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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~


~ 文紡ぎ 建酉月 藪蘭の花 玉葛幸くいまさね ~


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文のみの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、




「玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ」

「万葉集 第十二巻 三二〇四番」より

作者:詠み人知らず




松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、九十四の月になっている。

暦は八月になっている。



季節は仲秋になっている。



一昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。

武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。



数か月前に、武田勝頼の率いる武田軍が、織田家と徳川家の連合軍に大敗した。



様々な思惑が複雑に絡まる中の仲秋になる。



今は十五夜の前になる。



ここは、甲斐の国。



一日の中で暑さを感じる時間が多い。

早朝や陽が沈むと僅かに暑さが和らぐ。

秋の気配が僅かずつ増えていく。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は普通に居る。



菊姫は部屋の中に普通に入ってきた。



松姫は菊姫を普通の表情で見た。

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「お松。数か月前の戦の関係で、甲斐の国内もお松の周辺も、落ち着かない時があると思うの。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「お松。突然だけど、私は外出したいの。お松には私の傍に居て欲しいの。お松も一緒に外出して欲しいの。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に困惑して話し出す。

「お松。準備が出来たら、外出するわね。」

松姫は菊姫に困惑して話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を困惑して見た。

松姫も菊姫を困惑して見た。



少し後の事。



ここは、松姫の乳母の住む家。



一室。



部屋の中には、商品が広げてある。



菊姫は普通に居る。

松姫も普通に居る。

商人も普通に居る。



松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「奇妙様。前々月からの武田家の状況を知っているのでしょうか?」

商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「知る部分。知らない部分。様々だと思います。」

松姫は商人を困惑して見た。

商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「今は様々な場所で戦が起きています。突然に味方になります。突然に敵になります。危険な状況でなければ、奇妙様の話を伝えて、姫様の返事を聞いて戻るように頼まれています。甲斐の国内の様子や甲斐の周辺の国の様子を、伝える内容は頼まれていません。」

菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「今の状況での甲斐の国の出入り。大変ではないですか?」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「私は商人です。様々な客を相手に商いを行います。ご安心ください。」

松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「お気遣いありがとうございます。無理をしないでくださいね。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。

「時間が無くなると困ります。今までのように始めます。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。十五夜を連想する商品を買いたいと思うの。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。

商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。

松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。

菊姫は松姫を微笑んで見た。



小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。



玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ



松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

菊姫は商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「伝言を教えてください。お願いします。」

商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。

「お松。暑さの和らぐ時間はあるが、暑さを感じる時間が続く。元気に過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。今は、予想したような、予想外のような、状況の中に居る。今は、様々に変わる状況が続いている。お松が辛い想いの中に居ないか心配だ。お松の笑顔を思い出す中で、十五夜の輝く月を思い出した。お松に月を詠んだ歌を贈りたいと思った。贈り物の歌を考える間に、藪蘭の花を見た。藪蘭の花と月に繋がる歌を考えた。今回の贈り物の歌の中に、月を詠んだ部分は無いが、十五夜の月を連想する文字は有る。私は、昼も夜も、お松を想っている。お松の返事を楽しみに待っている。私は、お松が心配しないように、お松に逢うために、元気に過ごす。お松。素敵な十五夜を過ごしてくれ。命を大事に過ごしてくれ。体に気を付けて過ごしてくれ。」

松姫は小さい紙を持ち、商人微笑んで小さい声で話し出す。

「長い伝言を覚える行為。大変ですよね。ありがとうございます。」

菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「凄い記憶力です。何時も感心します。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」

菊姫は商人を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。私も奇妙様に逢いたい気持ちを抱いて過ごしています。私も、昼も夜も、奇妙様を想い続けています。“玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ”。十五夜の月を連想する文字と藪蘭を詠んだ歌の贈り物。ありがとうございます。十五夜の月を見ながら、心の中で贈り物の歌を詠みます。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。素敵な十五夜をお過ごしください。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。松より。」

商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「十五夜を連想する素敵な商品を見付けたわ。購入するわ。」

商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。

菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。

松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「十五夜を連想する素敵な商品ですね。購入します。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。

