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さよなら定期急行ちくまの旅

2003(平成15)年9月30日(火)
大阪〜神戸〜舞子〜大阪
713M (快速)〜715K (普通)〜738T (快速)
明石海峡大橋
舞子海上プロムナードからの眺め(明石市方面)

この旅を計画したときに、「ちくまから雷鳥までの4時間弱をどうしよう」と考え、真っ先に浮かんだのが明石海峡大橋を見に行くことでした。

大阪駅から快速に乗車し、一旦、神戸駅で下車しました。
ゆっくりと散策するのはまたの機会として、今回は駅舎の写真を撮っただけで、再び改札をくぐり、舞子駅へと向かいました。

舞子駅から明石海峡大橋までは、歩いて5分と掛からず、本当に目の前でした。
これほどの巨大で長大な橋を見るのは初めてでしたので、ものすごい迫力に圧倒されました。
橋の袂付近に広がる舞子公園で、神戸駅で買った淡路屋の「地鶏弁当」を朝食に食べたり、海上プロムナードからの眺めを楽しみました。

左:明石海峡大橋
右:舞子海上プロムナードからの眺め(明石市方面)

大阪〜金沢
4017M (特急雷鳥17号)
特急雷鳥17号(金沢方)
「特急雷鳥 金沢」の方向幕

再び大阪駅に戻り、次は、特急「雷鳥」17号に乗車し、金沢へと向かいます。
昼食として、水了軒の「大阪すし」を買いました。

特急「雷鳥」号で運用されている485系も、将来の683系の増備とともに、「雷鳥」の名称ともども消え行く運命にあると聞いています。
特急「雷鳥」号には、中学3年生のとき、修学旅行で京都へ行く際に、当時は大阪〜新潟を結んでいた列車に柏崎駅から乗車したことがありましたが、それ以外で乗車したのはこれが初めてでした。
時代は大きく変わり、新潟雷鳥は季節臨になり、一足先にボンネットの481系は引退し、485系すらその座を追われようとしています。

雷鳥17号は、満席には程遠い状態で、大阪駅を出発しました。
道中は天気もよく、琵琶湖もきれいに見えました。

大阪駅を出発してから3時間弱、ここまでの旅の疲れもあり、ほとんどの区間を寝てしまいましたが、本当にあっという間に金沢駅へと到着しました。

左上:特急雷鳥17号(金沢方)
右上:「特急雷鳥 金沢」の方向幕
左下:特急雷鳥17号(大阪方)
(以上、大阪駅にて)
右下:車窓から見えた琵琶湖

特急雷鳥17号(大阪方)
車窓から見えた琵琶湖
金沢
金沢駅に到着した特急「加越」号の愛称表示

雷鳥17号が金沢駅に到着してまもなく、直後を走っていた加越3号が到着しました。

7月に、全列車が485系から683系へと運用車両が変更となった特急「加越」号ですが、10月のダイヤ改正をもって、全列車が「しらさぎ」へと愛称統合され、「加越」の名は消滅してしまうこととなりました。
ヘッドマークが消滅し、愛称幕だけとなってしまった特急「加越」号は、30年弱の歴史に幕を閉じることになりました。

左:金沢駅に到着した特急「加越」号の愛称表示
(金沢駅にて)

金沢〜新潟
1055M (特急北越5号)
特急北越5号(新潟方)
「特急北越 新潟」の方向幕

金沢駅で、「せっかくなので一つ駅弁を」と、大友楼の「能登和牛弁当」を買いました。

最後に、特急「北越」5号に乗車し、新潟へと向かいました。
上越新幹線へのアクセス特急の主役は、常に他の列車に譲っていますが、かつてから、北陸と越後を結ぶ特急として、そして、日本海縦貫特急の一つとして、その意義は大きいものがあります。
そんな特急「北越」も、将来の北陸新幹線開業に伴い、消滅してしまう列車なのではないかと考えます。

この日は風が強く、日本海は少し荒れていましたが、天気がよかったので、次第に沈み行く太陽がとてもきれいでした。

すっかり日も暮れた18時23分、列車は新潟駅へと到着し、今回の旅は終わりました。

最後に、急行「ちくま」号は、10月の週末から早くも臨時列車としての運行を始めたことを付け加えておきたいと思います(使用車両は383系ではなく、381系)。

左上:特急北越5号(新潟方)
右上:「特急北越 新潟」の方向幕
(以上、金沢駅にて)

左下:日本海の様子
(車内より)

日本海の様子



さよなら定期急行ちくまの旅
2003(平成15)年9月29日
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