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羽黒山——『奥の細道』を歩く


『奥の細道』
羽黒山
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉 と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別
院に 舎して憐愍の情こまやかに あるじせらる。

四日、本坊にをゐて誹諧興行。

 有難や雪をかほらす南谷

五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里
山の神社と有。書写、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云に
や。出羽といへるは鳥の毛羽を此国の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山湯殿 を合て
三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひ
て、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にしてめ
で度御山と謂つべし。
                                   

月山遠望月山遠望  鶴岡駅で乗ったバスからは、やがて月山が見えてくる。羽黒山頂バス停から絶好の展望台という、第3駐車場まで歩く。既に正午近く、気温も上がり、月山も雲がかかり始めていた。肉眼では残雪もはっきり見えるのだが、写真にはうまく写らなかった。
 今は八合目の弥陀ヶ原までバスが行くが、芭蕉と曽良はここから歩いて月山(1980m)山頂の小屋に一泊、翌日はその先の湯殿山(1504m)まで行って羽黒山まで帰って来たのだから、その健脚は驚嘆に値しよう。
芭蕉像  羽黒山頂バス停から、出羽三山歴史博物館の前を通って三神合祭殿の広場に出ると、最初に出会うのがこの「俳聖芭蕉」像だ。十数年ぶりの対面だった。芭蕉像
芭蕉句碑芭蕉句碑  「涼しさやほの三日月の羽黒山……」と三山巡礼の句が三句(湯殿山のくは万葉仮名で)刻まれている。この三山巡礼句碑は、月山の旧登山道の野口に文政8年(1825)建立、という古い句碑で、昭和40年ここに移転したもの。前に来た時の写真には、「芭蕉野口句碑」という説明板があったが、今回、それはなくなっていた。
大梵鐘   建治元年(1275)、鎌倉幕府が元寇の国難除去の祈願で寄進したものという。重要文化財。関東以北では最大の梵鐘という。大梵鐘
三神合祭殿三神合祭殿  茅葺き屋根では日本最大の建物という。「三神」は、月山、湯殿山、羽黒山神社だが、月山、湯殿山神社は、冬季には雪が深くてお参りすることができない。それで三神をこの羽黒山に合祭し、いつでもお参りできるようにしたもの。重要文化財。前の鏡池から600面もの鏡が発掘され(190面は重文)て話題を呼んだことがある。
杉並木と石段  山麓の隋神門から羽黒山頂に至る参道は、樹齢三百年から五百年といわれる杉並木で、特別天然記念物に指定されている。石段の数は2446段とか。以前汗をかきながら上った道を、今回はゆっくり下った。梅雨明け前の7月中旬、あまり人に遇わなかった。杉並木
南谷南谷  三神合祭殿から三の坂を下って、参道を左手に7、8分歩いた所に南谷別院跡がある。芭蕉はここに月山の山小屋1泊を挟んで6泊した。芭蕉来山当時は広壮な建物だったが、その後腐朽が甚だしくなり、山上から小さな寺を移築、今残る礎石はそれだという。東屋風の休憩所ができた他は以前のままのようだった。
芭蕉句碑  「有難や雪をかほらす南谷」の句が自然石に刻まれている。この句碑は古く、文化15年(1818)に羽黒山の別当覚諄が建立したものという。芭蕉句碑
三日月塚芭蕉翁三日月塚  名物力餅で有名な、二の坂の茶屋の少し上にこの塚がある。2基の灯篭の中央に、「芭蕉翁」と刻んだこの碑がある。灯篭に明和(18世紀後半)の年号が見えるから、これもずいぶん古いものだ。
国宝五重塔  平将門の創建というこの塔は、一の坂からちょっと入った所にある。近くに樹齢千年といわれる天然記念物の「爺杉」もある。五重塔
西条八十歌碑西条八十歌碑  五重塔近くの参道脇にこの碑がある。「五十路の夏にわけのぼる 羽黒の峰の梅雨雲や また見んことのあるやなしやと ふり返りゆく山つゝじ」と刻まれ、説明板に「昭和二十四年六月八日 古賀政男と羽黒に詣で 奉拝帳に誌した一節」、とある。
須賀の滝  一の坂を過ぎて継子坂にかかる手前で祓川橋を渡る。そこの左手にこの滝があり、小さな祠が建っている。ここから継子坂を上れば隋神門で、社務所、庄内交通バスセンターがある。「いでは文化記念館」も近い。須賀の滝

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