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交通問題を考える
Traffic problems

        by T. Minegishi

 
Traffic problems
      辛い悲しみに遭わぬため交通問題を考える

 
      

☆ 私の過ちはひとの命と財産とを一瞬で奪い去ります。

☆ 摘発されぬと交通違反を繰り返せば習慣となり習性となるのです。
それは必ず重篤な致命傷へと変貌するのです。

☆ この場所でとても悲しい出来事がありました。あなたもここに悲しい思い出を残しますか!!

 


☆ 護身は臆病ではない Note44 :

お読みくださる前に
わたくしは
人並み外れにおっちょこちょいで表現力に乏しく
誤りに気づくたびに書き直す癖がありますことをご承知ください..

目次

☆ 護身は臆病ではない Note44 : ☆ 違反事故の原因はヒューマンエラー Note43 : ☆ 錯覚による判断 Note42 : ☆ 願う Note41 : ☆ 今一度考えよう Note40 : ☆ 停止距離 Note39 : ☆ 優雅にそして笑顔で! Note38 : ☆ おちおち出来ませんよ! Note37 : ☆ 安全を創るある力 Note36 : ☆ 音もセンサー Note35 : ☆ 猛反省 Note34 : ☆ 衣食足りて礼節を知る Note33 : ☆ 無謀な人々 その1 Note32 : ☆ 瞬時に安全を選ぶ Note31 : ☆ 歩行者同士でも Note30 : ☆ 見えない! 29 : ☆ 事故マップ Note28 : ☆ お熱いのがお好き Note27 : ☆ 落し物! Note26 : ☆ あんた忍者か! Note25 : ☆ ボールの後ろから Note24 : ☆ 金魚の糞 Note23 : ☆ 地震に備えて Note22 : ☆ 雨に歩けば Note21 : ☆ 車椅子 Note20 : ☆ タッチ・アンド・ゴー Note19 : ☆ 雪は怖いです Note18 : ☆ タイヤを考える Note17 : ☆ ETCの誤作動か Note16 : ☆ 厭な仕事と音楽 Note15 : ☆ レモン・ティ の味 Note14 : ☆AED Note13 : ☆車両等の灯火 Note12 : ☆飛び出し事故 Note11 : ☆鞭打ち症 Note10 : ☆ 私達は何故に違反・事故を起こすのか! Note9 : ☆ 検問! Note8 : ☆ 省みる Note7 : ☆ 信号機の無い交差点 Note6 : ☆ 歩行者との事故 Note5 : ☆ 掲示板に Note4 : ☆ 歩行者専用信号機 Note3 : ☆ 悪魔の住処それは死角 Note2 : ☆ 急ブレーキの怖さ Note1 :





ボクはねぇ メリーちゃんをナンパしたんだぜ
彼女、おいらを好きだったんだってさワン!
で、ぼんくらっていうおいらの飼い主にスマホ買ってもらって
ココきて・TAXI-タクシー配車 をインストールして
明日の朝にお迎え予約したのらさ・・
メリーのために体力つけなきゃね!
西伊豆のドックランだぜ!ワン!!
 
    

☆ 護身は臆病ではない Note44

 出庫前の点呼を受けた後、身を引き締めて座席位置を調整、シートベルトを装着し左右のミラーを調整しつつ繰り返す言葉があります。「今日という一日こそ、事故なく、違反無く帰庫せねば・・」・・と願うのです。この後、構内の平面路でハンドルを握らず、アクセル・ペタルを軽く踏んで即、ブレーキをかけて制動具合と直進機能の確認を行います。ハンドルが左右どちらかに動けばホイール・アライメント調整を必要としますし、他に原因があるかもしれません。直進機能の狂いは安全運行に支障を伴う状況に陥りやすくなりますから日課としています。アライメントが狂う原因の一つに、縁石などに乗り上げた衝撃などによる起因が考えられます。

さておき、交通違反を、事故を犯さぬよう心がけていても、運転者自身の、或いは顧客の突発的な諸事情により、つい交通違反を犯してしまうのがタクシードライバーです。警察官に違反内容を告げられ、違反事実を認めた時点で成立、その後、脳裏に過る反則金納付、のみならず免停に近づく反則累計点数に後悔を思うものです。
交通事故の前兆と位置付ける交通違反に対し、警視庁は交通指導及び交通違反取り締まり強化に躍起です。実車走行時でも飲酒チェックを求めてきますから意気込みは本気モードです。非営利団体の全国交通安全協会に於いても事故撲滅に力を注いでいます。

