第１章 北海道移民に関する研究史
北海道和人社会の生活文化に関する研究は、従来ほとんど行なわれていなかった。これは北海道開拓が本格的に始まったのが1869年であり、当時はロシア南下に対する危機感が強かったため北海道の開拓が急がれ、北海道研究も開拓使の政策に貢献するために農学や商学など実学的研究が最優先とされたためであった。このことは、北海道大学の前身が札幌農学校であったことからも理解できるであろう。
北海道における文化人類学・民俗学的な研究は、外国の研究者が先駆けたアイヌの人びとに関わる研究(1)がそのさきがけとなり、以降金田一京助や知里真志保などによる言語学の立場からの研究、河野広道や高倉新一郎などの北大グループの農政学・植民学・形質人類学的立場からの研究、山田秀三のアイヌ語地名研究などが盛んに行なわれるようになった。
これに対し、北海道に移住した和人社会の生活文化に関する研究はほとんど顧みられなかった。これには日本民俗学の発生事情も関係している。すなわち、日本民俗学は明治以降の急速な生活文化の欧米化に対するアンチテーゼから発生したのであって、その学問的関心は日本の伝統文化の祖形を追求することにあった。このため、明治以降に道外各地から移住した人々によって新しく形成された和人社会には、関心がまったく払われなかったのである。
ここでは明治以降、現在に至る北海道の和人社会に関する研究史の動向を、広い意味で移民史の分野も含めてごく簡単に見ることにしたい。
1-1 戦前の北海道移民研究の動向
北海道移民に着目した研究で最も古いものは、1901（明治34）年に札幌農学校を卒業した木村徳蔵が書いた卒業論文である「北海道移民増減論」(2)が最初であるといわれており、このほかにも移民受入事業遂行のために北海道庁殖民部拓殖課の機関紙『殖民公報』が明治末期から大正初期にかけて「各府県移住民概況」を連載しているが、本格的な学問的研究とはいいがたいものであった。大正初期は北海道移民が最高潮に達した時期であるが、明治から大正に至る時期に移民研究と呼べるものはほとんど存在しなかった。
北海道移民に関する言及が見られる最初の本格的な研究は、1937（昭和12）年に北海道庁が編纂した『新撰北海道史』全7巻であり、同書第4巻通説3、第8編「北海道庁時代」には「移住民の増加と其原因」の一節があり、「移住民の増加と其構成」・「移住者の分布と戸口の増加」・「移民増加の原因」・「特殊要因に基く移住」の4項目があり詳細な検討が加えられている。
『新撰北海道史』刊行からまもなく、北海道移民史研究の力作と呼ばれる二つの研究が発表されている。山田 秀「北海道移民の研究」と安田泰次郎『北海道移民政策史』(3)がそれである。
山田は北海道移民を「現代資本主義社会に於ける移住現象」という観点から、移住の原因として「積極的」・「消極的」の「二範疇」があり、前者は「移住者の到達地に於ける諸々の利益」＝「彼等を其処に惹附ける力」、後者は「移住地の出発地に於ける諸々の不利」＝「彼等を其処から押出す力」であるとした上で、1892年から1935年の間の北海道移民の統計的処理を行なった。そして北海道移民数の3つの頂点（1897年前後・1907年前後・1919年前後）を明らかにし、それぞれの原因について考察を加え、なおかつ移民を送出した側＝「移民の故郷」についても考察を加えている。
これに対し、安田の研究は主として移民を受け入れる側（北海道）の視点から見た移民政策について詳細な分析を加えたもので、900頁にも及ぶ大作である。しかし、山田論文が移民を送出した側に関心を寄せているのに対し、安田の著作では主眼があくまでも北海道移民政策の変遷の追求に於かれていたため、北海道移住の原因に関する言及はあまりない。
戦前の北海道移民研究としては山田・安田の業績が一つの到達点とでもいうべきものであって、とりわけ山田論文はこれ以後の北海道移民史研究の原点とでもいうべきものであった。
