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讃岐うどん信奉者を生産するための活動について・1
我々『讃岐うどん普及協会』は、
真に正しい讃岐の食文化を、
あまねく日本国民のごく一部に
ゲリラ的に存在させるための
活動を行う事によって、
密かなカタルシスを得る為に設立された団体である。
ゆくゆくは、更に進歩した形態として、
『讃岐饂飩主義共和国連邦(USUR)』が
ゆる〜く設立できれば、いいなぁ。とか考えてみる。
Union of Sanuki Udonist Republics とか、そういうやつになるのか。
それはさて置き。
私が東海地方に引っ越した当初というものは、
私の周りにいた人物に対して、口をイリコ味にして説教しても、
鼻で笑われていたほどに、讃岐うどんというものに対してリスペクトするという、
人類として生きて行く上において基本的な感情すらも持ち合わせていなかった
我が友人達の悲しき文明生活に、私は転倒した時の顔の位置に
ごく小さな水溜りがあった時のような深い絶望を感じたのである。
私は一念発起することにした。
このままではいけない。
彼らに真に正しい讃岐人人間としての生き方を教えてやらねばなるまい。
それこそが人類の願ってやまない福祉の精神に他ならないとこの時点で私は確信したのである。
我々(その時点では私)の行動は迅速を極めた。
矢継ぎ早に讃岐うどんを啓蒙すべく、活動を開始したのだ。
最終目標は讃岐国への強制送致である。
我が母国に送り込む事が出来れば思う壺。
標的はあっという間に熱狂的なうどん原理主義者になり、
讃岐うどんの素晴らしさについて吹聴啓蒙活動を始めるに違いないのだ。
私の我々の計画はまんまと軌道に乗り、
翌年冬には我が母国に向かって先遣隊を送り出す事に成功する(バカチン四国Ⅰ)。
この時の作戦参加人数は4名、
一泊二日、自家用車での強行日程という悪条件の中
勇敢にうどん店3件を陥落させ、帰途に就いた。
感想は、『疲れた』であった。
ただ、この行程で最も大きな収穫であったのが、
『池上』と『わら家』の戦闘力を同行3名に見せつける事が出来たという点である。
これ以後、参加者の中に『池上』『わら家』のイメージが
強烈な印象をもたらす事になる。
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