警視庁は公開取り締まりを実地するにあたって次のように説明しています。
抜粋ですが・・・「依然として多くの尊い命が失われています。交通事故は、突然、家族の幸せを奪い、誰もが当事者になり得る身近な危険です。交通違反の指導取締りを通じて、交通ルールの遵守と安全意識を高めるとともに、悪質な違反者を道路交通の場から排除することで重大交通事故を防止してまいります。」

安全意識のない悪質な違反者を道路交通の場から排除し、死傷者を無くすため交通取り締まり実地という趣旨は大いに理解できます。また人間は人間であるがために誰しもが失敗や間違いを犯すことがあります。ですから、違反した者即悪質者と決めつけず、一定の期間内に再び違反を重ねなければ累積点0点に戻し、善良な市民を救済する制度に感謝を思うのです。

悪質な違反者とは交通社会及び社会生活に適応できない人物なのか・・という疑問が生じてきたのです。そこで先ず、人間という生き物を再認識せねばと思うのです。
民主主義における資本主義経済に伴う発展に疑問を思うところがあるものの、広義では先人たちが互いに助け合う社会を構築し文明を発展させ、人間らしい近代的かつ文化的な生活を終生に渡って甘受できる基礎を創り上げてきました。戦後70余年に及ぶ平和で安全な日本社会は世界的に見て貴重な歳月であると思うのです。また、表現の自由を保障する日本国憲法、これより派生する各分野に於いて種々の自由を謳歌できる環境に感謝を思うところであります。

ですが、日常生活に於いて、ごくまれですが勝手気ままに振る舞う御仁に遭遇するのです。「表現は自由である、社会は俺の言動を許容すべきだ」と豪語する人物に出合った時、困ったお方だと感じるのです。表現の自由とは、人類愛を祖とし、互いの価値判断は異なるも貴重な見解として尊重し合う義務があり成り立つと思うのです。愛することとは無償の好意ですから、一期一会であっても対価を求めず接することで互いに人間らしい生涯を送れるのです。ですから不満があれば紳士的に理の説明をし、理解を求めるのです。表現の自由とは無軌道な表現をも許容してはいないのです。

交通社会に於いて交通ルールに反す行為ですが、表現の自由に照らし合わせると、周囲の人々に害を及ぼす迷惑行為であり、死亡事故ともなれば事故現場だけに留まらず重篤な重大事故へと派生し、家族、友人、仕事関係まで絶つ恐れがあります。ですから故意に違反を繰り返す者は自己顕示欲を満たすための愚かな確信犯と言えます。しかし、何かに気を取られついうっかり違反を犯してしまう事例が考えられます。この様な事例では人間であるがゆえのヒューマンエラーで、めったに違反事故は繰り返さないと考えられます。

確信犯とはどの様な価値観を持つ人物であるかですが、社会に馴染めない人物なのでしょう。違反を繰り返すことに、社会に反する事で快感を覚える人物かも知れません。あるいは、自分以外の何者かの指示に応えるべく犯した違反事故かも知れません。そうであれば根深いものがあるようです。いずれにせよ交通違反事故は周囲に迷惑と危害を及ぼすのですから根絶しなければなりません。

これらの疑問を解く説明は先の通りで悪質交通違反者か、或いはヒューマンエラーによる違反であるかを振り分ける判断の一つに、違反点数に違反内容に即した点数を付加する累積方式とし基準値に達すれば免停となり一定期間内の運転を禁止する。免許取り消しと判定した場合、違反事実内容に適した期間内の免許再取得を制限し、悪質者が一定期間排除される。免許取消された者は免許再取得制限中に初心に戻り、社会に於ける道交法遵守の尊さを学び命の尊さを知り、表現の自由とはすべての国民へ与えられた権利であることを知り、この権利を阻害してはならないという事を理解してほしいと願うものであります。

しかし、いまひとつ、片手落ちだと思うことがあります。交通事故の要因は自動車運転者が犯す交通違反が原因だと断定しきれない不可抗力である場合があるのです。暴走する自転車運転者への違反摘発が施行され、夜間に於ける無灯火は減少したが、信号無視、逆走など目に余る光景であり、一時停止を行う自転車に至っては未だに視たことがありません。また、歩行者による信号無視、横断禁止場所での注意勧告は見受けるも、摘発し罰金を科す処分など聞いた事もありません。歩行者の違反行為が重篤な死傷事故へつながる事案は想像以上に多い現状に於いて、警告だけでなく検挙すべく法改正を望むところです。