松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。



数日後の事。



十五夜になる。



ここは、甲斐の国。



今日も暑さを感じる。



夜空には、月が輝いている。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋の前に在る縁。



菊姫は月を微笑んで見ている。

松姫も月を微笑んで見ている。



菊姫は夜空を見ながら、微笑んで呟いた。

「“玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ”。」

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は月を微笑んで見ている。

松姫は月を見ながら、微笑んで呟いた。

「“玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ”。」

菊姫は月を微笑んで見た。

松姫も月を微笑んで見た。



数日後の事。



ここは、甲斐の国。



一日の中で暑さを感じる時間が多い。

早朝や陽が沈むと僅かに暑さが和らぐ。

秋の気配が僅かずつ増えていく。



ここは、躑躅ヶ崎館。



一室。



部屋の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。



「数日前、お松と共に外出したのか。」

「私がお松の傍に居ました。お松が長い時間を一人で居る状況にしていません。」

「諏訪原城に籠城していた城主を含める兵士達が、城を離れて別な城に行った。諏訪原城に籠城した兵士達は、勇敢に戦い、徳川家康の軍に打撃を与えて、良く耐えた。少ない人数で立派に戦った。」

「はい。」

「諏訪原城に援軍が送れなかった。援軍が送れていたならば、別な展開になっていた。悔しい。」

「はい。」

「織田軍が越前の一向一揆との戦いを始めている。」

「大切な内容を教えて頂いてありがとうございます。」

「お松の言動に変化はあるか?」

「監視されていないか不安になる時があります。不安な気持ちが強くなると、体調を悪くする可能性が有ります。適度に気晴らしをさせています。不安になる時間を少ない状態にして過ごさせています。」

「織田家も徳川家も、様々な思惑の中で動いている。お松の言動に変化の現れる可能性が有る。今後も確認を頼む。」

「はい。」

「今後も報告を頼む。」

「はい。」



少し後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は不安な様子で居る。



菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を不安な様子で見た。

菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」

松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。

「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。

「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「姉上。ありがとうございます。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫を抱いて、松姫を微笑んで見た。



「玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ」

十五夜の行われる月になっている。

一日の中で暑さを感じる日々が少しずつ減っている。

様々な思惑が乱れながら時が過ぎている。

武田家と織田家が、更に複雑に絡んだ状況になっている。

武田家にとって、織田家にとって、大きな時の流れの始まる気配が増えている。

松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中で、十五夜の月を見ながら、想いを紡いでいる。

仲秋の時間は、様々な想いの中でも、様々な思惑の中でも、同じ時間の中で過ぎていく。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に掲載している歌は「万葉集 第十二巻 三二〇四番」

「玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ」

作者は「詠み人知らず」

ひらがなの読み方は「たまかずら ささくいまさね やますげの おもひみだれて こひつつまたむ」

原文は「玉葛 無恙行核 山菅乃 思乱而 戀乍将待」

歌の意味は「またお会いできるまで無事でいらしてください。山菅のように思い乱れて、恋してお待ちしています。」となるそうです。

「山菅の(やますげの)」は、枕詞です。

「山菅の葉が茂り乱れている意味から、“乱る”、“背向(そがひ)”、にかかります。」

「山菅の実の意味で、“実”、にかかります。」

「山菅の“やま”と同音の、“止まず”、にかかります。」

この物語の「山菅の」は、「思い乱れて」を導く枕詞になっています。

「葛(かずら)」は、分かれてもまた交わるように伸びてゆくことから、また会えることを願って、「玉葛(たまかずら)」という言葉を使っているように思われます。

「藪蘭(やぶらん)」についてです。

ユリ科。

常緑多年草。

樹林下に生えます。

本州から沖縄に分布しています。

別名は「山菅(やますげ)」です。

木質の根茎から、艶のある線状披針(ひしん)形の葉が多数出ます。

葉は、線状披針形、長さ約50cm、幅約1cm、先は丸みを帯び、深緑色で、上部は傾いて下がります。

花期は、現在の暦で、7月下旬~10月下旬です。

果時期は、現在の暦で、11月~翌年1月です。

高さ30~50cmの花茎を直立に伸ばし、薄紫色の径0.6cmの小花を穂状につけます。

実は、緑黒色です。

根を漢方で「麦門冬(ばくもんどう)」と呼び、強壮薬、鎮咳(ちんがい)薬、に利用します。

季語は、夏、秋、初秋、の説明を見ます。

花期から季語を考えると、夏より初秋や秋が季語に合うように思います。

万葉集の「山菅」を差す植物は、幾つか説があり、はっきりと分からないそうです。

現在は、「蛇の髭(じゃのひげ)」、「薮蘭(やぶらん)」、「菅(すげ)」、などではないかと言われています。

この物語では、「山菅」を「薮蘭(やぶらん)」として書きました。

「十五夜(じゅうごや)」と「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」についてです。

「陰暦の八月十五日の夜。満月の夜。」をいいます。

別名には「芋名月(いもめいげつ)」があります。

この時期は、古来より観月に最も良い時節とされています。

秋や冬は空気が乾燥して月が鮮やかに見える事、それに、夜でもそれほど寒くないために、名月として観賞されるようになったそうです。

中国にも同様の風習が唐の時代に確認されているそうです。

更に古くからある事も考えられます。

日本には九世紀から十世紀の頃に渡来したそうです。

貴族を中心に行なっていたそうですが、後に武士や町民にも広まったそうです。

酒宴を開いたり、詩や歌を詠んだり、薄を飾ったり、月見団子・里芋・枝豆・栗などを持ったり、お酒を供えて月を眺めたそうです。

「お月見料理」というそうです。

中国では「月餅」を作ってお供えするそうです。

「月餅」が日本に来て「月見団子」に変わったそうです。

お月見が一般的に行なわれるようになったのは、江戸時代からだそうです。

お月見団子は一般的には自分の家庭で作るそうです。

お月見団子の数は、その年の月の数だけ供えるそうです。

2014年の「中秋の名月・十五夜」は、「2014年9月8日」だそうです。

ご確認ください。

風習の関係から、この「十五夜」の物語の他に「十三夜」の物語も掲載予定です。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。

享年は、五十三歳と伝わっています。

武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。

武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)

更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)

武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。

三つの遺言の内容が広く知られています。

800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。

武田信玄の死を三年隠すように。

三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。

遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。

武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。

武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。

当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。

後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。

天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。

「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。

武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。

高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。

武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、過信などの意見を聞かないようになったそうです。

理由は二つの説が考えられています。

一つの説、自信過剰になった。

一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。

以上の二つの説が有ります。

武田軍の関連についてです。

天正三年(1575年)五月~八月についてです。

天正三年五月二十日(1575年6月28日)、武田軍は長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出します。

天正三年五月二十一日(1575年6月29日)、夜明けとともに、武田軍は織田軍・徳川軍の陣地に突入して戦います。

武田軍は織田・徳川の連合軍との戦いの中で、名のある武将、一万から一万二千の兵を失いました。

武田勝頼は数百の兵に守られて敗走します。

天正三年(1575年)五月の初旬~下旬の間に起きた、武田勝頼、織田と徳川の連合軍、との戦いは、「長篠の合戦」と呼ばれています。

戦いの結果は、武田軍の大敗で終わります。

鉄砲により敗北した説が広く知れていますが、兵の数の大きな差による大敗、武田軍の武将の離反、などの幾つかの説があります。

天正三年(1575年)六月、徳川軍が諏訪原城の攻略を始めます。

天正三年(1575年)七月、徳川軍が諏訪原城を攻略する中で籠城を始めました。

長篠の合戦で大敗した武田軍は、諏訪原城に守りを固めるために、丹波守の今福顕倍を城主にしていました。

徳川軍が攻めた頃の諏訪原城は、500騎ほどで守っていたそうです。

天正三年(1575年)八月、武田側の援軍は無く、一カ月近い籠城戦の中で、城主の丹波守の今福顕倍を含む残った兵は、夜中に諏訪原城から小山城に逃亡しました。

結果、諏訪原城は落城、徳川側の城になりました。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」に改名するのは後の出来事になります。

名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」の日付、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

天正三年(1575年)五月~八月の織田家の動きを簡単に説明します。

天正三年五月十三日(1575年6月21日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岐阜を出発します。

天正三年五月十五日(1575年6月23日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岡崎城に到着します。

天正三年五月十八日(1575年6月26日)、織田軍の援軍の約三万、徳川家康の援軍の約八千が、設楽原に到着して陣を築きます。

天正三年六月二十三日(1575年7月30日)、伊勢国の国司の北畠具教(きたばたけとものり)、北畠具房(きたばたけともふさ)の父子が、養継嗣の織田信長の次男の信雄(のぶかつ)に家督を譲り、隠退します。

天正三年七月三日(1575年8月8日)、正親町天皇が織田信長に官位の昇叙を勧めますが、織田信長は辞退します。

天正三年八月十二日(1575年9月9日)、織田信長は越前の一向一揆の制圧のために岐阜を出立します。

天正三年八月十五日(1575年9月19日)、織田軍は平良から越前に攻め入り、越前の一向一揆との戦いが始まります。

「建酉月(けんゆうげつ)」についてです。

「陰暦八月の異称」です。

「建」の文字は、北斗七星の柄を意味します。

北斗七星の柄が、旧暦で「酉」の方向に向くところから付いた異名です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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