なお、この時期和人社会の生活文化研究はまだほとんど着目されておらず、1936年に知里真志保の義弟にあたる佐藤三次郎の『北海道幌別漁村生活誌』があるのみであった。また、当時農政学の研究を行なっていた高倉新一郎は柳田国男と面談する機会に恵まれ、北海道民俗文化の研究を行なう必要性を触発され、本論文で紹介する八雲の徳川農場にも何度か足を運んだという。しかし、実際に成果としてまとめられることはなく終戦を迎えている。
1-2 戦後の北海道移民研究
戦後になると、文化人類学の立場からの北海道移民研究がはじめて行なわれた。すなわち1950年に泉 靖一・蒲生正男・祖父江孝男などが行なった「北海道移住日本人農民集団」に関する人類学的・民族学的研究であり、奈良県十津川村と北海道新十津川村（当時）とを比較するものであった（泉 靖一『社会学講義資料�機欅燭觧蛎爾離皀離哀薀奸抃品呼化馘后�1950年など）。これらは形質人類学的な側面が強く、母村と開拓地住民双方の骨格や性格・体質の差異を比較することに重点が置かれており、移民の送出過程や開拓地の生活文化にはそれほど関心が払われていないが、衣食住等の方式は一様化の道をたどっているとしている。このほかにも沙流郡門別町の漁民の研究などこの時期道内のいくつかの場所で調査が行なわれ、泉 靖一・蒲生正男「北海道移住漁民の人類学的研究（一） −沙流郡門別村における漁村の成立とその生活」（明治大学政治経済研究所『政経論叢』第20巻4号、1952年）として発表されたが、これ以後この分野からの北海道移民研究は途絶えている。
また、個別の地域の民俗文化研究としては関矢留作の『野幌部落史』（北日本社、1947年）が戦後初めてのものであり、戦前に集めていた古老からの聴き取り・移住当時の農具・家具やさまざまな文書史料などを駆使して書かれたものであったが、関矢が刊行以前に急逝したこともあって、これ以後この流れは引き継がれず北海道100年を迎え1960年代後半まで北海道和人社会に関する文化人類学的・民俗学的研究はほとんど行なわれておらず、むしろ在野の郷土史研究家が支えていたような状態であった。
移民史研究の分野でもやはり1960年代までめだった研究はほとんど出ておらず、1966年の永井秀夫の論文「北海道移住と府県の状況」（『新しい道史』19号）が戦後初めての本格的な北海道移民史研究であった。永井論文ではこれまでの北海道移民史研究は、いずれも北海道側から見た府県との関係であり、内地諸府県にとっての北海道移住の意味を測定するには不十分であると批判し、1920年の国勢調査関係資料を利用して「北海道移民送出地が人口流出地域と合致する」こと、「東北地方を除く北海道移住民送出府県と、地主制早期展開地帯の一致」の2点の問題提起を行なっている。
永井論文以降は、北海道100年を迎え北海道開拓の歴史に注目が集まるようになったこともあって、北海道移民史研究も徐々に増えてくるようになった。これ以降の主な移民史研究を列挙すると、桑原真人「明治・大正期の北海道移住」（『新しい道史』35号、1968年）・榎 勇「明治年代における北海道移民についての若干の考察」（農林省農業総合研究所北海道支所『研究季報』47号、1970年）などや、人口論の立場から見た西川俊作「北海道への人口移動：1869-1970年」（一橋大学経済研究所『経済研究』23巻4号、1972年）などが挙げられる。
また、それまで北海道移民史研究はほとんど北海道側の研究者によるものが多かったが、これ以後は道外の研究者による研究も徐々に増えてきている。とりわけとくに多くの移民を送出した東北・北陸・四国では、市町村史の編纂でも北海道移住に触れることが多くなっている。この中で特筆されるべきは地理学の立場からの徳島大学の平井松午の研究である。平井は北海道移民研究に関して、海外移住研究と比べて「移民の輩出・入植・定着」といった移住の「メカニズム」の解明が遅れているとして、徳島県出身北海道移民を例に、「初期移民」入植地周辺に「後続移民」が入植・定着する傾向があることを明らかにした（「徳島県出身北海道移民の研究」『人文地理』第38巻第5号、1986年）。また、これまでほとんど言及されていなかった北海道移民の道内での空間移動や定着状況についてもはじめて言及している（「北海道移民の定着と移動」『日本の科学者』262号、1989年）。