犯しやすい交通違反を挙げれば先ず一時停止があります。市街地の優先道路走行中であっても優先権は己にあるという過信は事故に遭う確率が高まると思うことです。脇道から飛び出すのは自動車だけではなく自転車、歩行者等々と想定しつつ左右の路地角を覗き込むことが大事だと思うのです。信号機のない脇道から優先道路に入る場合は交差点手前で停止し、歩道に歩行者、自転車、及び本線車道の自転車、オートバイ、自動車の流れが途切れたことを確認してから徐々に本線手前で再度停止、今一度左右の歩道、車道の安全確保した上で本線に入る。二段階一時停止は是非とも習慣づける大事です。鋭角左折の場合、特に歩道上の左右から来る歩行者及び自転車に要注意であることは言うまでもありません。

左折時の安全確認がもっとも苦手なのです。左折手前でウインカーを点灯し後続の車両、オートバイ、自転車等に左折する旨を知らせた後、路肩側に幅寄せをすることで巻き込みを防御し、その後、左折するのです。この一連の行動が巻き込み事故防止策となるのです。が、これらの安全確認行動が有効なのは車道を走行する自転車、オートバイのみに有効であるという事を認識しておかねばなりません。歩道を走行する自転車には通用しないのです。しかも横断歩道の信号が赤に変わっていても、車が左折体制であるにも関わらず突っ込んでくる輩がいます。ですから横断歩道を横切るときは完全に一時停止し、横断歩道の信号が赤であっても歩道上左右の安全を確認した上で通過します。更に歩道上の自転車が車道寄りに走行してくる場合を想定して、腰をひねって更に顔を向けて目視するも助手席のヘッドレスの死角となり視難いのです。ごくまれな事例ですが後部座席の乗客が前のめりになって車窓を楽しまれている場合、左側後部車窓は完全に塞がれてしまい何も見えなくなるのです。こうした場合、もう一つの左折専用フロントミラーが欲しくなるのですが、無理な話です。

終戦直後から現代までの事故死者数と人口推移との関連を調べてみた所、1946年の人口約8千万人に対し年間事故死者数は約4,000人で以後上昇し続けピークとなった1970年に及んでは人口約1億1千万人に対し死者数は約16,700人という史上最悪な状況となり、関係各機関による法令、道路構造の改革、交通取り締まり強化、及び自動車メーカーによる車両構造の見直しに力を注いだ結果、微弱な増減を繰り返しつつ減少し始め2016年の人口約1億3千万人に対し死者数約4,000人を下回った。

1970年以前の車両保安基準とは、頑丈な鉄板で搭乗者を保護する構造であった為、衝突の衝撃がそのまま搭乗者を直撃することに気付いた自動車メーカーは、それまでの車両構造を見直し、衝撃を緩和するのはバンバーのみで受け止めるのではなくフロント部分、更にトランク部分をあえて潰すことで搭乗者への衝撃を緩和する構造へと変えた。更にシートベルト、エアーバック機能向上が功を奏し、これらが複合し合うことで人体保護効果を向上させたのです。高級車仕様ではドアーサイドからの衝撃を緩和する構造仕様とするが、大衆車にあっては購入コスト上昇へと繋がり、庶民に於いては諦めるしかないのかと残念に思うのです。

終戦直後の交通事情及び道路環境は主要道路にあっても未舗装が残るという状況であるのに対し、現代の道路環境は市中余す個所なく舗装済で、しかも車歩分離型という歩行者を守る道路構造、及び付随する各設備が安全空間をもたらし、自動車に、歩行者に安全で快適な移動空間を提供しているが、経済発展に伴い車両の大型化はもとより、巡航速度の高速化に伴う悲惨な重大事故発生に至るという現代に於いて、更なる道路構造及び運転者、歩行者らの安全意識の刷新が必要であると考えています。

