このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

矢本飛行場専用線

〜廃線入門〜

 

 

矢本駅の歴史

昭和3年(1928)11月22日 宮城電気鉄道の駅として開業

昭和19年(1944)年5月1日 国有化

 

航空自衛隊 松島基地の歴史

昭和17(1942)年第一、第二滑走路完成

同年10月 館山海軍航空隊松島派遣隊 開隊

昭和20年(1945)9月 進駐軍により接収

昭和29年(1954) 米軍より返還

平成7年(1995) 第4航空団第11飛行隊「ブルーインパルス」新設

(川崎T−4によるアクロバット飛行専門部隊として)

 

 

矢本飛行場専用線の概要

仙石線矢本駅〜航空自衛隊松島基地(矢本飛行場)

距離 不明

昭和19年頃〜昭和30年頃?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成22年8月22日 午前10時 気温30度。

 

私は宮城県東松島市矢本町にある仙石線の矢本駅までやってきた。

普段は一日1000人ほどの乗降客しか利用しない矢本駅だが、今日ばかりは人で溢れ返っている。

「帰りの乗車券はこちらでお求めくださーい!」仮設テントから一際大きな声が響く。

…経験上、帰りの乗車券を持っていないとイベントの帰りで非常に難儀する羽目になるのだ。

私は本塩釜駅にて抜かりなく往復乗車券を購入したので安心だ。

 

電車やバス、あるいは自家用車などさまざまな手段でこのイベントに訪れる人は数万人を数えると言う。

いったい何のイベントが行われるのであろうか?

 

ある「音」に気づき、皆が一斉に上空を見上げる。

 

 

 

 

「キーン」と言うジェットエンジンの音と、「シュルルル…」と言う風切り音が合わさったような独特のサウンドと共に

「ブルーインパルス」がやってきた。

 

そう、今日は「松島基地航空祭」の日なのだ。航空自衛隊松島基地はブルーインパルスのベース基地として知られている。私が矢本駅に到着した時、ちょうど午前の飛行が始まったのだ。

時速700キロ〜900キロで飛行するブルーインパルス 川崎T−4は1秒間に300mを飛行する。

その為、矢本駅付近上空では既に画像のように演技科目が始まっているのだ。

 

私も航空祭の観客の一員となるべく、浪江町からはるばる東松島市にやってきたのだが、基地に行く前に私には寄るべき所がある。

 

 

 

 

 

矢本駅から石巻方面に少し歩いた「第二河戸踏切」から矢本駅の構内を見る。

左側、一番線に停車している205系は私が乗車したあおば通発矢本行きの臨時快速列車だ。折り返し回送電車として陸前大塚駅に回送される。

 

205系の停車している線路を目で追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の線路はカーブを描き、本線へと収束される。

 

しかし、かつてはこの地点付近から松島基地(開設時は矢本飛行場)へ向け、燃料輸送などのために専用線が分岐されていたのだ。

 

ここでは「矢本飛行場専用線」と呼ぶ事にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分岐点付近を昭和50年(1975)撮影の航空写真で見てみると、分岐の様子が見える。

 

東松島高校(旧称:矢本高校)の正面付近から北東方向に分岐する専用線の様子が良く分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は流れ、現在の専用線分岐点付近はご覧のようになっている。

 

現役の仙石線がちょうど単線に収束された付近からコンクリートで舗装された道が出現する。これが専用線跡だ。

 

矢本飛行場専用線は、非常に稼動期間が短かったにも関わらず、今現在でも始点から終点まで辿る事ができる。

平坦な市街地の中の専用線なので、勾配がほとんど無いというのも有難い。

 

更に言うならば、矢本飛行場専用線跡は遊歩道として整備された為、4輪車両の通行に気を使わずに探索できる。

 

廃線を探索してみたいと言う方は、まず手始めにこの矢本飛行場専用線のようなお手軽なものから始めると良いと思う。

 

 

 

 

 

 

仙石線から分岐した専用線はゆっくりと、だが着実に緩いカーブを描きながら本線から離れて行く。

 

現在に残されたのは非常に大きな半径の鉄道カーブ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用線は分岐してすぐに車道と交差する。

 

現役時代、車道と交差する部分には踏切があったと考えるのが適当だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車道を横断して、なおも専用線は進む。

