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本州-北海道連絡を記録する旅〜2010年秋〜

2010(平成22)年9月13日(月) -その2-
函館〜八戸
4022M (特急スーパー白鳥22号)
特急スーパー白鳥22号(青森方)
「特急スーパー白鳥 青森・八戸」のLED表示板

次の乗車するのは、特急「スーパー白鳥」22号です。
東北新幹線の八戸駅延伸とともに、特急「はつかり」号の後任として運行を開始した特急「白鳥/スーパー白鳥」号ですが、東北新幹線の新青森駅延伸とともに、すべての列車が新青森駅発着となり、八戸駅発着の列車は12月3日までとなります。
函館駅で、八戸行きの列車が発車するのも、過去の景色となってしまいます。

函館駅における、特急「北斗/スーパー北斗」号と、特急「白鳥/スーパー白鳥」号の乗り継ぎは、連絡がいいものでは、4〜5分での乗り換えが可能です。
今回も、1本あとの特急「北斗」8号では4分で乗り継ぎができるのですが、少しゆっくりでもいいからと、特急「スーパー北斗」6号を選びました。
ちなみに、特急「スーパー北斗」6号からの乗り継ぎでは1時間近くの時間があります。
しかしながら、ターミナル駅ですので、発着する列車をじっくり撮影したりと、暇を持て余すということはありません。

また、函館駅の駅弁も楽しみの一つです。
今回は、「鰊みがき弁当」を購入しました。

ホームで撮影を行っていたらお腹が空いてきたので、列車内に戻り、発車前ですが、先ほどスーパー北斗号車内で購入した「かにめし」を頂くことにしました。
一口ほおばると、今まで頂いてきた「かにめし」とはまた違った食感で、名物と言われるのもうなずけるほど、本当に美味しいものでした。
何となく、東筑軒の「かしわめし」を頂いたときと同じような驚きを感じました。

左上:特急スーパー白鳥22号(青森方)
右上:「特急スーパー白鳥 青森・八戸」のLED表示板
左下:先頭車横のロゴ
右下:5,6番線ホームにて
(以上、函館駅にて)

先頭車横のロゴ
5,6番線ホームにて
函館駅にて
函館湾沿いを走る

「かにめし」を頂いていると、函館着の特急「北斗」8号が到着し、わずかな乗り継ぎ客がありました。
4分の乗り継ぎ時間のとおり、程なくして、特急「スーパー白鳥」22号は、函館駅を発車しました。
先ほど、特急「スーパー北斗」6号で通ってきた景色を進みます。
五稜郭駅を過ぎると、ガタゴトとポイントを渡って、江差線へと入りました。
函館湾の地形に沿って進む列車は、進行方向によって、太陽の日が差し込むと、途端に暑さを感じます。

列車は、函館湾沿いを進みますが、次第に雲が空を覆い始め、太陽は隠れてしまいました。
泉沢駅に運転停車した列車は、特急「スーパー白鳥」1号と交換しました。
ふと、車窓を眺めていると、過ぎゆく家々のほとんどに、煙突があるのに気付きました。
やはり、冬の海沿いは寒さが厳しいのでしょうね。
この区間は、何度か通っていますが、初めて気付きました。

木古内駅に停車した列車は、海峡線へと入ります。
早速、自動放送による青函トンネルの説明が始まると、内容に北海道新幹線のこともあり、新しい情報に切り替わっていました。
高規格のトンネルを抜け、知内川の景色を見ると、程なくして、知内駅を通過し、定刻で青函トンネル(第1湯の里トンネル)に入りました。

左上:函館駅にて
右上:函館湾沿いを走る
(上磯〜茂辺地間にて)
左下:知内川を渡る
(木古内〜知内間にて)
右下:青函トンネルに入る
(知内〜吉岡海底間にて)

知内川を渡る
青函トンネルに入る
青函トンネル記念公園を通過
左にカーブして中小国に向かう

列車は、8分で吉岡海底駅を通過し、海底区間へと入りました。
前々日の急行「はまなす」号と比べて、やはり軽快に青函トンネルを進んで行きます。
途中、最深部のサインを通過しました。
列車は、やがて海底区間を抜け、竜飛海底駅に停車しました。
ダイヤ通りに律儀に停車しますが、夏休み期間中でもない平日に下車された方はいらしたのでしょうか。
それにしても、北海道新幹線が開業したら、海底駅には停車するのでしょうか。

