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旅行記 プロローグ・ドイツ篇


2000年3月25日から4月3日までのヨーロッパ旅行の記録
1.プロローグ・ドイツ篇 →  2.スイス・リヒテンシュタイン篇  →  3.フランス篇  →  4.イギリス篇・エピローグ

3月25日午前6時半頃、家を出て伊丹空港へ向かった。春休みになって初めての土曜日のせいか、空港は異様なほど混んでいた。8時40分発の飛行機で成田空港へ。成田空港では3時間ほどの待ち時間があったので、昼食を取ったり、買い物をして時間を過ごした。空港に止まっている飛行機を見ていると、BRITISH AIRWAYSの翼に、毛筆で「松風」と読めるような字が書いてある。日本・中国線専用だろうか。そして出国手続きをし、乗る飛行機の搭乗口のあるサテライトと呼ばれるターミナルへ向かう。そのターミナルにある免税店でglobe「DEPARTURES」がかかっていた。洒落のつもりであろうか。そしてC87番ゲートからフランクフルト行き日本航空407便に搭乗した。いよいよ、日本を出発した。

さすがにドイツへ向かう飛行機なので、機内食のメニュー表や機内の案内放送は日本語・英語、そしてドイツ語でおこなわれる。また、恐らくドイツ人と思われる男性の客室乗務員がいた。

飛行機は狭い。エコノミークラスというのは国内線の一般席と同じものなので、長時間乗るとものすごく疲れる。幸い、全席に個人テレビが装備され、それでゲームや映画を楽しめたので、少し気分が楽だった。飛行機はシベリア北部を横断してヨーロッパへ行くのだが、個人テレビで飛行機の下にあるカメラからの映像を見ることができる。そのシベリアの景色を見ていると、川は凍っていて、そこにそりの跡があるものがあった。

機内食は2回出た。1回目(日本時間午後4時ごろ)は洋食・和食が選べた。2回目(日本時間午後11時ごろ)は洋食のみ。しかし前の席の人が席を倒したままだったので、狭い空間で食べなければならなかった。そんな状態で日本時間26日午前2時35分・現地時間25日午後6時35分にフランクフルト国際空港に到着した。空港に止まっている他の飛行機を見ていると、「松風」の飛行機が止まっていた。ヨーロッパ内でも飛んでいるのか。飛行時間は11時間35分であった。飛行機から降りて早速待っているのがドイツ語の案内標記。いよいよドイツに着いた。

空港に到着して待っているのは入国審査だが、EU加盟国の人とその他の国の人では入国審査が違う。EU加盟国の人は簡単な審査で済む。しかしEU以外の国の人でもパスポートの顔をチェックし、はんこを押すだけ。そしてその後はバスが来るまで飲み物などの買い物をした。初めての海外での買い物であるが、レジに買った品物の金額が出るので言葉が分からなくても構わない。ドイツの通貨単位はマルクで、1マルクは50円から60円、補助通貨はペニヒで、1マルクが100ペニヒ(当時はまだユーロが導入されていなかった)。そしてバスに乗り込み宿泊地、ハイデルベルクに向かった。空港を出てすぐに高速道路、アウトバーンに入る。ドイツに限らず、今回の旅行で行った国の高速道路はすべて無料であった。しかも豪快で、制限時速が時速130キロとか書いてある。日本では考えられないスピードだ。しかも高速道路に塀がないところも多く、勝手に高速道路内に入れる(無料だから構わないのだが)。だが安全面ではどうなのか。そのアウトバーンを1時間ほど走ってハイデルベルクに着いた。町並みはいかにも現代のヨーロッパの街といった感じで、きれいな家が並んでいたのだが、道の両端にはぎっしりと路上駐車の車が並んでいた。

ホテル到着が午後7時半頃、日本では翌日の午前3時になっている。とても眠いが、風呂は入った。そしてテレビをつけてみると、十数年ほど前に日本で放送していたテレビ番組「風雲たけし城」を放送していた。しかもドイツ語で番組の解説をしている。ヨーロッパではビートたけしは一流の映画監督として知られているのに、こんな番組を放送していいのか。眠いのに結局最後まで見てしまった。

3月25日は午前6時に起床。この日からサマータイムが始まり、実際は午前5時だが、前日の夜に到着したばかりので実害はないし、時差ボケも全くない。テレビをつけてみるが、テレホンショッピングやクイズ、人形劇やムーミンなど、ろくな番組を放送していない。23のチャンネルのうち、ニュースをしていのはCNNだけであった。朝食はバイキングであったが、さすがドイツ、ソーセージがうまい。