生活文化研究の立場からの研究では、1970年代以降、札幌大学の宮良高弘らが民俗学的立場からの北海道研究を志し、1969年から北海道に移民を送出した母村と開拓地の比較研究を進めている。1982年には「北海道みんぞく文化研究会」が発足し、会誌『北海道を探る』を刊行して道内各地での調査を進めている。北海道みんぞく文化研究会の活動で特筆すべきは、開拓村落の調査のほかにも「津軽海峡文化圏」(4)を想定し、従来注目されていなかった北海道最南部の和人社会の生活文化の調査を行なったことである。
また、1968年には北海道100年を記念して北海道開拓記念館が開館し、全道レベルでの生活文化に関する諸資料の収集・整理・展示がなされるようになった。これとともに学芸員による体系的研究も行なわれるようになり、その業績は年2回程度刊行される『北海道開拓記念館調査報告』に収録されている。北海道開拓記念館による研究は、民具・家具・漁具・農具などの生活用具や家屋などの物質文化や生産方法や漁法などに関する調査研究が非常に多いが、そのほかにも村落の形成や信仰儀礼などの生活習俗や郷土芸能などに関する研究も数多い。
このほか、1980年5月には札幌市において「『北海道移植民に関する研究』をめぐる国際会議」が北海道大学・北海道庁後援の下で開かれている。この国際会議の目的は、東南アジア等における人口分布の不均衡是正の政策に対し、その先駆的モデルともいうべき明治期の「北海道移植民」の再検討を試みようとしたものであり、この種の国際会議で北海道移民が取り上げられた最初のものであった。
以上が、現在に至るまでの北海道移民に関する研究の動向であるが、全体的に個別論文の数が少なく、一地方史としての扱いであり、研究史をたどるほどの積み重ねがあまり感じられないといえると思われる。文化人類学・民俗学の分野での北海道移民研究も、少ないとはいえ札幌大学などで続けられているが、個々の市町村の生活文化の残存要素に関する研究にとどまり、それを超えた北海道に共通する新しい生活文化＝移民文化とは何か、というところまで視野を延ばした研究は残念ながらほとんど行なわれていないように思われる。単に民俗学の視点からのみでなく文化人類学的な視点によって、移住者からもたらされた文化がどのように混合・融合し変容していったかの過程を究明することが求められているが、ほとんど進んでいない状況であるといえるだろう。
1-3 徳川農場に関する先行研究
最後に、本論文で取り上げる尾張徳川家による八雲開拓に関する先行研究を列挙してみる。徳川家による八雲開拓は、明治初期の北海道移民の主力をなした士族移民のなかでももっとも成功した例の一つであり、一時期北海道みやげの代表格であった熊彫りも八雲から生まれたことから、北海道移民に関する研究をする人自体が少ないとはいえ、その中では早くから注目されてきたといってよい。たとえば、もともと農政学の立場でアイヌ研究を行なっていた高倉新一郎は、柳田国男と面談した後、北海道和人社会の民俗文化研究の必要性を感じ、八雲で徳川家が経営していた徳川農場に滞在して聞き取り調査などを行なったという。しかし、実際にこの成果が論文として発表されることはなく、徳川農場が発行した農場の沿革に関わる書類や、農場長であった大島鍛(きとう)が入植草創期からの史料を編纂した『徳川農場沿革史』（1928年頃編纂。未刊）など、徳川農場自身が農場の歴史について編纂・執筆した書類がある程度である。
終戦後は、林 善茂「徳川農場発達史（一）〜（三）」（『経済学研究』第5・6・13号、1955・1956・1963年）および武田良三「開拓地農村共同体の展開と特質（一）−北海道八雲町鷲巣部落の場合−」（早稲田大学社会科学研究所『社会科学討究』第1号、1956年）の2つが、徳川農場に関して書かれた初めての学術論文として特筆されよう。
