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寝台特急あさかぜ号と関門海峡の旅

2005(平成17)年2月12日(土)
東京〜名古屋
5 (寝台特急あさかぜ号)
歴史を刻むヘッドマーク
発車案内板

1956(昭和31)年11月19日から東京〜博多間で運転を開始した、寝台特急「あさかぜ」号。
1958(昭和33)年10月1日からは、「ブルートレイン」の語源ともなるブルーの寝台車が登場し、当時としては豪華な設備から「動くホテル」と言われていました。
日本の夜行寝台列車の礎を築き、高度成長期の人々の移動を支え、東海道・山陽道を走りつづけた「あさかぜ」号ですが、1994(平成6)年12月からは運転区間を東京〜下関間に縮小し、ついには、2005(平成17)年2月28日をもって、その歴史に幕を閉じることとなりました。

その足跡に敬意を表するとともに、一度は乗車してみたかったということから、今回の旅となりました。

この日も、まずは、16時56分発の寝台特急「富士」号と、前回乗車した18時03分発の寝台特急「さくら・はやぶさ」号を大勢のファンとともに見送りました。
ホームからコンコースへ下り、発車案内板を見ると、一際目立つ「寝台特急」「あさかぜ」「下関」の文字。
しかし、行き交う人々は、誰もその文字に目を向けることもなく、足早に通り過ぎていきます…。
その日常と非日常の間の風景をしばらく眺めていました。

再びホームへと戻り、列車の到着を待つことにしました。
次第に増えてくるファンの数は、1ヶ月前よりも多いように感じました。
しばらくして、10番線ホームに寝台特急「あさかぜ」号が到着すると、回送牽引機と最後尾13号車の辺りはものすごい人だかりとなりました。
発車までの時間はわずかですので、急いで撮影を行い、列車に乗り込みました。
19時過ぎ、列車は静かに動き出しました。

左上:歴史を刻むヘッドマーク
右上:発車案内板
左下:「特急あさかぜ 下関」の方向幕
右下:9,10番線ホームにて
(以上、東京駅にて)

「特急あさかぜ 下関」の方向幕
9,10番線ホームにて
横須賀線と併走
熱海駅ホームにて

発車してすぐの車内放送の後、車掌が検札にきたので、シャワー券を買い求めました。
寝台特急「あさかぜ」号は、1ヶ月前と同じように、夜の首都圏を進みます。
横浜駅に進入し始めたとき、車掌が慌てて通路を通っていきました。
どうやら、検札に時間が掛かっていたようで、列車が停車してからしばらくして、ドアが開く音がしました。
横浜駅を発車した列車は、しばらくして湘南を走ります。
揺れる列車の中で、缶ビールを飲みながら、流れる景色を眺める…、そんな贅沢な時間に浸っていました。
列車は熱海駅に到着しました。

左:横須賀線と併走
(横浜〜戸塚間にて)
右:熱海駅ホームにて

4号車シャワー室
浜松駅ホームにて

寝台特急「さくら」号では停車した沼津駅を通過してしばらくすると、おやすみ放送が流れました。
時計を見ると21時、もうこんな時間かという感じでした。
静岡駅が近づき、デッキで到着を待っていると、隣りのブロックの方もやってきました。
静岡駅を発車した後、シャワーを浴びに、4号車へと移動しました。
少し熱めのシャワーが、一日の疲れを癒してくれました。

浜松駅に近づき、デッキに出ると、再び、隣りのブロックの方もやってきました。
駅に到着し、写真を撮った後、デッキで少しお話を伺うと、九州の方で、出張の帰りとのこと。
往路には、さくら号を利用されたとのことで、廃止されるという事を知り、残念だとおっしゃっていました。
デッキは寒いので、ラウンジカーに移動して、話の続きを伺うことにしました。

ラウンジカーでは、数名の乗客がくつろいでいらっしゃいましたが、ソファーが空いていたので、そちらに座りました。
こういった感じで、車内で出会った方と話しをしながら旅の時間を過ごすのは、本当に久しぶりでした。
色々と、お話を伺っていると、列車は名古屋駅に到着しました。
名古屋駅では、日付が変わる前の停車駅としては唯一、3分間の停車時間があります。
牽引しているEF66型電気機関車を見るために、先頭まで行ってみました。
客車13両編成を牽引する電気機関車は、その力強さを印象付けるが如く、精悍な顔つきをしていました。
3分の停車時間はあっという間に過ぎ、再び、列車へと乗り込みました。

左上:4号車シャワー室
右上:浜松駅ホームにて
左下:EF66型牽引機
右下:名古屋駅ホームにて

EF66型牽引機
名古屋駅ホームにて
4号車ラウンジカー

名古屋駅を発車した寝台特急「あさかぜ」号は、翌朝、岡山駅まで、約4時間半の深夜走行に入ります。
就寝前に、流れる景色を見ながら少し飲もうと思い、缶ビールを持って準備をしていると、隣りのブロックの方ももう少し起きていられるようでしたので、再び、ラウンジカーへ行きました。

ラウンジカーは、また少し顔ぶれが変わっており、ソファーは空いていなかったので、丸椅子のほうに腰掛けました。
深夜帯になり、また、山間というせいもあるのでしょうか、あさかぜ号は、ものすごいスピードで闇の中を掛け抜けて行きました。
途中、米原駅に運転停車、深夜にも関わらず、ホームには撮影をされているファンの姿が見えました。
そして、深夜1時33分、京都駅に運転停車。
発車したところで、休むことにしました。

左:4号車ラウンジカー



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2005(平成17)年2月13日 -その1-

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