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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~


~ 文紡ぎ 建申月 ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも ~


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文のみの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、




「ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ」

「万葉集 第十巻 二〇〇八番」より

作者:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌集より




松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、九十三の月になっている。

暦は七月になっている。



季節は初秋になっている。



一昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。

武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。



前々月に、武田勝頼の率いる武田軍が、織田家と徳川家の連合軍に大敗した。



様々な思惑が複雑に絡まる中の初秋になる。



今は七夕の前になる。



ここは、甲斐の国。



一日を通して暑さを感じる日が続く。



青空が広がっている。



青空の中に白色の雲がゆったりと浮かんでいる。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫は普通に居る。



菊姫は部屋の中に普通に入ってきた。



松姫は菊姫を普通の表情で見た。

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「お松。前々月の戦の関係で、甲斐の国内が落ち着かない時があると思うの。お松の場合は、武田家の望む縁談を断り続けているから、更に落ち着かない時間が増えると思うの。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を困惑して見た。

松姫も菊姫を困惑して見た。

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「外出したいの。私がお松の傍に常に居る状況になるけれど、お松も一緒に外出して欲しいの。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「お松。準備が出来たら、外出するわね。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を困惑して見た。



少し後の事。



ここは、松姫の乳母の住む家。



一室。



部屋の中には、商品が広げてある。



菊姫は普通に居る。

松姫も普通に居る。

商人も普通に居る。



松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「奇妙様。前々月からの武田家の状況を知っているのでしょうか?」

商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「知る部分。知らない部分。様々だと思います。」

松姫は商人を困惑して見た。

商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「今は様々な場所で戦が起きています。突然に味方になります。突然に敵になります。危険な状況でなければ、奇妙様の話を伝えて、姫様の返事を聞いて戻るように頼まれています。甲斐の国内の様子や甲斐の周辺の国の様子を、伝える内容は頼まれていません。」

菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「今の状況での甲斐の国の出入り。大変ではないですか?」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「私は商人です。様々な人達との間で商いを行っています。ご安心ください。」

松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「お気遣いありがとうございます。無理をしないでくださいね。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「時間が無くなると困ります。始めます。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。素敵な商品が多いわね。今回は七夕を連想する商品を買いたいと思うの。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。

商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。

松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。

菊姫は松姫を微笑んで見た。



小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。



ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ



松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

菊姫は商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「伝言を教えてください。お願いします。」

商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。

「お松。暑さを感じる時間が続いている。元気に過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。今は、予想したような、予想外のような、状況の中に居る。今は、様々に変わる状況が続いている。お松が辛い想いの中に居ないか心配だ。お松の笑顔を思い出す中で、お松に七夕を詠んだ歌を贈りたいと思った。お松の笑顔を思い出しながら、七夕を詠んだ歌を選んだ。私は、彦星が織姫を想う以上に、お松を想っている。お松の返事を楽しみに待っている。私は、お松が心配しないように、お松に逢うために、元気に過ごす。お松。素敵な七夕の時間を過ごしてくれ。命を大事に過ごしてくれ。体に気を付けて過ごしてくれ。」

松姫は小さい紙を持ち、商人微笑んで小さい声で話し出す。

「長い伝言を覚える行為。大変ですよね。ありがとうございます。」

菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「凄い記憶力です。何時も感心します。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」

菊姫は商人を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。私も奇妙様に逢いたい気持ちを抱いて過ごしています。私も、織姫が彦星を想う以上に、奇妙様を想っています。“ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ”。七夕を詠んだ歌の贈り物。ありがとうございます。七夕を詠んだ内容だと分かり難い歌を選ばれたのですね。奇妙様の機転を含めて凄いと思います。七夕の夜空を見ながら、心の中で贈り物の歌を詠みます。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。素敵な七夕をお過ごしください。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。松より。」

商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「七夕を連想する素敵な商品を見付けたわ。購入するわ。」

商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。

菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。

松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「七夕を連想する素敵な商品ですね。購入します。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。