このうち林論文は経済史の立場から徳川農場について、経済史の立場から、その発生から大農場となるまでの沿革を時代ごとに詳しく述べたものであり、具体的には「第一章 徳川農場の発生」・「第二章 直接保護時代」・「第三章 間接保護時代」・「第四章 小作自営時代」・「第五章 小作農業発展時代」・「第六章 小作人保護時代」に区分してそれぞれの時代の移民の農業・統制・農場の経営状況について考察している。その後に書かれた『八雲町史』などの八雲町の歴史について書かれた文献は、ほとんど林論文に時代区分などを依拠したものである。ただ、林論文は全4編で完結する予定であったが、4編目は経緯不明であるがこれまで発表されておらず、いささか不十分の感は否めない。また、論文の性格からいって移住のプロセスにはあまり関心は払われていない。
これに対し武田論文では、社会学の立場から、「封建的な翳りがきわめて少なく、主導的には明治の歴史が展開すると共に、新しい処女地に開拓の鍬が打ち下ろされた開拓地の村々」を構造分析することで「日本の村落社会の近代化の問題に一つの方向を暗示する」ことをめざし、八雲町の気候や土壌および士族移民の移住のプロセスなどを背景にしてどのように開拓村落が形成されていったかについて分析している。短い論文ではあるが、移住の背景の説明もなされており(5)、北海道と故郷の生態的条件の違いからどのように農業を発達していったかという観点のある北海道移民に関する研究はそれまでほとんどなく、その点では画期的であるといえる。
これ以降、八雲に関する研究は非常に少なく、移民の子孫たちが郷土史研究としていくつか著作を出している程度である。高倉新一郎も戦後は『郷土と開拓』（1947年）などで道内の民俗文化について触れており、なかには八雲に関する記述も見られるが、これは随筆に近いものであり、本格的な研究論文とはいいがたい。また、1984年には『八雲町史』が編纂されているが、これも徳川家による開拓に関する部分は林論文の引用であることが多く、とくに目新しいものではない。このほかには、法学の立場で熊谷開作が1981年に徳川農場の移住民取締法規について述べた「開拓農場における擬制的家族関係−北海道徳川農場の例−」（有知 亨・江守五夫ほか編『家族の法と歴史』法律文化社）がある程度である。
一方、移民を送り出した側である尾張徳川家は現在、徳川林政史研究所をつくり八雲開拓に関する史料も大量に保管しているが、林政史研究所で八雲開拓に関する研究をしている研究者はおらず、わずかに大石 勇が八雲の熊彫りと徳川義親との関係に注目した『伝統工芸の再生−北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』（吉川弘文館、1994年）を刊行している。もちろんこれは熊彫りに注目したものであり、徳川家による八雲開拓に関して触れたものではない。
徳川家による八雲開拓は、道内の主な開拓地では知名度のある方であり、研究者からもそれなりに注目されていたようであるが、豊富な史料が残されている割には全般的に目立った研究論文は出ていないのが実情である。
＜註＞
(1) 外国人がアイヌの人びとに関心を持つ状況は、すでに江戸末期から見られ、1865年には英国領事ワイスが森と落部で墓地を盗掘して国際問題に発展したこともあった。明治以後も北海道を訪れた外国人がアイヌの人びとに関する記述を残す例は多く見られた（イザベラ・バードなど）。この背景には、当時欧米で人種論的な観点から「アイヌの人びと＝コーカソイド説」が広く信じられており、欧米でアイヌの人びとが注目を浴びていたことが挙げられる。
(2) 北海道移民に関して書かれた卒論は、これ以後も非常に少なく、とくに大正期にはほとんど書かれていない。これらの卒論はいずれも北大農学部図書室に保管されている（桑原1982、101頁）。
(3) 安田『北海道移民政策史』は、もともとは北大農学部の1930年卒論として書かれたものを大幅に加筆修正したものである。
(4) 北海道でも最南部の地帯は、かつて「和人地」と呼ばれ江戸時代以前から和人が居住していた地域であり、生活文化の様相も開拓村落とは異なっている。宮良氏らのグループではここに着目し、津軽海峡を挟んで対峙する青森県側と旧和人地の漁村の調査を行なうことで、両者の生活文化に共通性があることを明らかにしている。
(5) ただし、武田論文の移住の歴史的背景にあたる部分はほとんど吉川『明治維新社会経済史研究』の引用である。