30年ほど前に出合った言葉の一部分を紹介しましょう。
「我儘気儘が通るならばこの世は破滅」
この後に続く言葉があるのですが・・残念です。記憶に在りません。

昭和40年ごろの話で恐縮ですが、荒川放水路に架かる国道4号線、千住新橋北詰近くの自転車屋に立ち寄った時の思い出話です。かの主人曰く、「おれが子供の頃はサ、国道の向う側に渡るときに、遠くの方から砂塵を巻き上げてやってくる自動車を見ると俺は道を渡らなかったよ」と話してくれたのです。そう聞いたとき、自動車に撥ねられる怖さに・・と過りましたが、彼が語った言葉の意味を探れば、大きな荷物の運送では牛車、馬車などを主とした時代であり、明治中期生まれの彼はドでかい機械が牛馬の代わりとなって動く自動車が物珍しく、興味をもって自動車を眺めていたと思うのです。ですから彼は道を渡って離れた所から見物するより、目の前を通る自動車に興味を持っていたと解釈しました。そのご主人が幼少のころの明治中期にあっても交通事故は発生したというのですから、まぁ物珍しさに我を忘れ近づきすぎての接触事故であったと推測するのですが・・・。

本題に戻します。
先ず、自動車登録情報協会が公開しているHPで全自動車保有台数を、及び統計局から総人口で調べてみたところ、1966年(昭和41年)の車両総台数は約800万台、2016年(平成28年)では8,000万台までに増えていました。そして‘66年当時の総人口数は約1億人で、その内65歳以上は約600万人であるのに対し‘16年での総人口は約1億3千万人に対し65歳以上の人口数は約3,300万人であり若者が減少し、老人が増えたという少子高齢化が読み取れる人口推移が公表されています。
‘66年(昭和41年)の800万台から20年ほど経過した‘66年度の車両数は8,000万台という数字は十倍増であります。そして総人口数の増加は当時の1.3倍であり、65歳以上の人口数増加にあっては5.5倍にまで増加したという老人増加という異常を感じる老人増加なのでありますが、ここでは自動車数に対する総人口数から視た交通事故に於ける人間の心理、及び交通道徳とをメインに考えて戴きたいと思います。

日本人資質を諸外国人資質と比べると概ね穏やかで温和だと思うのです。見知らぬ人に話しかけると笑顔で気さくに応じる人々が多いことから、そう思うのです。例えば国境が陸続きという国の国民は隣国からの侵略が絶えず、見知の人物に対して心を開かないひとが多い気がします。それでも互いの気心を分かり合えば実にフランクな関係を求めて来る人たちであると感じています。日本の国にあっては他国からの侵略がない分、温和な性格を持つ人々が多いのではないか、と考えます。もっとも日本で暮らす外国人及び外国人旅行客にあってタクシーの乗客として知り得た外国人は概ねフレンドリーな方々が多いと感じています。

一人のアメリカ人を紹介しましょう。
2001年2月でした。ハワイ・オアフ島沖を宇和島水産高等学校の実習船が航行中、アメリカ軍の原子力潜水艦が実戦訓練中急浮上し、同艦真上を航行していた実習船愛媛丸の船底から突き上げて同船を沈没させ、実習生数名を死亡させた水難事故を記憶に残す方々が多いと思います。

悲惨な水難事故の数か月後の深夜でした。一人のアメリカ人男性が私の乗客となった時の実話です。彼はタクシー乗務員である私に「愛媛丸の事故、本当に・・ごめんなさい・・・」と謝罪の言葉を述べられたのです。彼はアメリカ軍が引き起こした水難事故を同国人としての責任を感じていたのでしょう、日本の一国民である私に心から謝罪をしてきたのですからびっくりしました。昭和40年代に観ていたアメリカ映画から感じていたアメリカ人の印象とは、ゴミを所かまわずポイ捨てする国民である。争いごとであれ自分に非があっても自認せず、相手より先に謝罪する国民ではないという認識が根付いていた私には驚きの経験で、眼から鱗が剥がれ落ちた瞬間でした。

さておき本題に戻ります。
実社会に於ける紳士淑女とは他者へ不快感を与えない術を知ると考える。であれば、旅客運送をもって生活の糧とする我らの旅客運送業務、その運転マナーとは他者へ不安、不快感を与えない術を以って運転に徹する、という事であると思うのです。更に他者に危機感を与えない運転であり、個々の状況に応じた危機を危機であると察する感性を備えておかねばなりません。日常に於いて常に予断を許さない術を以って対処すべく余裕のある運転、運行にあっては物おじせず先を読み冷静に対処するという一歩下がった視点での運転姿勢が大事であると思うのです。これらの運転操作を繰り返すことの大切さは、やがて習慣となり、習性として身につく筈です。すると唐突なアクシデントとの遭遇は少なくなり、いつ、どこで、どの様な道路状況であっても安全走行が可能となり、突然検問に出くわしても何も問題なく通過できる。さすれば人生に平穏な生活が約束されると思うものです。

