このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

思いつき名鉄散歩・4


何事に対しても前向きな私は、
犬山城の撮影ポイントを探すべく、木曽川の岐阜側河川敷に降りる事にした。
木曾河畔には多くの旅館が立ち並んでおり、また、古くからの町並みの為か道幅は狭い。
その狭い道幅の両側には雪が積み上げられている為、
歩行者はどうしても車道の端をよろよろと歩く羽目になる訳なのだが、
この細道、妙に交通量が多い。

しかも、何故か大型車が沢山通り、そして交互通行なので、
何度轢かれるかと思ったことか。
そのたびに路傍の雪の中に退避していると、もう何だか裾がびしょ濡れになってしまった。

もう何だか、濡れる事に抵抗の無くなった私は、
旅館の隙間にある急なスロープを駆け下りることにしたので、
コンクリートで作ってあるスロープに足を踏み出した。
スロープのコンクリートには細かく溝が切ってあり、
その上に5センチほど雪が載っている状態。
これは…イケる!

私は大きく一歩目を踏み出し、着地の時点で既に失敗していた事に気づいた。
時間は午後5時近くになっており、おとなしくスロープに載っているように見える雪の
コンクリートとの接地面は融け始めていたようだ。

うぐぅ…

大きな声を出すわけには行かない。
両隣は旅館である。
声を聴きつけた旅館関係者の嘲笑を浴びることは避けねばならぬ。

私は強い子であるので、泣かないことにしている。
やはり強い子を維持するためにも、時折ビスコは食べておかねばなるまい。


●木曽川河川敷。宿泊客の視線が痛い●

まあ、何事もなく河川敷に降り立った私は、
ともかく雪が沢山あるので、取りあえず走ってみた。
また、雪玉を生産して川に投げ込んでもみた。

まあ、そういう感じで10分ほど雪に関する考察を行い、満足したので(寒いし)
対岸の山上に位置する犬山城を写真に収める事にした。



●国宝犬山城(別名:白帝城)●
犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が 築いたとのこと。
初めは木曽川に沿った台地にあったらしいが、
後に断崖の丘上(現在地)に本丸を移築したんだそうで。
また、江戸時代に入って改修工事がなされ、
また、廃藩置県の際に色々な付随設備を取り壊した結果、
今の犬山城の姿になっているらしい…

いつも通り、さわりだけ紹介したので、興味が湧いたら各自調べるように。

対岸から犬山城を撮るだけではちょっと不満足ではあったが、
暗くなり始め、うまく写真が取れなくなってきたので、とっとと退散する事にした。

実は、今日名鉄にふらふらと乗車したのにはもう一つ理由があって、
もうすぐ開港する中部国際空港へ意味も無く行って来るという、
ただのミーハー野郎(古いし、その世代じゃないが)的な考えもあったりしたのだ。

どうせ行くなら、空港アクセス特急『μスカイ』(みゅーすかい)に乗車せねば
しかも、さらに、『μスカイ』の始発、新鵜沼から乗れれば一石二鳥。

何と偶然にも、私のいる現在地は新鵜沼駅から徒歩10分の地点。
乗らねばなるまいて、μスカイ。


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