このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

(続々)井原鉄道で訪ねる<寒田4号窯跡>



はじめに
倉敷市玉島の北部に、陶と言う地名があります。
”陶”と書いて”すえ”と呼びます。
隣町の金光町には”須恵”と書いて”すえ”と呼ぶ地名があります。
そう、”すえ”は須恵器の”すえ”です。
陶には沢山の窯跡がありあす。
窯付近には灰原と言う窯から産出された灰や焼き損じを捨てた場所が出来るので、
昔から窯跡が存在するであろうと知られている場所がありました。
今回ご紹介する、寒田(さぶた)4号窯跡もその一つです。

写真:(Rollei35S、SuperG100、他への転用を禁止します)



発掘調査
倉敷市埋蔵文化センターで、
1999.9.1から、寒田4号窯跡の発掘調査が行われました。
その結果、全長約10m、最大幅約2mの窯跡が確認されました。
窯は地下式(トンネルを掘って築いた)で作成されたものですが、
多くの石を含む地形で、当時の技術・道具での作業は大変だったと思います。
写真は、窯の焚口から見上げた状態です。



現地説明会
1999.11.20に、倉敷市埋蔵文化センター主催で、現地説明会が実施されました。
説明会には、まさに老若男女が沢山集まって、熱心な質疑応答が行われました。
写真の手前に写っているのが窯の中央部です。



時代考証
説明会では、出土品の展示と説明もありました。
出土品の形状から、窯の成立年代を推定出来るそうです。
それに因ると、この窯跡は6世紀末に操業開始、7世紀中頃に廃絶したそうです。
テーブル上のトレーに入れられた蓋付き器の、
蓋と身の合わせの形状、大きさが時代考証のポイントだそうで、
ここの出土品は身側にツバがついている古い形状のものだそうです。



陶土の出所
ところで、何故此処に窯が築かれたのでしょうか。
陶器を作るのに必要なのは、市場、材料(燃料と陶土)、技術です。
ここの製品は吉備地方の中心地(現在の総社市)に出荷されていたそうです。
燃料は付近の木を切って使った事が考えられます。
しかし、陶土をどこから採取していたのか判っていません。
天草の陶石鉱山では、坑内掘りされた陶石をトロッコで運び出しています。
井原鉄道で此処を訪ねて、当時の状況を想像されては如何ですか。
吉備真備駅から5km強、自動車でも訪ねる事が出来ます。
最後は鉄道ネタにする、有閑人でした。



  

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