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常磐炭鉱㈱茨城鉱業所第六坑専用エンドレス軌道
〜エンドレス軌道を探索する〜
○ 第六坑エンドレス軌道の基礎知識
大正6(1917)年 :大北川橋と十石隧道の完成により、茨城無煙炭鉱第二坑から南
(南
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大正15(1926)年:茨城無煙炭鉱第二坑→大倉鉱業㈱第二坑へ
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昭和9(1934)年:大倉鉱業㈱第二坑→入山採炭㈱中郷無煙炭鉱第二坑へ
↓
昭和16(1941)年:入山採炭㈱中郷無煙炭鉱第二坑→中郷無煙炭鉱㈱第六坑へ
※ 第二坑から第六坑へ坑口移動、同時にエンドレス軌道を延長。全長1.8km
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昭和19(1944)年:入山採炭㈱と磐城炭鉱㈱の合併により
中郷無煙炭鉱㈱第六坑→常磐炭鉱㈱茨城鉱業所中郷鉱第六坑へ
↓
昭和30(1955)頃 第六坑閉山、エンドレス軌道廃止
(エンドレス軌道始点推定地):
中郷鉱石炭積込所の裏手からエンドレス軌道は始まっていたものと考えられるが、今では痕跡すら無いようだ。
とりあえず県道 日立いわき線の直角カーブを曲がった辺りから探索開始することにした。
しばらく行くとバス停があった。
「日立電鉄交通サービス」が運行している。
バス停の名前は「三鉱」。中郷鉱は開山から常に「第三坑」を名乗っていた。その名残だろう。
エンドレス軌道は県道(画像)の右側に敷設されていたと思われる。短い隧道も存在したらしいが、県道の拡幅工事で消滅してしまったそうだ。
バス停から200m程進むとトンネルが現れる。
このトンネルは平成7年に竣功した「新」十石(じゅっこく)トンネルである。
だが、今回用があるのはこのトンネルではない。
新しいトンネルの入口から50m程手前にひっそりと旧道が分岐していた。
進入禁止用のガードレールは倒れ、旧道には木々が覆い被さってきている。
ちょっとした「廃道」と言うところか。
ガードレールの先に見える標識には「3.5m」の高さ制限を示している。
旧道のトンネルは背の高い鉄板により塞がれていた。もし通り抜けが出来るほどの幅があったら通行しようと思っていたのだが、
この状況を見て新道へ引き返した。
この「旧」十石トンネルは昭和23年3月竣功(常磐地方の鉱山鉄道より)。坑口も中々の佇まいを見せている。
この旧十石トンネルの更に右側にはエンドレス軌道用の十石隧道があった。
旧トンネルから更に右の藪に目をこらすと、僅かに平場があるようだ。エンドレス軌道の跡かもしれない。
十石トンネルを抜
トンネルからいくらも行かないうちに橋があった。
川の名前は大北川。川幅は狭いながらも十分な水量があり、流れはかなり速い。
私が今立っている橋の名前は「孝行橋」大変良い名前の橋である。
コンクリート造りの頑強そうな橋脚が2基確認できた。エンドレス軌道の橋脚だろうか。
エンドレス軌道開通後、地元の住民も日棚地区に行く為、軌道上を歩いたり、炭車に便乗していたのだろう。
さすがにそれでは危険(軌道中央に高速の鋼索が移動しているので、エンドレス軌道の軌道上を歩くのは大変危険である)なので車道(旧道)が開削されたのだろう。
それが先ほどの旧十石隧道なのだろう。
私の考えでは旧道とエンドレス軌道は戦後僅かの間は(昭和23年〜30年頃)共存していたのではないかと思う。
川の両岸にも橋台はしっかりと残っていた。画像は北側(石岡地区)の橋台を撮影したものだ。南側(日棚方向)の橋台も同じような造りになっている。
橋台の基礎は石積みになっている。かなり流れの速い大北川に対抗するため石積みで基礎を作り、その上にコンクリート製の橋脚をしつらえたのだろう。
中央の2基の橋脚も基礎は石積みになっている。
茨城県日立市在住の渡辺氏よりエンドレス軌道が運行されていた当時の貴重な画像を頂いた。
橋脚の形が上の画像のものと一致する。昔の大北川を写したもので間違いないだろう。
端正な形状の木橋であったようだ。
「茨城無煙炭鉱株式会社 二三坑連絡線橋梁」と説明文が添えられている。
炭車に添乗している人物が確認できる。無人で石炭を運ぶのかと思っていたが、そうではないようだ。
新十石トンネルが開通した後の石岡地区はとっても快適な2車線になっている。
橋を渡った後、道はY字型交差点に行き当たる。
右側の道は県道日立いわき線。左に別れる道はエンドレス軌道がかつて通っていた道だ。丘を少々登った右手に茨城無煙炭鉱第二坑があったと思われる。
しかし、この先ではエンドレス軌道の痕跡を見つけることはできなかった。恐らくは航空写真に追加した実線の辺りに敷設されていたと考える。
無念ではあるが終点(推定地)に行ってみよう。
県道日立いわき線に沿い石岡地区を進むと「常磐興産株式会社茨城営業所」と書かれた立派な看板が見えた。
ここはかつて常磐炭鉱㈱茨城鉱業所 中郷鉱第六坑があった場所である。
看板の後ろに見える住宅は炭鉱住宅だったものだ。今でも当時の佇まいを残している。
エンドレス軌道はその炭鉱住宅の後ろ側を走っていたようだ。
看板から少し行った先にはバス停があった。
バス停の名前は「鉱業所下」
これもかつての炭鉱時代の名残である。
炭鉱住宅が途切れた所、画面中央の民家の前あたりがエンドレス軌道の終点(石炭積込所)だったと思われる。
終点推定地あたりには軌道の痕跡は全く無い。
第六坑専用エンドレス軌道が開通する以前にはここから逆方向(すなわち磯原駅へ)むけてエンドレス軌道が敷設されていた。
「茨城無煙炭鉱㈱第二坑専用エンドレス軌道」(明治44年〜大正6年)である。
現在も
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