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高萩炭鉱、向洋炭鉱専用側線 4

〜ズリ山跡にて〜

 

 

                                             

専用側線らしくなった高萩市道205号。

 

長閑な雰囲気だが交通量は意外に多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用側線は一見直進する様に見える。

 

だが、専用側線は程無くして右に折れる。

 

分岐点は何処であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

専用側線は上の画像に見えるゴミ箱の先で分岐する細い道である。

 

直進する道も実は鉄道跡なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直進する道はかつて「大日本炭鉱高萩柳沢鉱専用軌道」(明治42年〜昭和16年頃)だったものである。

 

明治42(1909)年に秋山炭鉱によって高萩駅〜松原町(当時)秋山樋口間 3.98kmが開通した馬車鉄道は、隆盛と衰退を繰り返し、昭和6(1931)年には508mmから762mmに改軌されガソリン機関車が導入されたと言う。

 

隣接する秋山多々羅波(たたらば)鉱に採炭の主力が移った為、昭和16(1941)年、柳沢坑口は閉鎖されたと言う。

坑口の閉鎖と同時に支線扱いとなっていた分岐点(上の画像のY字路)〜柳沢坑口の軌道も廃止された。

 

 

 

専用側線の方は…

 

何と言えば良いのであろうか、専用側線の道床の幅をそのまま舗装したような道が直進している。

 

「スーパー畦道」とでも例えておこうか。

 

一応この道は高萩市道1497号線と言う事になっている。

 

 

 

 

 

 

 

専用側線跡は北北西に進路を取り、次なる目的地、秋山鉱(多々羅波)に向かう。

 

更にその奥には、最終目的地である北方鉱跡地が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高圧線に注意」

 

2本の電柱の間に渡されたプレートにはそう記してあった。

 

意図したわけではないのだろうが、鉄道の雰囲気を感じさせる構造物ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道10号 日立いわき線が左手に見えてきた。

 

現在の市道は右カーブを取るが、専用側線は直進していた。

 

廃線後の区画整理で市道のルートが変えられたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道10号 日立いわき線に出た。

 

専用側線の本線は画像右側に進むが、本線から分岐する「秋山支線」があったのだ。

 

高萩炭鉱専用側線 秋山支線の基礎知識

 

開設 昭和20(1945)年9月25日

廃止 昭和33(1958)年6月24日

高萩町(当時)秋山滝坂〜高萩町秋山多々良場

全長 740m(分岐点より)

 

 

 

 

高萩市郊外を流れる花貫川。

 

花貫川に架かる麦屋橋。

 

平成3年に架けられた比較的新しい橋梁だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麦屋橋に立ち、僅かに上流を見ると川沿いに謎のコンクリートの構造物が見える。

 

このコンクリート構造物は、専用側線秋山支線の橋台の跡である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋台は川面から強固に生えているようだ。

 

年月相応の欠けなどはあるものの、鉄筋の露出や大きなひび割れなどの崩壊に繋がる予兆は見られなかった。

 

秋山支線は高萩炭鉱の坑口集約の為、僅かな期間でその役目を終えてしまったが、廃止後50年経ってもなお、橋台はその姿を残している。

 

 

 

 

 

 

 

橋台と言うからには2つで一組だと思ったので、対岸の築堤を丹念に眺めてみたのだが、上の画像の遂になる橋台は見つけることは出来なかった。

 

恐らくは激流に飲み込まれ破壊されてしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋台の先は私有地になっているので立ち入りはしなかったが、橋台の先と思われる地点には築堤状の部分が残されていた。

 

恐らくは支線の道床跡なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高萩市秋山菖蒲霊園」

 

現在は霊園となっている小山の一帯が高萩炭鉱秋山鉱だったと言う。

 

小山の麓に秋山支線の終点があり、終点には選炭場と万石(石炭積込所)があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用側線本線に話を戻す。

 

専用側線は廃止後、県道10号日立いわき線として整備された。

 

画像の地点付近から国道461号交差点手前の数百m程が専用側線跡なのだ。

 

我がHPでお馴染みの県道10号ではあるが、廃線跡自体が県道10号として整備された区間は珍しい。

 

 

 

 

 

 

何の変哲も無いこんな右カーブでも鉄道跡だと思えば見方が変わってくる。

 

華麗な鉄道カーブである。

 

鉄道は廃され、道路と化し面影は残さなくても「線形」は残る。

 

私は探訪先でこの様な廃線跡のカーブを見るたびに、言いようの無い心のときめきを感じるのである。ノスタルジイと言う言葉では片付けられない不思議な気分なのだ。

 

レールや信号は無くても、此処はある一時確かに鉄道が敷かれていたのだ。

 

 

 

 

感傷に浸るのも良いが、この県道の勾配はどうした事か。

 

鉄道跡にしては半端では無い勾配だ。

 

炭鉱を起点として考えると、万石(石炭積込所)からしばらくの間はずっと下り坂なのだ。

 

力行していない蒸気機関車が、そろりそろりと満載の石炭を積載した貨車を連ねて下ってくる様を想像してみた。

 

 

 

 

 

 

上り坂もようやく終わりに差し掛かる頃、やっと高萩炭鉱北方鉱が存在した山が見えてきた。

 

県道10号と国道461号線の交差点ももうすぐだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交差点を目前にして専用側線は現在の県道から逸れて行く。

 

画像右側に拡がる畑の中央を通るような形で専用側線が敷かれていたものと推測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

畑の中には「茨城縣」と掘られた境界標が埋め込まれていた。

 

「県」ではなく「縣」である所が歴史を感じさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

畑の中には、比較的短い距離の間に4本の境界標が埋め込まれていた。

 

磐越東線 赤井駅付近の境界標と似たような感じである。(品川白煉瓦専用軌道)

 

専用側線に関するものかも知れないが、詳しい事は不明である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは「秋山十字路」

 

国道、県道、市道が一堂に会する交通の要衝である。

 

専用側線は画像の右側を見切れるように通じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交差点の先、専用側線跡は僅かな距離の間、高萩市道116号線と重なる。

 

市道は一部専用側線の道床を利用して作られたものと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市道が右カーブを繰り出す地点で、専用側線はそのまま画像中央部分を直進して終点の万石(石炭積込所)に到着した。

 

高萩炭鉱北方鉱跡は閉山後、高萩炭鉱関連会社経営による青少年研修施設「大心苑」として利用されたが、平成16年に閉鎖されたと言う。

 

周囲を見回ってみたのだが、荒れ果てたテニス場などの施設が点在するのみで、炭鉱に関連した施設は見つける事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

ここは高萩市営野球場。

 

野球場はかつて高萩炭鉱北方鉱のズリ山だった場所を均して作られたものだ。

 

ズリ山跡とは言え、野球場には石炭に関連した施設が残存している様子は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野球場の下には北方鉱の坑口が存在し、少し奥に万石があった。

 

今現在では萌える木立に覆われ、当時を窺い知ることは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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