「きわめてつまらない小さなことが 性格の形成を助ける」  トルストイ

感性とは・・知覚機能を研ぎ澄ませて状況を把握し、瞬時に適切な対応を可能とする潜在能力である。とすれば安全運行に欠かせない重要な要素とは感性にあると思うのです。自動車教習所などでよく聞く「しっかり正面を視て運転せよ」は安全運転技術を身に付ける注意喚起ですが、安全を確保する教官が隣席にいるからこそ「個々に応じた運転技術習得に集中しつつ運転操作を学べる」のです。この教官を感性と喩えたならば安全運行へと導く羅針盤となることでしょう。我らの職場とは危険が及ばない作業場で針穴に糸を通す仕事ではなく、刻々と変化する道路状況下で的確な状況認知を行い瞬時に安全確保へと導く教官が心に御座す感性にあると思うのです。

例えば、信号機のない交差点に於いて出合い頭事故という場面を想定してみると、交差点での交通ルールに基づいた運転を各自が行っていれば何も問題は生じません。互いに左方優先という相互関係に則っての運転であれば事故は起こらないのです。交通ルールは各場面における事故を防止のためのルールなのですから我欲を捨て去り道交法遵守することが基本です。
時には左方優先を守らない車両に出くわすことがあります、こうした場合、こちらが優先だと強気に我を張れば事故になります。近頃では一歩先に交差点に入ったが方が勝ちだとばかりルール無視する輩がいるのです。この様な場合でも最優先とすべきことは事故防止です。ですから事故防止のために一歩下がる気構えと感性が大事であると思うのです。
左方優先という交通ルールが通用するのは車対車の場合であって相手が自転車、歩行者であれば車両側が停止し、道を譲るべき気構えと感性を多用すべきと思うのであります。

参考:戦後の交通事故・負傷者・死亡者をグラフ化してみる(2017年)
http://www.garbagenews.net/archives/2014601.html

by T 2017/5/13(土)

 

☆ 違反事故の原因はヒューマンエラー Note43

同僚のK氏が前職の先輩から聴いた話ですと前置きして・・・ 「信号一つ飛ばしたところで何も変わりやしない。もし、変わるとすれば、将来、悪い人生になるだろう」と、語ったのです。格言に値する言葉だと思いました。さらにK氏は語るのです。「道交法を遵守する車と事故を起こさない程度に目いっぱい急ぐ車とが100Km先のゴールまで走ったら、どれ程の差が出るか、と実験をしたというのです。無謀だと思いました。一般道では暴走行為に当たります。ですが、大変興味のある話です。往路復路の役割は交互に分担したという。その結果はいかにと、耳をそばだてて待ちました。彼曰く、「どちらの場合でも十数分ほどの差だった!」というのです。

事例

 現場は浅草通りと三つ目通りとが交差する本所吾妻橋交差点での危険回避です。
 三つ目通りから浅草通りに入り、駒形橋方向へ向かうべく右折車線で信号待ちする三台の車両。信号が青に変わり順次交差点内右折車一時停止位置へと進行し始めた。当時刻は深夜にあって対向車は少なく、横断歩行者もいないことから一時停止ラインを超えた先頭車両が駒形橋方向へと進行し始めたとき、交差する浅草通りの駒形橋側から押上方向へと一台の車両が赤信号を無視し交差点内へ侵入し、信号に従い右折すべく交差点内走行中の二台目の車両に続く三台目の車両との隙間を通り抜ける。という事例があります。この状況下で事故にならなかったのは奇跡であり幸運だったと思います。が、一歩間違えば重大事故なのです。
 突入車は激突を回避せず速度を落とさずの暴走でした。が、故意に暴走行為に及んだ、とは思えないのです。なぜなら、他人を巻き込む自爆行為ならば破壊力を増すために加速し、去りゆく車両を追いかけます。しかしこの車両は制限速度以内の速度でしたから悪意ある暴走ではないと思うのです。
 未然に事故を防いだのは信号に従って進行しつつあった二名の運転者らの適切な危険回避行動が功を奏したからです。どのような危険回避行動であったか、知りたいところです。
 信号に従って停車すべき車両が交差点内に突入する異変に気付いた二台目の運転者は加速し激突から遠ざかった。三台目の運転者は交差点内に入りかけるも激突から逃れるべく緊急停止し道を開けたのです。それぞれの立場で行ったこの危険回避が事故を未然に防いだと思うのです。信号無視した車両は開いた空間を難なく速度を加減することなく接触することもなく通り抜けていった。という一連の経過を視ると意図した暴走ではないと思うのです、恐らく交差点に入る時点で無意識状態(居眠状態)にあったのでしょう。ですから運よく他人様の機転に助けられた、という認識は暴走した彼にはないと思うのです。事故になるところを未然に防いだのは、交差点内に突入する車両に気づいた運転者らの適切な機転にあったのです。