そして観光に出発。まずは宿泊した町、ハイデルベルクにあるハイデルベルク城を見学。この城はハイデルベルクの辺りを支配していた代々の王が作り上げていった城。城内には世界で一番大きいワイン樽があった。その関連で、ワインボトルに貼るラベルが売られていた。日本語版もあったのだが、「ハネムーンfromハイデルベルク」や「ハイデルベルクにて」など、格好悪い名前のものしかなかった。また、この城のそばの売店には「円もOK」と書かれていた。

城のある高台を下りて、町の中心に移動。中世のヨーロッパの円村の中心には広場があり、そこに井戸・市役所・教会があったらしい。ここの町にはまだそ3つが残っていた。また、町の店も景観を乱さないような看板が出ていた。マクドナルドがあったが、これもその例外ではなく、濃い茶色の看板が小さく出ていた。そこでオレンジジュースを飲む。そしてトイレに行こうとしたのだが、トイレには「Damen」「Herren」と書いてあり、どちらが男か分からない。「Herren」と書かれた方に入った女の人がすぐに出てきて、「Damen」の方に入って行ったので、「Herren」が男だと分かった。トイレに入ると、大便器に便座がない。男はなくても構わないが、女性の方にもないところがあるらしい。ヨーロッパの女性は一体どうやって用を足しているか。それから駐車場でバスを待っていたのだが、そこにいた係員の人の鼻が垂れ下がるほどの鷲鼻で、びっくりした。

そして次は古い町並みが残っているローテンブルクという町へ向かう。町に到着してバスを降りると変なにおい。奈良公園のにおいと同じようなにおいである。馬でもいるのか。その町で先に昼食をとった後、町を見学。教会にはうちの学校の教会と同じく、ミサで歌う聖歌の番号を表示するボードがあった。ここのマクドナルドに入ってみるとハンバーガーが1.95マルク(約120円弱)、日本のバリユーセットと同じものにデザートが付いたものが7.99マルク(約480円)であった。また、お土産屋にはアルプスの少女ハイジの人形や、ポケモンのポスター・ぬいぐるみがあった。ポケモン人気はヨーロッパでもすごいらしい。そしてやはり馬車があった。

そしてその後は宿泊地、ミュンヘンへ。その途中のサービスエリアでお菓子を食べ過ぎたため、夕食はビアホールでのソーセージだったのだが、あまり食べられなかった。ホテルはミュンヘンのホリデーイン。

3月27日の朝、CNNのニュースを見ていると、プーチンがロシアの大統領に選ばれたと放送していた。この日は朝からホーエンシュバンガウという町にあるノイシュバンシュタイン城へ行く。この城は自分の殻に閉じこもってしまった王様がつくった城で、城の中にはいかにも中世ヨーロッパっぽい絵などが多数あった。城内ではテープで日本語の解説が流れたが、ドイツ人が吹き込んだらしく、「大きな小さなコンロをご覧ください」などという解説であった。この城は白鳥城とも呼ばれ、景色がすばらしい。ドイツにはこのような城が多数あり、ここのように観光名所になっているものもあれば、廃墟と化しているもの、未だに住んでいる人が居るものまである。この日はあいにく雪で、城は山の上にあるので、城まで行く小型バスが運行されていなかった。だから代わりに馬車に乗った。しかしこの馬車の運賃が高い。上りは8マルク(約480円)、下りが4マルク(約240円)もする。馬車には上りも下りも無理やり詰め込んで14人が乗ったので、運転手は1往復で合計168マルク(約1万円)の儲けである。経費は馬の餌代だけ。

昼食はここにあるレストランで取った。ポテトサラダと魚のフライであった。西洋ではほとんどがこの手の食事。また、レストランの隣にはお土産屋があったのだが、店の入り口に日本語で「靴の泥を落としてからお入りください」と書いてあり、一瞬日本国内の店かと思うほどであった。立ち寄るお土産屋は旅行社が提携を結んでいるところなので、日本語の表記などがあっても当然なのだが、いかに日本人の観光客が多いかがよく分かる。

さて、ドイツと言えばベンツ社の車が有名であるが、やはり同社の車が多い。昔「なるほどザワールド」でドイツのトラックはベンツ社のものが多いと紹介していたが、その通りである。我々が乗っていたバスもベンツ社のものであった。しかしTOYOTAのCMもテレビでしていたし、日本車も多数見かける。

そしてノイシュバンシュタイン城を出てから一路スイスへ向かった。

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