警笛の鳴らし合いの後、特急「スーパー白鳥」9号と離合しました。
程なくして、パッと明るくなり、青函トンネルを出ると、青函トンネル入り口公園が見えました。
再び、短いトンネルをいくつか通過すると、しばらく景色が開け、津軽今別駅を通過しました。
その後も、いくつかトンネルを通過し、高規格区間最後のトンネルを抜けると、上下線が少し離れ、将来の北海道新幹線とのポイント部分を通過、列車は左に大きくカーブしていきますが、北海道新幹線はまっすぐ進んでいくことでしょう。
青森方面へと向かう貨物列車が退避する新中小国信号場を通過し、ガタゴトとポイントを通過すると、列車は津軽線へと入りました。

左上:青函トンネル記念公園を通過
(竜飛海底〜津軽今別間にて)
右上:左にカーブして中小国に向かう
(津軽今別〜中小国間にて)
左下:青森湾沿いを進む
(蟹田〜瀬辺地間にて)
右下:田園が広がる
(中沢〜後潟間にて)

青森湾沿いを進む
田園が広がる
青森駅に到着
ホームにて

蟹田駅では、運転士の交代のため運転停車しました。
下り線には、こちらにも長大な貨物列車が停車しており、間もなく、北海道へと向けて発車していきました。
おそらく、先ほどの貨物列車と交換するのでしょう。
そして、こちらの列車も、蟹田駅を発車しました。

車窓右手に、京浜東北線で運行していた209系が疎開する青森運転所を過ぎると、ゆっくりと列車は進み、青森駅に到着しました。
青森駅からの乗客に備えて、早々と前後の座席を回転させましたが、それほど、乗客はありませんでした。
青森駅から乗車されてきた方が、座席の回転に戸惑っていらしたので、座席の回転をお手伝いしたりしました。
どうやら、青森駅からも、それほど混雑はしないようなので、一旦ホームに出てみました。

今ではすっかり日常の景色となったJR北海道の789系は、12月からもその姿は変わらずとも、八戸行きは消滅し、すべての上り列車は新青森行きとなります。
そして、数年後の2015(平成27)年には、北海道新幹線の開業とともに、青森駅からもその姿を消してしまうことでしょう。
何気ない日常の景色も、記録に残すということは大切だと感じました。
発車の時間が近づき、車内に戻りました。

左上:青森駅に到着
右上:ホームにて
左下:青森駅を発車
右下:雲がかかる東岳
(矢田前〜野内間にて)

青森駅を発車
雲がかかる東岳
浅虫温泉駅にて
雨に煙る陸奥路

ホームにいたわずかな時間に、特に乗客が増えることもなく、列車は青森駅を発車しました。
先ほど見た景色を進みながら、列車は左に進行方向を変え、東北本線へと入って行きます。
やはり、この日の東北地方はあまり天気が良くないらしく、どんよりとした空の広がる景色が続きます。

列車は、浅虫温泉駅に到着、発車間際には、下りの特急「白鳥」15号が到着するところでした。
ダイヤ通りに走るのが列車ですので、ダイヤが変われば、二度とその風景を見ることはできなくなります。

列車は、野辺地駅に到着しました。
野辺地駅からは大湊線が分岐していますが、ダイヤ改正後は、JR東日本の駅から青い森鉄道の駅へと移管されます。
駅の西側に広がる鉄道防雪林ですが、国鉄に始まり、JRを経て、12月からは、青い森鉄道の運行を守る防雪林となります。
2002(平成14)年に廃止され、防雪林の手前にあった、南部縦貫鉄道の面影はすっかり消えてしまいました。
かつては、東北新幹線七戸駅との接続計画もあったようですが、現存していたとしても、車中心の社会となってしまった今となっては、将来は厳しかったのかもしれませんね。

三沢駅に停車した列車は、雨の中を八戸へ向けて走ります。

左上:浅虫温泉駅にて
右上:雨に煙る陸奥路
(上北町〜小川原間にて)
左下:水田の向こうに延びる新幹線
(下田〜陸奥市川間にて)
右下:八戸駅に到着

水田の向こうに延びる新幹線
八戸駅に到着
特急スーパー白鳥22号(八戸方)
4,5番線ホームにて

車窓右手から、東北新幹線の橋脚が見えてくると、車内放送の後、列車は、八戸駅に到着しました。

この青森から八戸までの区間は、12月以降は、JR東日本から青い森鉄道へと経営移管される区間です。
しかしながら、一言で、経営移管とはいえども、状況は大きく変わることでしょう。
自身は、ほんの時々、この区間を利用するだけではありましたが、歴史ある東北本線としてのこの区間の景色を記憶するべく、列車からの車窓を楽しみました。