本題に入ります。

道路利用者は道路交通法を遵守しなければなりません。ですが、頑なまでの遵守は意に反してトラブルを引き起こし、事故になる場合があるのです。道路利用者の多くは冷静な判断のもとで安全運行を心がけているのですが、安全運行を貫くという主観は各人の諸事情により刻々と変化する生き物なのです。それは人間であるからです。人間社会にあってそれぞれの人間間の社会的立場上の力関係、利害関係等によって感情を失う生き物なのです。或いは個人的な事情によって反社会的な言動を固辞することがあります。

三大欲求の一つに睡眠欲があります。睡眠は身体機能回復を目的としています。長時間にわたる不眠は脳機能が停止し、やがて死に至るのです。強靭な精神力をもって立ち向かうも勝てるものではないのです。ですから、日々十分な睡眠時間を確保した上で運転業務に就かねばなりません。

日々の十分な睡眠はもとより運行中の定時の休憩、仮眠、は安全運行の租となるのですから睡眠不足によって居眠り運転は避けねばなりません。居眠り運転の前段の兆候とは思考力、判断力の低下で集中力が保てなくなるのです。それは視力低下に始まり、各操作が粗雑化へと繋がるのです。周囲の動きの中での危険予知、及び危険状況であると察知する判断能力が鈍くなるのです。この状態に陥ると違反、事故への導入口となります。厄介なことにこの現象は本能がかかわる生理的現象であり、己の身体を維持し守ろうとする防衛本能の働きによるものです。
 食欲と睡眠欲は満たさなければストレスはリセットされません。最悪の場合、勤務中であっても爆睡してしまいます。眠気に逆らう連続運転は違反と事故とを誘発し、やがて、生命を失います。ですから交通安全よりも自己都合を優先とし、収入アップをと欲することは我欲を貫く利己的なヒューマンエラーであると思うのです。健全な健康環境を維持すべく、欲望を制しバランスを図るという自己管理を各自行うことが交通事故防止を旨とすべき旅客運送業務に就く者の最たる重要課題となるのです。

旅客運送業務に携わる者の課題とは安全確保し旅客を目的地まで確実に送ることを目的とします。顧客の信頼を得ることとは安全快適な運行の約束事の提供ですから、運行中は事故なし違反なし乗客とのトラブルなしを成し遂げなければなりません。しかし、顧客の中には安全運行を阻害する言動を発する場面があります。

運転者の仕事環境とはデスクワークではありません。危険の渦巻く市中の道路上で、しかも重量が1.5トンほどの車両を操っての移動中です。運転者のミスが周囲の人々の生命と財産とを瞬時に奪い去るのが交通事故です。運転者は目的地を告げられると瞬時にコースを確認し目的地へと向かいます。目的地までコースを間違えないように、事故違反のないようにと運転に集中しています。が、その最中に顧客が無理難題オプション要求することがあります、その要求内容によっては気が動転しパニックに陥ることがあります。
 例えば、乗車時にコース確認済のコースを進行中、通行区分帯の直進ラインを走行している時、唐突に右折を、或いは左折を指示する顧客がいます。無理難題であると拒否したならば顧客の気分は損ねることでしょう。われら運転者が隠しもつ身上の一つに「顧客とのトラブルは避けたい」という潜在意識につけ込むかの要求です。唐突な指示に対して丁重な言葉使いで特別オプッション要求などに応じられません、顧客が納得するまで状況説明など出来やしません、事情説明をし始める間もなく交差点を通り越す場合があるのです。予定した目的地までのコースを外す唐突な変更は不可能、迂回路を探したい等と説明納得してもらう時間的余裕など全くないのです。理由は車群の中にいて流れに乗った走行中であるし、道交法で指定された通行区分帯内にあって不可能であるからです。顧客とのトラブルを避けたいばかりに不当な申し出を受諾せんとすれば通行区分帯の中でもあっても、交差点内中ほどにあっても顧客の指示に対する次なる行動を瞬時に実行せねばなりません。断固断るか、受諾かです。多くの場合「曲がっちゃう」のです。

