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ファイルナンバー009:東禅寺隧道
(福島県双葉郡広野町)
平成21年4月12日。ここ双葉郡広野町の桜は満開だ。
欧州ポーランドに住む人は、日本の事を「桜の国」と呼ぶそうだ。
そこかしこにソメイヨシノが満開を競う様を見られるのは、日本だけだろう。
広野駅をいわき駅方面に向けて出発した電車は、まずこの東禅寺山トンネル(118m)を通る。
全く普通の現役トンネルであり、見るべきものは無い。
踏切の名前は「東禅寺踏切」となっている。
踏切の先には、踏切とトンネルの名前の由来となった「東禅寺」の入口がある。
東禅寺の入口の脇には常磐線旧線の隧道「東禅寺隧道」が口を開けている。
昭和43年の電化完成により、形状が小さく、架線工事が出来なかった四ツ倉〜鹿島駅間の旧隧道は隣接地に新しくトンネルが掘られ、新線に切り替えられた。
残された旧線の隧道は、今現在でもほとんどが当時のまま現存している。
鹿島〜竜田間の旧隧道の様子は相互リンク「山さ行がねか」の隧道レポートで詳細に語られている。
隧道の上部を見ると、ご覧のように整地がされており隧道が境内の真下を貫いている様子が分かる。
シチュエーションこそ全く違うが、東京都北区赤羽にある学園の真下を貫く「赤羽台トンネル」を連想した。
さすがは国鉄の隧道である。
この堂々とした佇まいはどうだろうか。
門柱、坑口…どれをとっても素晴らしいデザインである。近代建築物遺構として保存されても不思議は無い。
40年前、この旧隧道をC62に率いられた特急「ゆうづる」を始めとした数々の列車が通り抜けていたのだ。
東禅寺隧道は車道として現役であると言う事なので、私も徒歩にてお邪魔させて頂く。
現在の東禅寺山トンネルが118mなので、こちらの隧道も120m前後の全長と思われる。
隧道内部はご覧のように煉瓦によって内壁が作られている。
崩落も無く、同じ模様の目地が連続する様は見事である。
天井付近の色が様々に変化しているのは、水分の浸透かそれとも蒸気機関車の通った名残か…
かつてはバラストが敷き詰められていたであろう道床は、現在ではご覧のようなダートとなっている。
現役の車道とは言え、不必要に多くの車両が通行しないダートはほぼフラットになっている。
隧道には当然の事ながら、待避坑が設けられていた。
奥行きとしては数十センチ程であろうか。人ひとりが入る分には十分なサイズだ。
どこかの隧道
みたいに待避坑がやたらに長かったら嫌だが…
アーチ部分の煉瓦の見事さに感心する。
じっくり見ていると、出来の良い暖炉のようにも見えてきた。
隧道の中央付近で、内壁が灰色一色に変化した。
モルタルで塗り込まれているようだ。
煉瓦の落下防止のために施されたのだろう。
モルタル施工部分に存在する待避坑も、ご丁寧に塗りこまれていた。
こころなしか煉瓦の色が透けているようにも見えるが…
隧道内から緑あふれる外界を望む。
好きでやっている事とはいえ、隧道内にいると言うのは例えようの無い不安感を感じる。
出口が近づくにつれ、不安感から開放されたような気分になる。
隧道のアーチに切り取られた空間は、留まる事の無い一枚の絵画のようでもある。
いわき市湯本の宝海隧道
のように、トンネルの先が住宅地…などと言うことは無く、見ての通りの荒地である。
この先に点在する畑にアクセスする道路の一部として東禅寺隧道は今も生き続けているのだろう。
道の先には現在の常磐線の線路が見える。
広野町側の東禅寺隧道の坑口は「廃」の趣あふれる佇まいとなっている。
坑口のデザインはいわき側と全く同じである。
煉瓦の隙間に根を伸ばし、逞しく成長する一本の樹木。
いつか思いもよらないほどの大木に成長し、隧道の坑口に致命傷を与えるかもしれない。
あるいは、隧道の反撃を喰らい樹木は枯れ、地上に落下するかも知れない。
隧道を引き返し、いわき駅側の外界を望む。
隣の末続(すえつぎ)駅に向けて進んでいた鉄路の跡は、猛烈な藪と化し辿る事はできない。
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