松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。



数日後の事。



七夕になる。



ここは、甲斐の国。



今日も暑さを感じる。



夜空には、星の輝きが見える。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋の前に在る縁。



菊姫は夜空を微笑んで見ている。

松姫も夜空を微笑んで見ている。



菊姫は夜空を見ながら、微笑んで呟いた。

「“ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ”。」

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は夜空を微笑んで見ている。

松姫は夜空を見ながら、微笑んで呟いた。

「“ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ”。」

菊姫は夜空を微笑んで見た。

松姫も夜空を微笑んで見た。



数日後の事。



ここは、甲斐の国。



一日を通して暑さを感じる日が続いている。



今日も暑さを感じる。



青空が広がっている。



ここは、躑躅ヶ崎館。



一室。



部屋の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。



「数日前、お松と共に外出したのか。」

「私がお松の傍に居ました。お松が長い時間を一人で居る状況にしていません。」

「お松の言動に変化はあるか?」

「監視されていないか不安になる時があります。不安な気持ちが強くなると、体調を悪くする可能性が有ります。適度に気晴らしをさせています。不安になる時間を少ない状態にして過ごさせています。」

「お松が新たな婚約の話を断り続けている。お松の気持ちに変化の気配が無い。」

「お松は父上を慕っています。父上からお松に伝えた縁談です。父上はお松に縁談の破棄を伝えていません。お松にとって、新たな縁談の話を受けられない気持ちが続いています。」

「お菊。お松が心変わりを始めた時に、後押しをしてくれ。」

「分かりました。」

「織田家に関する内容を話す。」

「お願いします。」

「天皇が織田信長に官位の昇叙を勧めたが、織田信長は辞退したらしい。相変わらず何を考えているのかわからない。」

「はい。」

「徳川家に関する内容を話す。」

「お願いします。」

「徳川家康が諏訪原城の攻略を行っている。諏訪原城は籠城を始めた。援軍を含めて考える必要がある。」

「はい。」

「今の織田家も今の徳川家も、様々な思惑の中で動いている。お松の言動に変化の現れる可能性が有る。今後も確認を頼む。」

「はい。」

「今後も報告を頼む。」

「はい。」



少し後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は不安な様子で居る。



菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を不安な様子で見た。

菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」

松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。

「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。

「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「姉上。ありがとうございます。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫から離れると、松姫を微笑んで見た。



「ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ」

七夕を行う月になっている。

季節は初秋になっている。

様々な思惑が乱れながら時が過ぎている。

武田家と織田家が、更に複雑に絡んだ状況になっている。

武田家にとって、織田家にとって、大きな時の流れの始まる気配が増えている。

松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中でも、想いを紡いでいる。

松姫と織田信忠は、七夕の星に想いを重ねながら、想いを紡いでいる。

初秋の時間は、様々な想いの中でも、様々な思惑の中でも、同じ早さで過ぎていく。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第十巻 二〇〇八番」

「ぬばたまの 夜霧に隠り 遠くとも 妹が伝へは 早く告げこそ」

ひらがなの読み方は「ぬばたまの よぎりにこもり とほくとも いもがつたへは はやくつげこそ」

作者は「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌集より」

歌の意味は「夜霧に隠れて遠くても、妻の頼りは早く伝えて欲しいです。」となるそうです。

原文は「黒玉 宵霧隠 遠鞆 妹傳 速告与」

この歌は七夕の歌として掲載されています。

「妹(いも)」は「織姫」のことになります。

「七夕(たなばた)」についてです。

旧暦の七月十五日の夜に戻って来る先祖の霊に着せる衣服を機織して棚に置いておく風習があり、棚に機で織った衣服を備える事から「棚機(たなばた)」という言葉が生まれたそうです。

その後、仏教が伝来すると七月十五日は仏教上の行事の「盂蘭盆(うらぼん)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって、七月七日に繰り上げられたそうです。

これに中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結び付けられ、天の川を隔てた織姫(織姫星・琴座のベガ)と彦星(牽牛星・鷲座のアルタイル)が年に一度の再開を許される日となったそうです。

