このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

重内炭鉱専用側線 番外編

〜C50型について〜

 

C50型蒸気機関車はそれまでの8620型蒸気機関車の改良型として昭和4年から昭和8年までに154両が生産された。

 

C50型共通スペック

 

全長:16m88cm

全幅:2m70cm2mm

全高:3m88cm5mm

 

重量:64.4t(機関車本体 48.5t 炭水車 15.9t)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

C50 103について

 

製造年月日:昭和5年3月13日

 

配置機関区

新製配置:高島機関区(横浜)昭和5年3月〜昭和6年5月

大宮機関区(埼玉):昭和6年5月〜昭和14年4月

佐倉機関区(千葉):昭和14年4月〜昭和18年4月

新鶴見機関区(川崎):昭和18年4月〜昭和20年11月

平機関区(福島):昭和20年11月〜昭和45年4月

廃車 昭和45年4月9日

全走行距離:1596万2892km

 

旅客牽引用として華々しく登場したC50だったが、後のC57やC62などよりハイパワーな幹線用蒸気機関車に押され、

ローカル線へと活動の場を移す事になる。

 

このC50 103もその例に漏れず、新製配置こそ横浜の高島機関区だがその後は都落ちの一方だ。

 

新鶴見機関区では入れ替え作業に使われていたものと考えられる。

 

戦後間も無くから廃車時まで平機関区を住処にした。

 

重内炭鉱専用側線の歴史とほぼ一致する在籍期間に注目したい。

 

(重内炭鉱専用側線の使用開始が昭和20年12月、休止が昭和44年12月)

 

 

 

 

 

蒸気機関車は前後がはっきりしているので、後部(炭水車)を見る事は少ない。

 

しかし、重内炭鉱専用側線をはじめとする常磐地方の専用側線(専用鉄道)では、終着(炭鉱)において方向転換ができないので、

炭水車側を先頭にして走る事も多かったようだ。

 

重内(山口)炭鉱専用側線は線形がスイッチバックとなっているので、多彩な運行方式(推進、押し込みなど)が見られたようである。

 

こちら側を先頭にする場合は前方を監視する人員が2名添乗していたようである。

 

牽引する相手が重量物(石炭)である以上、取り回しの良さ、引き出し性能(粘着力)等を考慮すると、C50型や8620型が重用されたのであろう。

 

 

 

C50 103は「常磐地方の鉱山鉄道」に現役時代の勇姿が掲載されている。(P125 大日本勿来炭鉱専用鉄道)

 

現役時代は主に常磐地方の炭鉱を縦横無尽に走り回っていたのであろう。昭和45年の廃車後、活躍の地から程近い原町市(現南相馬市

に静態保存されることになった。

 

めでたし、めでたしといきたいところだが…

 

C50 103の受難は廃車後にあった

 

 

 

 

 

  悲惨なる静態保存

C50 103は原町市博物館に寄贈され、原ノ町駅東口の「錦町児童公園」に展示される事になった。

保存当初は多くの人が訪れたであろうことは想像に難くない。

 

しかし、いつの頃からか誰もこのC50を省みなくなったかのように大変酷い状況になっていく。

風雨が叩いた機体には錆が浮き塗装は剥がれ、外版も欠損寸前の状況になった。

 

私が最初にこのC50を見たのは昭和62年と記憶している。

その時点でもう「静態保存」ではなく「放置」といえる状態であった。

C50 103は長い年月骸寸前の姿を公園の片隅で晒していた。

 

原町市の隣町、伊達郡川俣町にも一機の静態保存機が存在していた。

川俣町で静態保存されていた「C12 66」は大変に状態が良く、遂には車籍復活し栃木県の真岡鉄道にてその勇姿を披露している。

片や放置、片や車籍復活…地域によって機関車に対する思い入れはそれぞれ違う。

 

C50 103は現在は南相馬市「野馬追の里歴史民俗資料館」に移され、綺麗に塗装されて静かな時を過ごしている。

かつて炭鉱を走り抜けたC50…興味のある方は訪れてみてはいかがだろうか。

 

 

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