 

手前にあるコンクリートブロックは車道と遊歩道を区画する為のものだろう。

 

白ポール(デリニエータ)には「矢本町」と印刷されていた。

 

矢本町は東松島市の旧町名。桃生郡矢本町と鳴瀬町は2005年7月1日に合併し、「東松島市」となったのだ。

現在の東松島市役所は元の矢本町役場である。

 

 

 

 

 

 

 

 

専用線跡はしばらくこのような風景が続く。

 

アスファルト舗装の部分は線路が敷かれていたのだろう。

 

緑地帯にはバラストなどが敷き詰められていたと想像する。

 

遊歩道の幅は一定している。

 

遊歩道は「市道」の扱いなので、民家との区分けがしっかりしているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

空を見上げると、大きな大きな6つの円。

 

ブルーインパルスの水平系科目「さくら」だ。

 

廃線跡を歩きながら、ブルーインパルスの演技を見る。

 

嗚呼、なんと素晴らしい事か!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊歩道と言うだけあり、脇には画像のようにベンチが設置されている。

 

私は基地へ急ぐので一服は着けなかったが、休みつつ探索するのもまた乙な事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車道と交わる前にまたもベンチ。

 

ベンチの周辺はコンクリートで舗装されている。

 

コンクリートには石が埋め込まれてアクセントになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく歩くとこのような素敵な景色に行き当たった。

 

木漏れ日が遊歩道を覆っている。

 

探索日は気温こそやや高かったものの、海からのさわやかな風が肌に吹きつけて暑さをあまり感じなかった。

 

日陰に入ると爽やかさがいっそう増す。

 

 

 

 

 

 

 

 

木漏れ日の先で専用線跡はひときわ大きな車道と交差する。

 

宮城県の沿岸地方の主要道、国道45号線だ。

 

かつてはこの位置にも踏切が設置されていたのであろう。

 

現在の遊歩道は国道の向こう岸で何事も無かったかのようにクールに復活している。

 

交通量の多い国道を横断する事はできないので、画像に写っている歩道橋の利用をお勧めする。

 

 

 

 

 

 

 

もう少しで午前中のブルーインパルスの飛行展示も終わりのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙石線から分岐して以降、ずっと続いていた右カーブがようやく終わりを迎えた。

 

同時に1本の車道が専用線跡に寄り添ってきた。宮城県県道247号線 石巻工業矢本線だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道247号線と専用線跡はこのまま基地まで並走する。

 

今でこそ県道の付属物のような遊歩道だが、かつてはここを燃料を搭載した貨物車が行き交った廃線跡なのだ。

 

ひたすら歩く私の前方にたくさんの人が見える。航空祭の見物客だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道247号の方はと言えば、ご覧のような基地まで続く大渋滞。

 

航空祭は毎年数万人の観客を集める。

 

よほどの事がない限り、お車でのご来場は控えたほうが良いだろう。

 

私のように本塩釜駅前などに車を停めていくのがよろしいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車と人の数が飛躍的に増えた。基地はもうすぐだ。

 

先程までのブルーインパルスの飛行展示が終わり、代わりにけたたましい爆音が市内に轟いた。

 

航空自衛隊小松基地所属のF−15DJ戦闘機の機動飛行展示が始まったのだ。

 

しかし、音はすれども姿は見えず、ほんにあなたは屁のような…(笑)どこを飛んでいるのやら…

 

結局、私はF−15の姿を認めることができないまま、飛行展示は終了してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

コンビニを過ぎると、右手には厳重なフェンスが迫ってきた。フェンスの向こうはもう松島基地なのだ。

 

専用線の終点ももうすぐだ。

 

画像奥には僅かに基地の「東門」が見える。

 

普段は関係者以外立ち入れない場所だが、航空祭の日など限られた日は開放される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東門を入ってすぐ右手に見えるフェンス。

 

そのフェンスの向こうが矢本飛行場専用線の終点だったと思われる。

 

基地内には鉄道を連想させるものはひとつとしてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のレポートは如何だっただろうか。

 

廃線は身近なところ、意外なところに潜んでいる。

 

矢本飛行場専用線のような廃線跡が全国にはきっとあるはずだ。

 

このように他の趣味とコラボしながらの廃線探索も面白いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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