このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

住友セメント株式会社 玉山鉄道〜あの貨物列車は何処へ?〜

 

何故四ツ倉?

住友セメント㈱玉山鉄道…いわき市周辺に住んでいる方ならご存知の方も多いと思うが、かつて国鉄(現JR東日本)常磐線の四ツ倉駅から同市四倉玉山地区まで専用鉄道が敷設されていた。

 

 

昭和46年、浪江町生まれの私にとって、いわき市は「都会」を感じられる街であった。

小学生の頃、年に数回、親に連れられ列車で平駅(現いわき駅)に行くのが私にとって何よりの楽しみであった。

久ノ浜駅を列車が発車すると、私の目は山側に釘付けになった。

何故ならば、次の四ツ倉駅には、機関車があり、貨車があった…貨車もただの貨車ではない、白い石を満載した重厚な貨車(ホッパー車)が一種独特の存在感を放っていた。

謎の線路は四ツ倉駅から山の方角へ消えていた…子供だった私にはその鉄道が何処に行くのかは分からなかった。

 

 

時は流れ、中学生になったある時、列車に乗り、四ツ倉駅の車窓を見ると…

「線路がおっぺがされている(撤去されている)!!」

私は大層がっかりした。路盤(道床)こそあるものの、線路が無くなっている…踏み切りも無くなっている…

あの貨物列車が何処へ行くのか…もう分からない…鉄道じゃない…道路でもない…

そして私の記憶の彼方に専用鉄道の存在は飛んでいった…

 

更に時は流れて平成19年、一冊の本が私の記憶を掘り起こした。

本の名は「常磐地方の鉱山鉄道」(おやけ こういち氏著)。ふと手にした本には、あの「謎の鉄道」の詳細が記載されていた。

鉄道は住友セメント株式会社 玉山鉄道と呼ばれていた。

本によると軌道跡はおおむね残っていて自転車専用道路になっている区間も有るという…

今こそ25年越しの疑問をこの目で解決すべき時が来た!

私は車に折りたたみ自転車を積み込み、はやる気持ちを抑えつつ、四ツ倉へ向かった。

 

 

住友セメント㈱玉山鉄道の基礎知識

    玉山地区からの石灰石を搬出する為の鉄道の歴史は古く、明治41年(1908年)、馬車軌道が610mm軌間によって開通した。当時の運行会社は磐城セメント㈱。距離6.15k

    昭和33年(1958年)、610mm軌間の軌道敷を拡幅し軌間1067mmの専用鉄道として6.14kmが開通

    昭和38年(1963年)、磐城セメント㈱は住友セメント㈱となる。

    昭和57年(1982年)、鉄道輸送を停止。

    昭和58年(1983年)、住友セメントは軌道敷地をいわき市に寄付。

 

〔画像は(国土観覧システム)昭和50年航空写真より)

 

 

 

 

 

 

 

 

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