このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

明治村——漱石旧居露伴旧居


明治村正門   犬山城から明治村に回った。明治村は明治期の貴重な建物を移築保存している野外博物館で、この正門は旧第八高等学校の正門を移築したもの。この右手に参観者の出入り口がある。明治村正門
漱石住宅鴎外・漱石住宅  「明治の文豪森鴎(略字でしか出ないのでご了承を)外・夏目漱石が、それぞれ明治二十三年、三十六年から数年間住んだ家……明治文学史上逸することのできない建物であるが、また明治中流住宅の典型的なものとしても貴重である」と、案内板にある。
鴎外・漱石住宅内部  部屋部屋を自由に参観できるのはありがたい。129・64平方メートル(39・09坪)というのは広いようでもあるが、子供の多かった漱石には狭かったのではないかとも思える。当時第一級の知識人が、借家に住んだ、というのがおもしろい。漱石住宅内部
露伴住宅露伴住宅「蝸牛庵」  幸田露伴も生涯に何度も住まいを替えたが、一番長く住んだのが、向島寺島町にあったこの家だった、と案内板にある。後の作家幸田文はこの家で生まれた。
 二階建てだが、広さは平屋の鴎外・漱石住宅とほぼ同じ広さ(133・19平方メートル)だ。
小泉八雲避暑の家(右)  ラフカディオ・ハーン、小泉八雲が松江を愛したことはよく知られているが、その後熊本、神戸を経て東京に住むようになってから、毎年焼津を訪れ、この家に滞在したという。この焼津浜通の山口乙吉の家は、明治初年建築の木造二階建て町屋造りで、当時の素朴な魚屋の構えをそのまま残している、と案内板に説明がある。1階は駄菓子などを売る店を再現していて、遠足の生徒たちで賑わっていた。
 左隣の二階屋は、石川啄木ゆかりの東京本郷の「喜之床」。
小泉八雲避暑の家
金沢監獄正門金沢監獄正門  明治四十年(1907)建造のこの金沢監獄正門は、両側の高塔に「上下二段の監視窓があり、中央出入り口の鉄扉のついた門は装飾的なアーチ型」、と案内板に説明がある。確か中野重治に金沢監獄をテーマにした詩があったはず、などと思いながら、この堂々としていて美しい建造物の前にしばらくたたずんだ。
明治村のSL  明治村は広い広い。ゆっくり歩いて67もある(2002・6現在)由緒ある建物を見学していては、時間がいくらあっても足りないほどだ。そこで便利な循環の「村内バス」や馬車、市電、SLなどを利用することになる。
 蒸気機関車は終点に着くと機関車は切り離され、前方の方向転換台で向きを変えてやってくる。時計が昔に戻った気分にしばし浸った。「五百圓」の割安な、市電と蒸気機関車の一日乗車券というのがあって、遠足の中学生が、○回乗った!と自慢しあっていた。
明治村SL

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