りたいと思った。様々な展開に変わる時が続いている。私はお松を想い続けている。私はお松の傍で過ごしたい気持ちは変わらない。私は、お松が心配しないように、お松に逢うために、元気に過ごす。お松。命を大事に過ごしてくれ。体に気を付けて過ごしてくれ。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「長い伝言を覚える行為。大変ですよね。ありがとうございます。」
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「凄い記憶力です。何時も感心します。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。私の出来る内容で感謝の気持ちを表しています。」
菊姫は商人を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。私も奇妙様に逢いたい気持ちを抱いて過ごしています。私も奇妙様を想い続けています。“皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや”。歌の贈り物。ありがとうございます。歌の想いが心の中に強く伝わってきます。卯の花を見ながら、心の中で贈り物の歌を詠みます。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。松より。」
商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品ね。購入するわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。
菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。
松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品です。購入します。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。
松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
翌日の事。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
卯の花を挿した花瓶が机に置いてある。
松姫は卯の花を不安な様子で見ている。
菊姫が部屋の中に普通に入ってきた。
松姫は菊姫を不安な様子で見た。
菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。
「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」
松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。
「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。
「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「姉上。ありがとうございます。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫から微笑んで離れた。
松姫は菊姫を微笑んで見ている。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。卯の花。綺麗ね。卯の花を見ると気持ちが落ち着くわね。」
松姫菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫と卯の花を微笑んで見た。
松姫も菊姫と卯の花を微笑んで見た。
「皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや」
卯の花の咲く初夏。
様々な思惑が乱れながら過ぎていく。
武田家の思惑と織田家の思惑が、更に複雑に絡む状況になっている。
松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中でも、想いを紡いでいる。
松姫と織田信忠は、卯の花に想いを重ねて、想いを紡いでいる。
初夏は、様々な想いの中でも、様々な思惑の乱れる中でも、同じ流れの中で過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第八巻 一四八二番」
「皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや」
作者は「大伴清縄(おおとものきよつな)」
ひらがな読み方は「みなひとの まちしうのはな ちりぬとも なくほととぎす われわすれめや」
原文は「皆人之 待師宇能花 雖落 奈久霍公鳥 吾将忘哉」
歌の意味は「みんなが待っていた卯の花が散ってしまっても、鳴いている霍公鳥のことを私は忘れたりしません。」となるそうです。
「卯の花(うのはな)」についてです。
ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木です。
「空木(うつぎ)」の白い花の別名です。
「空木」の別名でもあります。
空木の別名には、「雪見草(ゆきみぐさ)」、「垣見草(かきみぐさ)」、があります。
夏の季語です。
日本原産です。
幹の部分が空洞になっているところから空木と呼ぶようになったといわれています。
「霍公鳥(ほととぎす)」についてです。
カッコウ科の鳥です。
全長は27~28cmほどです。
冬は東南アジアに渡り、初夏に日本に来ます。
夏の季語です。
「霍公鳥」、「時鳥」、「不如帰」、「杜鵑」、「子規」、「郭公」、などのたくさんの書き方があります。
別名は、「文目鳥(あやめどり)」、「妹背鳥(いもせどり)」、「黄昏鳥(たそがれどり)」、「卯月鳥(うづきどり)」、「魂迎鳥(たまむかえどり)」など、他にもたくさんあります。
冥土に往来する鳥ともいわれるそうです。
万葉集では、卯の花や橘などの花と一緒に詠まれる事が多いです。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。
ご了承ください。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。
高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。
武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、過信などの意見を聞かないようになったそうです。
理由は二つの説が考えられています。
一つの説、自信過剰になった。
一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。
以上の二つの説が有ります。
武田軍の関連についてです。
天正三年(1575年)四月についてです。
天正三年四月五日(1575年5月14日)、武田勝頼は三河への侵攻のために大軍(約15000)を率いて甲府を出立します。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、武田勝頼は長篠城を包囲します。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」に改名するのは後の出来事になります。
名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
ご了承ください。
織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」の日付、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正三年(1575年)四月の織田家の動きを簡単に説明します。
天正三年四月初旬、池田勝正らが、織田側の堀城、堀城周辺を攻め落とします。
この動きに呼応して、三好康長などが高屋城に籠城します。
この頃、石山本願寺が挙兵します。
織田軍(武将は、柴田勝家、明智光秀、荒木村重、など)は、討伐のために、京都から河内に向かいます。
天正三年四月八日(1575年5月17日)、織田軍は三好康長を河内の高屋城を攻めます。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、三好康長が降伏します。
天正三年四月八日~四月二十一日のこの戦いは、「高屋城の戦い(たかやじょうのたたかい)」・「高屋・新堀白の戦い」・「第二次石山合戦」、などと呼ばれています。
天正三年四月下旬、織田信長は京都を出発して岐阜に戻ります。
織田信長が岐阜に戻った理由は、武田勝頼の三河への侵攻が関係しているようです。
武田家と織田家の間に翌月に起きる出来事を簡単に書きます。
天正三年(1575年)五月の初旬~下旬に、武田勝頼、織田と徳川の連合軍、の間で、「長篠の合戦」が起こります。
「仲呂(ちゅうりょ)」についてです。
「中呂」とも書きます。
二つ意味が有ります。
「中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より五律高い音。日本音楽の双調(そうじょう)にあたる。」です。
「陰暦四月の異称」です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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