ホームに下り、八戸駅に到着した789系特急「スーパー白鳥」22号の姿を写真に納めました。
少し撮影したところで、乗り継ぎのために、在来線ホームを後にしました。

左:特急スーパー白鳥22号(八戸方)
右:4,5番線ホームにて
(以上、八戸駅にて)

八戸〜東京
3022B (はやて22号)
はやて22号(東京方)
13,14番線ホームにて

いよいよ、2010(平成22)年9月時点の「本州-北海道連絡を記録する旅」の最後の列車となります。
最後に乗車するのは、「はやて」22号です。
特急「スーパー白鳥」22号との乗り継ぎ時間は、階段の上り下りがあるためでしょうか、16分あります。

新幹線13番ホームへと階段を下りると、列車は、発車のときを待っていました。
前述しましたが、新青森延伸後、13番線ホームは、下り列車専用のホームとなってしまいますし、また、八戸始発の列車は消滅してしまうため、上り列車がしばらくホームで発車を待つ姿も残りわずかです。
その先頭車両の姿を撮影しました。
この日の「はやて」22号は、「ピカ乗りサマー」ラッピング車両の運用でしたので、ポケモンのラッピングを撮影されている方もいらっしゃいました。

発車の時間も近づき、列車に乗り込みました。
乗車した車両は、すでに、7〜8割の座席が埋まっていました。
程なくして、列車は、八戸駅を発車しました。

長大な岩手一戸トンネルを抜けると、雨はやんでいました。

列車は、盛岡駅に到着しました。
盛岡駅では、「こまち」22号との連結作業がありますので、初めてその様子を見学することにしました。
連結場所に行くと、他にも、連結作業を見学しようとする方の姿がありました。
やがて、秋田方から「こまち」22号が進入し、手前で何度か停車したのち、ゆっくりと「はやて」22号に接近し、ガチャンと連結しました。
連結作業を見終え、車内へと戻ると、隣りの座席に、盛岡からの乗客の方がいらっしゃいました。
列車は、定時で、盛岡駅を発車しました。

しばらくして、隣りの座席の方がお弁当を食べ始められたのですが、その気配にだんだんと自身もお腹が空きはじめ、我慢できなくなって、函館駅で購入した「鰊みがき弁当」を頂くことにしました。
鰊の身も、数の子も、とても柔らかくて、本当においしく頂きました。

仙台駅からは、スーツ姿のビジネスマンが多数乗車し、車内の雰囲気は一変しました。
しかしながら、平日の夕方ですので、当然ともいえるのかなと感じました。
もうこうなってしまうと、旅情といったものは感じられなくなってしまいます。
「はやて」ではなく、「やまびこ」であれば、また違うのかなとも思いました。

車窓右手に、いい感じの雲に夕日が茜色に反射している景色が広がっていました。
夕方の美しい景色もつかの間、しばらくすると、車窓は、夜へと変わって行きました。
大宮駅に停車すると、もうラストスパートです。
帰宅客で混雑する下りの埼京線とすれ違いながら、列車は進みます。

列車は、上野駅を発車し、程なくして、東京駅に到着しました。
高層ビルときらびやかな景色の中、なぜか、新十津川駅周辺ののどかな風景が頭に浮かびました。
その風景のギャップが、初めての「本州-北海道連絡を記録する旅」のインパクトかもしれません。

2010(平成22)年12月4日、東北新幹線が新青森駅まで全通しました。
2015(平成27)年には、北海道新幹線の新函館駅までの開業が予定されており、これからも、本州と北海道の時間的な距離は、ますます近づいていくと思います。
それとともに、近づくことによって変わるところと、近づいても変わらないところを体感し、記録として残していきたいと思います。

左上:はやて22号(東京方)
右上:13,14番線ホームにて
(以上、八戸駅にて)
左中:こまち号との併合直前
左中:こまち号との併合後
(以上、盛岡駅にて)
左下:はやて22号(東京方)
右下:20,21番線ホームにて
(以上、東京駅にて)

こまち号との併合直前
こまち号との併合後
はやて22号(東京方)
20,21番線ホームにて


本州-北海道連絡を記録する旅〜2010年秋〜
2010(平成22)年9月13日 -その1-
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