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玉山鉄道 1〜戸田青年会館〜
平成19年3月21日、お彼岸の中日。朝早くお墓参りを済ませた私は浪江森林鉄道の探索を切り上げ、その足で
今回の目的は「住友セメント㈱ 玉山鉄道」の軌道跡を自転車にて走行して往時を偲ぶことである。もちろん画像も逐一撮影するつもりだ。
〔画像は(国土観覧システム)昭和50年航空写真より)
今回の探訪はこの地点から始めることにする。
「四ツ倉駅からではないのか?」と思われるだろうが、「自転車で鉄道跡を走る」私としてはきちんとした道路として存在する
この地点からの探訪開始としたのである。
今、私が撮影している地点は専用鉄道「玉山鉄道」跡ではなく、「専用線」跡である。まあ駅構内の側線が延びて来たようなものと考えて欲しい。
(H19.12.17追加)
左の画像は昭和20年代後半頃の磐城(住友)セメント四倉工場の全景である。
画面左端に専用軌道(この頃はまだ610mm軌間)らしき物が伺える。
昭和27(1952)年から昭和33(1958)年までは専用鉄道は休止状態であった為、原料の石灰石は滝根鉱山(
専用鉄道はこの専用線との合流地点より東側はこのようにコンクリート管置き場と化している。
特にフェンス等で進入を規制などはしていないようだが、住友大阪セメント㈱の敷地内と考えられるので立ち入りは遠慮しておいた。
常磐線の車窓からこのコンクリート管を見ると専用鉄道のカーブがはっきり分かる。
専用鉄道跡はいきなり車道をまたぎ、北西方向に向かっていく。
画像下の道路は鉄道の現役当時からあったようだ。恐らくは踏み切りが設置されていたのだろう。
私が少年の頃見た踏み切りはこの道路のものだったのかもしれない。
僅かな距離で砂利道は舗装道と合流する。
路面の状態はあまり良くないものの道幅は広く、自動車の通行に支障はない。
広すぎて線路跡を特定できないものの、資料によるとおおよそガードレールの左側辺りを走っていたようだ。
線路は右カーブの後しばし直線になる。道路の右側には昔ながらの商店が建っている。店先には春休みを謳歌する少年の自転車。
浜通り随一の規模を誇る
肝心の線路跡は水路の左側にそって走っていたようだ。
これは分かりやすい線路跡である。舗装道路の左側、枯れ草の生えている細長い土地が線路跡である。
今や珍しい木製の電柱が敷地沿いに数本立っている。鉄道が現役であった頃から電柱は道路と線路を分けていたようだ。
資料を見る限り電柱以外にフェンス等は無かったようだ。
沿線では中々のインパクトを誇る風景である。戸田地区に入る手前、崖の法面がはるか頭上まで補強されている。
現役当時は補強はまだ施工されていなかったようだ。鉄道廃止後に道路幅が広がりそれに合わせて法面が補強されたようだ
鉄道は電柱の辺りを走行していたのだろう。
これもまた分かりやすい線路跡である。道路左側の草地が線路跡である。
線路跡はとりあえず市有地であるから住民の方も特に有効な利用をしていないようだ。
錆びまくったドラム缶、赤みを増す桜の木、石碑…まるで統一感は無いが、まあその程度の利用に留まるのも仕方の無いことである。
上の画像の橋を超えると道幅は狭くなり、1.5車線ほどになりセンターラインも消える。
市道と線路はこの先で位置を入れ替え川の土手が車道になり、民家の軒を掠めるように線路が走るようになる。
恐らくは平面的に入れ替わっていたと思うのだが、いま一つ位置がはっきりしない。
あれ?いつの間に…と思う間も無く位置が入れ替わる。
土手が昔のメイン道路、今の道路が線路跡である。ややこしい。
ここで私は線路跡の走行をやめ、土手側の道路(昔のメイン道路)を走行する。
わざわざ土手に上がったのはある建物を撮影する為である。画面中央よりちょっと右、黒に近い壁の茶色と漆喰の白のコントラスト、端正な形の小さな平屋建ての建物である。
線路は画面中央、土手からせり出した謎の石垣から2m程はなれた所に敷設されていた。
各種の資料でもこの景色は訪れた人の印象に残るようで、手前の桜の木と絡めた写真が見受けられる。
桜の木はかなり昔からそこにあり、開花の準備に余念が無いようだ。線路は道路に変わっても桜の木は今年も4月の主役であり続ける。
「戸田青年會館」…右読みでそうしっかりと記されている建物は強烈な存在感を放っていた。
廃屋?…ではない、きちんと人間の手が入っている。瓦、玄関のランプ、雨樋、どれも途中で切れたり綻んだりなどはしていない。
絵に描いたような日本的家屋だが屋根の「鬼瓦」に当たる部分の造形はいったい何だろう?仏教や神道とも違う西洋的な尖り方だ。
更にその下に見える「↓」の形をした物体はもはや私の知識では説明不能の造形だ。
青年會舘のシンボルマークであろう赤い桜のマークに大きく抜かれた「青」の文字がこの建物が只者ではないことを主張している。
その昔は戸田地区の青年がこの建物に集い、軒先の貨物列車の轟音をものともせず議論を闘わせていたのだろうか?
玉山地区に邁進する線路…その沿線は長閑さを増す。のどかな景色の中を突き進む線路は今、どうなっているのだろうか?
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