このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
旅行記2 スイス・リヒテンシュタイン篇
ドイツとスイスの国境にはゲートがあるが、別に検査もなければパスポートのチェックも要らない。ほとんど素通り。そうして2番目の訪問国、スイスに入った。スイスに入ってまず思ったのが、町並みが違うということ。やはり家々の雰囲気が違う。例え国境がほとんど何もなくても違う国であると思った。スイスに入ってからすぐにリヒテンシュタインへ向かった。この国は一応独立国であるが、外交や軍事はスイスに委託している、いわばスイスの一地方みたいな国である。通ったところは川が国境になっており、橋に国旗がかかっていたが、それ以外何もなかった。リヒテンシュタインのお土産屋で買い物をしたが、総じて値段が高い。缶コーヒーが300円もしていた。その後、またスイスに戻り、翌日登るユングフラウ山の近くにあるインターラーケンという町に泊まった。
泊まったホテルはいかにも古風なヨーロッパのホテルといった感じがした。設備は良くなかったのに、部屋の扉のところにセンサーがあり、部屋の外に出ると廊下の電気がつくという、変なところだけ現代的なホテルであった。夕食はこのホテルで、ミートフォンデュというヨーロッパ風しゃぶしゃぶを食べた。しかしかなり悪い肉で、非常に硬かった。
3月28日は午前5時半に起床。まだ朝食の準備ができていないので、パンやクッキーの入った袋をもってバスに乗車。数十分でユングフラウ山(ヨッホ)への登山電車の駅に着いた。登山電車はアプト式で、ナローゲージ。40分ほどで次の登山電車への乗り継ぎ駅に着いた。この日は天気が悪く、相当量の雪が積もっていた。とてもアルプスの山々を見ることはできないとあきらめていた。2つ目の登山電車はトンネルの中を行く。途中で2度トンネル駅に止まり、そこに窓があって外の景色が眺められるのだが、曇っているので何も見えない。トイレに行ったが、水が出ないのでウェットティッシュがおいてあった。この登山電車の車内放送は自動だが英独日韓の4カ国語放送。日本語の放送があるところは多いが、韓国語の放送があるところは少ない。そして頂上駅に到着。ここから100メートルほどエレベーターで昇り、展望台へ。この展望台の標高は3454メートル。アルプスにはモンブランやマッターホルンなどユングフラウよりも高い山があるが、簡単に登って来られるところではここの標高が一番高い。あちらこちらに「Top of Europe」と書いてあった。展望台は寒いので数分しか居られなかった。そのあと無料でアルプスの画像付きのE-mailが送れる機械があったので友人と自分宛にメールを送った(だがなぜか着いていなかった)。この機械のキーボードの「Y」と「Z」の場所が日本のキーボードと逆であった。その他のドイツ語圏でも逆になっていた。キーボード配列は世界共通のはずなのに。どうしてだろう。ここは標高3000メートル以上のところなので、空気が薄い。息苦しさはなかったが、酸欠でめまいや頭痛がした。また、ここの案内板は全て日本語の表記がある。レストランにも「食堂」と書いてある。
そして下りの登山電車に乗り、さきほど登山電車を乗り継いだ駅のところで昼食。下りの電車の車内放送は登りの4カ国語に加え、イタリア語・フランス語の放送まであった。スイスは大体がドイツ語圏だが、西部にはフランス語、南部にはイタリア語の地域もある。昼食はスイス風ハンバーガーとカレー味のフライドポテトであった。ここはスキー場になっており、少し雪遊びをした後、もう一つの登山電車に乗った。この車内で雲が切れてアルプスの絶景が何度も見えた。朝はあれほど曇っていたので、まさに奇跡。登山電車を降りた町で買い物。サングラスがあったので購入。30スイスフラン(約2000円)であった。スイスの通貨単位はフラン。フランスもフランなのでスイスフラン、SFrと書く。補助通貨はサンチームで、1スイスフランが100サンチーム。ここで父が安いミネラルウォーターを買った(ヨーロッパの水はスイス以外は飲めないので、ミネラルウォーターを買わねばならない。というより、世界で水道水が飲めるのは日本とスイスぐらい。スイスの水が飲める理由は、アルプスの雪解け水が豊富にあるかららしい)。しかし炭酸入り…。
その後、ジュネーブ方面へと向かう。その途中のサービスエリアでソフトクリームを買うと「メルシー(フランス語でありがとうの意味)」と言われた。いよいよ、フランス語圏に突入した。当初はジュネーブのホテルに泊まる予定であったが、急遽少しフランスに入ったところにあるホテルに泊まることになった。このホテル、まず見た目からボロい。ロビーはさほどきたなくなかったのだが、部屋に入ってびっくり。カーペットは破れている、トイレ・風呂は暗い、テレビはつかない、冷蔵庫は開かないと、散々であった。これは当初の予定と違うということで、旅行代金の1パーセントが返還されたが、ここまでひどいとは思っていなかった。しかし夕食はさほど悪くなかった。親は長い間探していたワインがあったので喜んでいた。その辺はさすがフランス。
翌29日はTGVに乗る関係で、なんと午前4時起床であった。朝食はクロワッサンとコーヒーだけ。さすがボロホテル。まだフランスに入ってから買い物をしていないうえ、あまりにもひどいホテルなので、チップはスイスフランをおいてきた。5時半ごろホテルを出発し、スイスのローザンヌ駅に向かう。ここからいよいよ、小さいころから本などで見てきたTGVに乗る。駅で気づいたのが、改札がないこと。そのままホームに上がれた。乗ったTGVはどうやらスイス線専用のようである。7時14分に発車。この電車の座席は反転ができず、進行方向と逆向きに座らなければならなかった。しかも、これは帰国後調べて分かったのだが、スイス線は新幹線専用線ではなく(ヨーロッパは線路の幅が標準軌なので、在来線に新幹線車両を走らせることができる)、急カーブなどがあるため、スピードが出ない。日本の在来線特急以下の速度だったと思う。スイス・フランスの国境駅を過ぎた辺りでパスポートチェックがあった。その後、少しスピードが出たが、それでも遅かった。
スイス・リヒテンシュタイン篇終
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