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ファイルナンバー008:桜の木と3輪トラック
(福島県南相馬市原町区)
平成21年4月12日。原町の桜は見事に満開だ。
土日に合わせて満開になるとは、今年の桜は空気を読んでくれている。
画像の桜は勢い、咲きっぷりと言い申し分なしだ。
上の画像のソメイヨシノの斜め向かいには、ご覧のような見事な枝垂れ桜が満開となっていた。
浜通りの桜と言えば富岡町の夜ノ森が特に有名だが、旧原町市内にも桜の名所が随所に存在する。
市内を散策しながら、お気に入りの桜を見つけるのも乙な事だろう。
桜の木の下には廃車体がある。
この廃車はいつからここに存在していたのだろう。
私がはじめて見たのは昭和63年の事と記憶している。あれから20年余り経ったが、この廃車はずっとこの位置にある。
原町市内に住む人ならば必ず一度は目にしている(筈の)この廃車。
今回は気になるこの車をレポートする。
「MAZDA」…マツダの文字が誇らしげに光る。タイヤが真ん中に見える。いわゆる「3輪トラック」と言うものだ。廃車とはいえ、3輪トラックには中々お目に掛かれない。
3輪トラックといえばダイハツのミゼット(軽)が有名だが、この廃車は(当時の)軽規格車よりかなり大きいと思われる。
ヘッドライト付近は周りのシールこそ腐ってはいるものの、レンズ自体に曇りは無く、現在でも使用に耐えることが出来そうだ。
マツダの車と言う事は分かった。次は車名をさがしてみよう。
「T1500」の文字が見える。
早速「マツダT1500」で携帯から検索を掛けてみる。
マツダ T1500と言う車名で間違いないようだ。
以下、にわか知識(笑)を交えつつレポートする。
マツダT1500の基礎知識
マツダ(東洋工業)T1500は昭和37年から昭和45年まで生産された3輪トラックである。
1956年(昭和31年)、2気筒OHV1005㏄ 31馬力のエンジンを積んだ3輪トラックは、
1959(昭和34年)には先進の水冷4気筒1139cc 46馬力のエンジンを搭載する「T1100」へと進化する。
1962年(昭和37年)にはUA型エンジン水冷4気筒1484cc 60馬力を搭載する「T1500」として更なる進化を遂げ、
兄貴分の「T2000」と共に、昭和45年まで生産が続けられた。
木陰になってよく見えないが、前輪ユニットは健在のようだ。
見たところ、現在のスクーターで使われているサスペンションに似た形式(ダブルトレーリングリンク式?)が使用されているようだ。
ホイールが白なのはオリジナルなのだろうか。なかなかのお洒落さんである。
発売当時「ふくろう」と称されたフロント部分を眺める。
今では到底望み得ない3輪トラックと言う形式の車が醸し出す表情は、現在のどの車にも似ていない異形のものだ。
ボンネットの曲線がなんとも言えない雰囲気を作り出している。
ボンネット上のアクセントになっている盛り上がり。
現在の人ならば「ターボでも積んでいたのか」と思われるだろうが、発売当時ターボなど市販車には存在しなかった。
それでは何の為に存在しているのかと考えてしまうのだが、これはフロントサスペンションのグリスアップポイントにアクセスする為の蓋なのだそうである。
3輪車ならではの工夫であると同時に、現代車がどれほどメンテナンスフリーである事か思い知らされる。
昔の車にはグリスアップポイントと言うグリスを注入するポイントがいくつか存在していたのである。グリスガンでグリスを注入し、異常が無いか点検し、ついでに車を磨いて車を労わるのである。
今の若者に言えば「グリスって何ですか?」ぐらい言われかねないだろうか…
ウインカーも何やらかわいい形をしている。
実用車なのだからもっと無骨でも構わないと思うのだが、昔のマツダ(東洋工業)はかの有名な「コスモスポーツ」や「キャロル」を始めとして先進的なデザインを誇る会社であった事を考えると驚く事もないのだろう。
ワイパーやフロントガラスを保持するゴムが健在なのにも驚かされる。
製造後、40数年を数えてなお部品が当時のままであると言うのは素晴らしい事だ。
製造品質に妥協しなかった事が伺える。
運転席のルーフは筒抜け…ではなく、販売当時オープントップ仕様だったものが廃車後に浸水や落ち葉の体積に耐えかねキャビンにビニルレザーが落ちてしまったものと考える。
数年前はちゃんと屋根として機能していたと思うのだが…いつ落ちたのだろうか。
ここから体を乗り出し、荷物の揚げ降ろしをする…などという実用的な使われ方をしていたのだろう。
吹きさらしとなった運転席内部ではあるが、今のところ致命的な事態には至ってないようである。
内部に笹が茂っている事を考えると、おそらく座席は凄い事になっていると思われる。
画像からも分かるように、ハンドル、ホーンレバーやインパネ部分は無事のようだ。
右ハンドル車なのにシフトレバーは右側にあり、乗車定員は3名だった。
3人乗ったらさぞ窮屈だった事だろう。
僅かに開かれた三角窓やドアノブ(鍵穴が見当たらない!)にも注目したい。
「自家用」。ファミリーカーでは無い事は一目瞭然だが、この車には会社名(屋号)が見当たらない。
上の画像、ドアの脇に「原町市」と書いてあるのが見えるだろうか。
マツダT1500はその取り廻しの良さから細い路地に難無く入っていけたそうである。特に木材を扱う仕事(林業、大工)の方に重宝された。
元の持ち主はどのような方だったのだろうか。考えてみる。
曲線を使った運転席部分と違い、荷台部分は無骨極まりない直線基調のデザインだ。
煽り扉の開閉機構は今のトラックの構造と変わっている所は無い。
これはガソリンの給油口だろうか?
脇にあるのがガソリンタンクと思うのだが、追突でもされたら危なくないだろうか。
給油口は鍵穴など無く、ただのキャップのようだ。
画像にも見えるが、車両後部のウインカーレンズの類は残念ながら失われてしまっているようだ。
全面的に錆が浮いてはいるものの、奇跡的に荷台に抜け落ちている部分などは無いようだ。
こちら側の煽り扉は開かれている。
マツダT1500は荷台の3方向が開くタイプと後ろ側のみが開く1方開の2タイプがあったそうである。
画像では狭そうに見える荷台だが、2.38mの有効長を誇るという。
後輪のタイヤは細めであるが、現在のタイヤと変わるところは無い。
長期間放置された車体のタイヤにしては、驚くほど原型を保っている。
タイヤに目を凝らし、銘柄を読み取ろうとしたのだが判読できなかった。
タイヤの銘柄とサイズが分かれば、また違った側面からT1500について調べる事が出来たと思うのだが…
枝垂れ桜に護られ、ゆっくりと朽ちていくマツダT1500.
来年、桜が咲く頃T1500はここに存在しているだろうか。
来年はコーヒー片手に満開の枝垂れ桜とT1500を愛でることにしよう。
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