このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小高銀砂軌道 3

〜軌道の起点と謎の橋台〜

 

 

 

 

小高銀砂軌道が記載されている唯一の地図にご登場頂く。

米国式表記である為、国鉄線が細長く書かれているのに違和感を覚える。

「Hansaki」の文字の上に小高銀砂軌道が書かれている。

軌道の表記は小高駅まで続いていない。もし小高駅まで軌道が敷設されていたなら、もう少し軌道の表記は長くなるはずである。

当初、「軌道は小高駅まで通じている筈」と思い込んでいた私はこの地図をみて困惑した。

 

しかし、一人のご婦人が疑問の答えを提示してくれた。

 

 

 

「はし」の表記が個性的な飯崎橋の銘板。

 

ここで県道258号 中ノ内小高線は小高川を越える。

 

ご婦人が言うには、飯崎橋にいけばすぐ軌道の始点が分かるとの事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飯崎橋から200mくらい、そうそう、川のこっち(山)側。そこにね、板金屋さん。広田板金さんっていうのが有るのよ。

 そこにね、昔は土場があって、そこで砂を選り分けて(精製?)トラックに積んでいたのよ。」

 

…ご婦人の言った通り、そこには「廣田自動車板金塗装」さんがあった。

 

少なくともご婦人がお嫁に来た頃には既にここが小高銀砂軌道の終点だったに違いない。

 

地元の方に聞いて良かった。もし聞かずにいたならば、間違った軌道のルートと始点を皆様方に提示していた事だろう。

 

ご婦人に感謝である。

 

 

 

 

始点も推定できて一見落着…と思いきや、まだ謎が残っている。

 

「別に始点があったのではないか?」と言う疑問である。

 

その疑問を裏付けるような遺構が小高川に人知れず眠る。

 

そこに行ってみよう。

 

 

初夏の草が生い茂る小高川のほとり。

 

来る季節を決定的に間違えた。鉄道遺構を探すなら晩秋〜初春がベストだろう。

 

小高川の堤防を進んでいく。

 

果たして見えるであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

見えた。

 

四角いコンクリート構造物が対岸に視認できた。

 

車を通すには狭いような気がする。

 

軽便鉄道を通すならばちょうどいい具合。

 

この橋台の存在が私を困惑させる。

 

 

 

 

 

反対側(山側)の橋台は草に埋もれる寸前であった。

 

画像の上部で見切れているのが県道258号線である。

 

橋を渡り、軌道が右カーブを描けば「始点」に繋がるような気もする。

 

よしんば車道だったとしてもここに設置されている積極的な理由が無い。

 

軌道が通っていたと考えるのが適切だ。

 

 

 

 

 

橋台は2段構造になっており、下の段からは太目の鉄筋が露出していた。

 

下の段に橋(恐らくは鉄橋)が載せられていたのだろう。

 

山側の橋台も同じような構造になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋台から小高の街中を見る。小高工業高校(私の母校だが)のある吉名の丘からほど近い場所だ。

 

町内を探してみても軌道跡らしきものは見つけられなかった。

 

「軌道は最初から小高川の東側に存在しなかったのだ」

 

と考えるのは簡単な事だが、それでは橋台の説明がつかない。東側にも何かしら軌道があった筈だ。

 

「戦時中まではこちらにも軌道があって、町のどこかに土場が存在していた。」と考えると話が合いそうだ。

 

 

 

 

 

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