このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ファイルナンバー 012

〜国道49号 三和隧道といわき三和トンネル〜

 

 

 

平成22年11月28日。午前10時。気温12度。

 

ここは福島県いわき市三和中寺。

 

今回は今年8月29日に開通した「いわき三和トンネル」と、それに伴い旧道となった「三和隧道」の現在の様子をレポートしてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車を停めたパーキングエリアから、いくらも進まない内に、新道と旧道の分岐点が見えてきた。

 

緩やかに右カーブをする現在の国道49号と、築堤を駆け上がる旧国道49号が良くわかるだろう。

 

まずは旧49号を進んでみることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、目を道端にやると簡素な台に花や食べ物、水などが供えられていた。

 

…工事完成直前、7月15日…トンネル工事に伴う付帯工事の作業中にコンクリート資材の積み降ろしをしていたユニック式トラックが横転し、51歳の男性作業員が死亡した。…

 

恐らくはこの付近で事故に逢われたのだろう。

 

手を合わせ、一礼して冥福を祈った。

 

なお、この死亡事故によっていわき三和トンネルの開通が当初予定の8月4日から8月29日に延期された。+

 

 

 

 

 

 

!!

 

なんという豪快な処理か。

 

旧道は車道としての命脈を完全に絶たれ、物理的に車両の通行を許されないように施工されていた。

 

しかし、人間の通行は可能のようだ。

 

勢いをつけていけば…せーの…!

 

 

 

 

 

 

 

どっこいしょ!!

 

首尾良く旧道上に参上する事ができた。

 

車道上には簡素なバリケードが設置されていた。

 

中寺地区からこの旧49号にアクセスする事は出来ないが、トンネルの反対側からであれば、このバリケード付近まで来る事は一応可能なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧道となってから3ヶ月ほどしか経っていない路面は、センターラインや速度表示もそのままだ。

 

今にも向こうから車両がやってきそうな雰囲気だが、もうあの喧騒は二度と戻ってこない。

 

旧道は静かに余生を過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もはや誰も見ることの無くなったラジオ放送の案内版が寂しげに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ついこの間まで何回となく通ったこの道だが、ここに何の標識があったのか思い出せなかった。

 

「国道49」だっただろうか?

 

「滑りやすい」であっただろうか?

 

取り外された標識はどこかに転用されたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二度と表示される事のないトンネル内情報版が残されていた。

 

いずれは何処かのトンネルの入り口に移設されるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道としての厚遇を解かれた旧道はゆっくりと、だが確実に廃道として変化していく。

 

トンネルを示す標識も笹に埋もれようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坑口付近に佇む電気盤のようなもの。

 

近寄って見ると「ラジオ再放送設備」と記されていた。

 

作動しているかどうかは分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが「三和隧道」(みわずいどう)の中寺側抗口だ。

 

いかにも前時代的な断面のトンネルである。

 

この三和隧道は、超大型貨物(海外コンテナなど)の通行が困難であり、また隧道の前後が坂である事による渋滞などの発生が以前より指摘され、解決策として事業化により新しい「いわき三和トンネル」の建設が進められたのだ。

 

数多くの車両を通してきた隧道は、長い任務を解かれ山中にその威容を残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「1964年3月」

 

1964年は昭和39年。東京オリンピックが開催された年である。

 

当時としては標準的なトンネルだったのだろうが、半世紀近く経ちトンネルに要求されるスペックを満たせず、時代遅れになってしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然予想された事であるが、三和隧道の内部はすごく暗かった。

 

ほんの数ヶ月前までは煌々とオレンジ色のランプが車道を照らしていたのが嘘のようだ。

 

私が訪れた大笹隧道、滑津隧道などとはまた違った寂しさがある。

 

シャリ…シャリ…

 

隧道内に私の靴の音だけが響く。

 

 

 

 

 

 

 

大量の煤によってトンネル内部とほぼ一体化した消火器ボックス。

 

「消火器」の文字だけが暗がりに浮かび上がり少し怖い感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「100m 非常電話」の案内に従い歩いてきたが、非常電話は既に取り外された後だった。

 

新トンネルに転用されたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道の坑口が緑の画を描く。短かった三和隧道の探訪も終わりだ。

 

出口近くには電光表示板を積んだトラックが所在無げに停車していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが三和隧道の合戸(ごうと)地区側の坑口である。

 

見た感じでは中寺地区の坑口と変わるところは無い。

 

大型貨物車が無理に通り抜けようとして、トンネル内部に接触する事故が多発したと言うが、痕跡は見受けられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合戸地区側のバリケードは隧道の入り口にやや近いところに設置されていた。

 

こちら側には民家があるので、そのための処置だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バリケードの手前にはご丁寧にも「通り抜け出来ません」の看板が設置されていた。

 

看板横に見える緑色の箱は冬滑り止め用の砂を収納している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道49号線をある程度利用される方には懐かしい風景ではないだろうか。

 

私はこの景色をみると「いわき市に来た」と言う思いを強くする。

 

だが、この景色はもう過去のものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように、旧道と新道の交差部分は現在も工事が続けられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作業用道路を使って現在の国道49号へアクセスする。

 

こちらが8月29日に開通した「いわき三和トンネル」(743m)の合戸側坑口である。

 

断面が明らかに旧道と違うのがお分かり頂けよう。もちろんトンネル内の高さにも余裕がある。

 

このいわき三和トンネルの開通によりいわき市から郡山市への物流が格段にスムーズになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルの余裕ある断面は2車線を有してなお、歩道もご覧の幅を確保している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消火器ボックスと非常用電話がセットされたスペース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルの中央部は白熱色の電灯が内部を照らす。

 

三和トンネルは比較的長めのトンネルではあるが、勾配がほとんど無いので内部の空気を換気するために設置されるファンジェットなどは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約数分でトンネル内を通過。

 

こちらがいわき三和トンネルの中寺側坑口だ。

 

西向きでもあり、坑口周辺の植生が少ないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北側を見ると、旧道の築堤がはっきりと見えた。

 

かなりの急勾配だったことが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は国道49号線のいわき三和トンネルとその旧道にスポットを当ててみた。

 

国道49号線は時代に応じて幾多の改良工事が行われている。

 

それらの痕跡は今でも道端に残されている。

 

機会があればそれらもレポートしてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トップに戻る

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください