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おもいでの急行ひめかわ号 乗車記

2009(平成21)年11月21日(土) -その2-
柏崎〜糸魚川
9514D (おもいでの急行ひめかわ号)
115系と並ぶ
1番線ホームにて

「おもいでの急行ひめかわ」号は、柏崎駅に到着しました。
柏崎駅では、26分の停車時間が予定されていましたので、ここでも、ほとんどの方がホームに下りていらっしゃいました。
ちょうど、隣りの中線に、新潟色の115系が停車しており、その並びを写真に納めました。
この日の風の影響は当然のように信越本線にも及んでおり、ホームで撮影をしていると構内放送があり、「おもいでの急行ひめかわ」号を追い抜いていく、金沢行きの特急「北越」4号も遅れているとのことでした。
しばらくして、エメラルドグリーンが鮮やかな485系3000番代の北越号が到着、しばらく停車したのちに発車していきました。
それを機に、車内で発車まで待つことにしました。

「おもいでの急行ひめかわ」号は、3分ほど遅れて、柏崎駅を発車しました。
この先の区間は、2年前の特急「懐かしのはくたか」号で通ったときのことを思い出しました。
建物や道路が復興されても、心まではそう簡単に癒えることはないでしょう。

鯨波駅を通過すると、車窓右手に海が見えてきましたが、この日の日本海は大荒れでした。
西鯨波海水浴場付近の撮影ポイントには、たくさんのカメラの砲列が見えましたが、暴風雨の中、さぞかし大変だったことでしょう。
米山駅から柿崎駅までの間は、強風による速度規制のため、徐行運転となりました。
車窓に広がる浜辺に次から次へと打ち寄せる大波を見ていると、飲み込まれてしまいそうな恐怖感さえ襲ってきました。
柿崎駅では、15分の停車が予定されていましたが、徐行運転によって、その停車時間をすっかり使い果たしてしまい、すぐの発車となりました。

柿崎駅からは通常の速度に戻り、信越本線を快走します。
関川橋梁で特急「北越」3号とすれ違った列車は、次の直江津駅に到着しました。

左上:115系と並ぶ
右上:1番線ホームにて
(以上、柏崎駅にて)
左下:大荒れの日本海
(鯨波〜青海川間にて)
右下:関川橋梁で特急北越号と擦れ違う
(黒井〜直江津間にて)

大荒れの日本海
関川橋梁で特急北越号と擦れ違う
妙高号と並ぶ
3,4番線ホームにて

直江津駅では、13分の停車時間が予定されていました。
ここでも、ほとんどの方がホームに下りられていました。
自身もホームに下りると、乗務員口付近には、JR西日本の車掌が待機されており、ここまで乗務されてきたJR東日本の車掌との引き継ぎが行われるところでした。
ちょうど、ホテルハイマートさんによる駅弁の立売が行われていたので、色々と売られていた中から「愛の直江の津」を買い求めました。
「直江津」とは、まさに直江氏に由来する地名だとわかりますが、こういった戦国時代の武将にまつわる地名は意外と多いですね。
この日は、NHKの大河ドラマ「天地人」の最終回前日でしたが、この年の新潟県は、大河ドラマ、国体、そして、デスティネーションキャンペーンと、色々なところで盛り上がった1年でした。

隣りのホームには、長野から到着した「妙高」3号が停車していました。
この189系とのツーショットも多くの人が撮影されていました。
新潟方に行くと、JR西日本の検札印をもらうためでしょうか、乗務員口の辺りに人だかりができていました。
その後も、発車時間近くまでホームで撮影を行い、列車に乗り込みました。

「おもいでの急行ひめかわ」号は、直江津駅を発車しました。
直江津から先は、JR西日本の管轄する北陸本線へと入ります。
早速、JR西日本の車掌による車内放送がありました。
わずか一区間だけの乗務となりますが、とても丁寧な放送でした。

湯殿トンネルを抜けると、列車の車窓には、再び日本海が見えてきました。
まだまだ海は大荒れで、白い波がたくさん押し寄せていました。

左上:妙高号と並ぶ
右上:3,4番線ホームにて
(以上、直江津駅にて)
左下:北陸本線へと入る
(直江津〜谷浜間にて)
右下:相変わらず荒れる日本海
(有間川駅通過中にて)

北陸本線へと入る
相変わらず荒れる日本海
筒石駅を通過
能生駅にて運転停車

車窓右手から、北陸本線の旧線跡を利用した久比岐自転車歩行者道が海沿いへと離れていくと、列車は新線のトンネル区間へと入ります。
トンネル区間は、当然ながら、風光明媚な車窓を見ることはできませんが、このトンネル自体も難工事であり、また、かつての旧線区間の地滑りなどの災害を考えると、安定した運行にどれだけ役に立っているかを感じます。

名立トンネルを抜け、名立駅を通過した列車は、直江津〜糸魚川間では最長の頸城トンネルへと入りました。
これら新線のトンネルは、1969(昭和44)年に供用を開始したとのことですから、かつての急行「ひめかわ」号も、このトンネルを通ったのですね。
列車は、単調なトンネル内を進みます。
しばらくして、トンネル内の蛍光灯の明かりにより、筒石駅を通過していることがわかりました。
筒石駅を通過すると、再び単調なトンネルに戻りました。

列車は、しばらくして、速度を落とし始めました。
程なくして頸城トンネルを抜けたので、どうやら能生駅に停車するようでした。
すかさず、車掌より、車内放送があり、「能生駅では45分停車します。なお、ドアは開きません」と伝えられると、車内にどよめきが起こりました。
何とも申し訳なさそうな車掌の言葉がありましたが、ダイヤ上のやりくりなどで、こうせざるを得ないのでしょう。

ホームに下りれないので、席でのんびりとしていると、再びパラパラと雨が降ってきました。
しだいに激しくなった雨は、パラパラという音も大きくなり、よく見ると、あられ交じりの雨となっており、ホーム上がわずかに白くなりました。
あられもすぐに止み、雨も次第に小降りになってきました。
そして、13時59分、列車は能生駅を発車しました。

左上:筒石駅を通過
右上:能生駅にて運転停車
左下:早川を渡る
(浦本〜梶屋敷間にて)
右下:糸魚川駅に到着

早川を渡る
糸魚川駅に到着
おもいでの急行ひめかわ号(新潟方)
2,3番線ホームにて

能生駅を発車すると、再びトンネルへと入ります。
このトンネルも新線の木浦トンネルです。
トンネルを出て、川を渡ると、すぐに浦本トンネルへと入ります。
浦本トンネルを抜けると、すぐに浦本駅のホームに差し掛かりますが、この浦本駅のホームは、明らかに海沿いの旧線へとカーブしているのがわかります。
車窓右手に日本海が現れると、もうラストスパートです。

早川橋梁から、再び少し内陸へと入ります。
梶屋敷駅を通過して、しばらくすると、直流と交流の切り替えのためのデッドセクションへと差し掛かりました。
しかしながら、当然ではありますが、架線からの電力を必要としないディーゼルカーは、何事もなく通過していきます。
いつしか、車窓左手から、真新しい橋脚が接近してきていました。
北陸新幹線の工事もどんどん進んでいますが、並行在来線に関しては、JRから分離されるということ以外は、未だに何も決まっていないのが現状です。
下手をしたら、海を眺めながらの在来線のんびり旅もできなくなってしまう日が来てしまうのかもしれません…。
そんな不安な気持ちを抱きつつ、糸魚川駅到着の車内放送の後、列車は糸魚川駅に到着しました。

ホームに下りて、真っ先に気になったレンガ車庫ですが、まだその部分だけは工事が行われておらず、その姿をとどめていました。
ちょうど、大糸線のキハ52系が入れ換えを行おうとしているところでした。
その様子を横目に、乗車してきた「おもいでの急行ひめかわ」号の姿を撮影し、また、跨線橋からもその姿を撮影しました。
キハ58系+28形新津車とキハ52系大糸車、そして、レンガ車庫との組み合わせを心に刻みました。

1番線で撮影を行っていると、直江津駅への回送の時間となりました。
ゆっくりと動き出した列車は、次第に大きくなるエンジン音とともにスピードを上げていきました。
「楽しい旅をありがとう」という気持ちを込めて、列車が見えなくなるまで見送りました。
まだまだ多くのファンがホームに残り、列車を見送っていました。

改札を出ると、まだ雨は少し降っていましたが、レンガ車庫まで行ってみることにしました。
糸魚川駅以西も、北陸新幹線の工事は進んでおり、糸魚川駅のすぐ西側にある踏切にあった古い跨線橋もすでに撤去されていました。
レンガ車庫は、西側はシャッターが下ろされており、ラッセル車だけが西側に留置されていました。
天気のせいかもしれませんが、何となく、寂しさだけがそこにあるように感じられました。

今回、「おもいでの急行ひめかわ」号に乗車することができ、往年の急行「ひめかわ」号の雰囲気を少しでも味わえたことに感謝するとともに、キハ58系+28形新津車にまた乗車できたということを感謝する旅となりました。
また、後日のリリースにて、大糸線のキハ52系は、3月のダイヤ改正をもって、キハ120系に置き換えられることが発表されました。
それと同時に、レンガ車庫もいよいよ見納めとなってしまうようです。

左上:おもいでの急行ひめかわ号(新潟方)
右上:2,3番線ホームにて
左中:跨線橋からの眺め
右中:1番線ホームより
(以上、糸魚川駅にて)
左下:糸魚川駅
右下:レンガ車庫

跨線橋からの眺め
1番線ホームより
糸魚川駅
レンガ車庫


おもいでの急行ひめかわ号 乗車記
2009(平成21)年11月21日 -その1-
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