元は宮中行事だったそうです。

現在の様に一般的に行われるようになったのは、江戸時代からだそうです。

現在の「七夕」の形に近くなってきたのも江戸時代からだそうです。

笹などを飾り付ける風習は、江戸時代頃から始まり、日本だけに見られる風習だそうです。

「陰暦」を基にして物語を書いているので、現在の暦と少しずれています。

陰暦の「七夕」は、現在の暦で七月中旬から八月下旬の間になるので、落ち着いた天気の日が増えていると思います。

現在の暦の七月七日の「七夕」は、天気の悪い日や雨が降る日が多いと思います。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。

享年は、五十三歳と伝わっています。

武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。

武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)

更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)

武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。

三つの遺言の内容が広く知られています。

800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。

武田信玄の死を三年隠すように。

三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。

遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。

武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。

武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。

当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。

後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。

天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。

「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。

ご了承ください。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。

武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。

高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。

武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、過信などの意見を聞かないようになったそうです。

理由は二つの説が考えられています。

一つの説、自信過剰になった。

一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。

以上の二つの説が有ります。

武田軍の関連についてです。

天正三年(1575年)四月~七月についてです。

天正三年四月五日(1575年5月14日)、武田勝頼は三河への侵攻のために大軍(約15000)を率いて甲府を出立します。

天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、武田勝頼は長篠城を包囲します。

天正三年五月二十日(1575年6月28日)、武田軍は長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出します。

天正三年五月二十一日(1575年6月29日)、夜明けとともに、武田軍は織田軍・徳川軍の陣地に突入して戦います。

武田軍は織田・徳川の連合軍との戦いの中で、名のある武将、一万から一万二千の兵を失いました。

武田勝頼は数百の兵に守られて敗走します。

天正三年(1575年)五月の初旬~下旬の間に起きた、武田勝頼、織田と徳川の連合軍、との戦いは、「長篠の合戦」と呼ばれています。

戦いの結果は、武田軍の大敗で終わります。

鉄砲により敗北した説が広く知れていますが、兵の数の大きな差による大敗、武田軍の武将の離反、などの幾つかの説があります。

天正三年(1575年)六月、徳川軍が諏訪原城の攻略を始めます。

天正三年(1575年)七月、徳川軍が諏訪原城を攻略する中で籠城を始めました。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」に改名するのは後の出来事になります。

名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」の日付、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

天正三年(1575年)四月~七月の織田家の動きを簡単に説明します。

天正三年四月初旬、池田勝正らが、織田側の堀城、堀城周辺を攻め落とします。

この動きに呼応して、三好康長などが高屋城に籠城します。

この頃、石山本願寺が挙兵します。

織田軍(武将は、柴田勝家、明智光秀、荒木村重、など)は、討伐のために、京都から河内に向かいます。

天正三年四月八日(1575年5月17日)、織田軍は三好康長を河内の高屋城を攻めます。

天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、三好康長が降伏します。

天正三年四月八日~四月二十一日のこの戦いは、「高屋城の戦い(たかやじょうのたたかい)」・「高屋・新堀白の戦い」・「第二次石山合戦」、などと呼ばれています。

天正三年四月下旬、織田信長は京都を出発して岐阜に戻ります。

織田信長が岐阜に戻った理由は、武田勝頼の三河への侵攻が関係しているようです。

天正三年五月十三日(1575年6月21日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岐阜を出発します。

天正三年五月十五日(1575年6月23日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岡崎城に到着します。

天正三年五月十八日(1575年6月26日)、織田軍の援軍の約三万、徳川家康の援軍の約八千が、設楽原に到着して陣を築きます。

天正三年六月二十三日(1575年7月30日)、伊勢国の国司の北畠具教(きたばたけとものり)、北畠具房(きたばたけともふさ)の父子が、養継嗣の織田信長の次男の信雄(のぶかつ)に家督を譲り、隠退します。

天正三年七月三日(1575年8月8日)、正親町天皇が織田信長に官位の昇叙を勧めますが、織田信長は辞退します。

「建申月(けんしんげつ)」についてです。

「陰暦七月の異称」です。

「建」の文字は、北斗七星の柄を意味します。

北斗七星の柄が、旧暦で「申」の方向に向くところから付いた異名です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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