このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


心経山の大師堂と護摩堂

心経山の頂上から青木港を眼下に、快晴日には笠岡方面まで望める素晴らしい眺望です。

心経山頂から南西の多度津方向に高見島、その西に佐柳島、その間をぬう備讃航路。しばしうっとり…。
心経山に岩根教育長の碑文の石碑と建立記念写真(青木石材協同組合長松下さんは会議に出席)
 空海が護摩堂を建て、護摩を焚いて修行されたと言い伝えられている「護摩堂」が崩壊し、「護摩の炉」が風雨に曝されています。
 空海入定(835)から350年後の屋島の戦いなどで敗れた平家の落人が、心経山に逃げ込んで助かり(平家軍が焼き討ちできなかた)子孫も繁栄し、第二次世界大戦でも多数の家族が疎開して帰っても、心経山の森林(松林)から生活に欠かせない水・薪・落葉を得て助けられました。
 この心経山を信仰の山とするシンボルの護摩堂は、山頂での強い風雨に耐えてきましたが、終に柱が腐って倒壊していました。(2006.4.18)
 心経山へ登られる人々に歴史的な修行と信仰(森林を守る)の場であることを伝え広め、護摩堂の前にも標石を建て、再興のできる経済の回復と郷土愛の高揚を願うばかりです。(2009.4.6)
 大師堂の裏庭に、弘法大師千百年忌供養塔(三野さんのお祖父さんが100年前に建立)の横に並べて平板の石碑を建てる寸法取りです(2009.3.1)。
 4月16日(木)の「さぬき広島ミニお大師参り」に間に合いました(2009.4.6)。
石碑の建立手順など (4/13)

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