事故違反に遭わぬよう心を集中するなかにあっても顧客の要望指示があれば、対応に要する時間は早めに切り上げたい、解決したいと願っています。ですから「まぁちゃない、ええい!ままよ!」と不当な要求でも迎合して応えてしまうことがあるのです。それが、運よく違反切符で済めばよい方で、最悪の場合、交通事故となってしまう場合を想定しつつ危険を回避しながら行動してしまうことがあります。しかし、顧客の不当要求を受け入れることは重大過失なのです。安全運行を妨げる顧客の不当な要求は社会秩序に反するし、受諾した乗務員と顧客との達成感とは相異なるヒューマンエラーの一つだと思うのです。

過去に新幹線を個人的理由で通過駅に臨時停車させた事件がありました。当時世間を騒がした国会議員による新幹線臨時停車事件です。議員が演説会場に遅れるという理由で三島駅に臨時停車をと車掌に懇願したと云います。車掌は断り切れず臨時停車してしまったのです。結果、JR関係者三名が訓告や厳重注意処分を受け、議員も公認を取消されたのです。

道路交通法に沿わない顧客からの唐突なコース変更は旅客運送法と相まって応じなくともよい筈です。迂回処置で事は足りるのです。が、意地の悪い顧客は乗車時にコース確認が無かった、等とつけ込み、あそこで曲がらなかったのは運転者のミスだ、料金割高だとこじつける顧客がいます。ですが、進行途中でコース変更される顧客の中にはご自身の都合であると自覚され、事故防止及び運転者への配慮から安全な迂回コースを適切に指示される幾人かの紳士淑女とのご縁も数多くおられました。

事故、違反を未然に防ぐ唯一の方法の一つに心身の健康管理があると思うのです。

安全運行を考えると、まず目にするのが「1:29:300 」の比で知られるヒヤリ・ハットの法則です。この法則の意味するところは重大事故一件発生の前段には29件の軽微な事故があり、その前兆とする危険回避が300件もあったというのです。この「1:29:300」というピラミッド型の比で示される表がヒヤリ・ハットの法則なのです。つまり300件の危険回避があれば一件の重大事故が発生していた。ということを表しています。ここで注目したいこと、それは平穏な運転中にあって想定外のアクシデントに遭遇した時、流行り言葉で表現すれば・・・「ウソだろぅ」でしょう。アクシデントは実に様々な形態で随所に出現します。路地道の交差点、対向車線の渋滞で停止してる車両間の隙間から人や自転車、小動物などの飛び出し、等々、所かまわず事故となる原因とは無限にあるのです。常々至る所に危険ありと心がけて臨機応変な対応にいそしむ事が大事なのです。

先ず、人の動きですが子供、青年、成人、老人、更に男女別々に分けてみると各年代、性別による動きが微妙に異なる動きをすると思うのです。幼い子供は社会のルールを理解していません、想定できない突飛な行動なのです。幼児は興味を見いだせば即座に手を伸ばし、或いは突然駆け出して手中に収めるのです。その狙った物が誰の所有物であるのかという判断が幼い子供には出来ないのですから責めることはできません。親御さんが叱り教える範疇でしょう。従って路上に在っては危険な存在と認識しなければなりません。

社会のルール、道路交通法を守らない行動をする者は幼い子供だけではなく、大人であっても存在すると認識せねばなりません。老人の中には足腰の衰えから歩行時に転ばないようにと集中し、大衆の中にあって己の行動をどう動くかという配慮があっても体力的に不可能なことから、周囲に対する気遣う動きができない境遇の人がいますし、年若くとも精神の病に因る突飛な行動も見受けられます。が、自由に動ける人が気遣うことで解決するのです。

健康で元気な一個人でも利己的な事情で、もしくは集団行動にあっては交通ルールを無視した行為を行う者を多数見受けられるのです。ですが、その様な人物であっても平時の単独行動の中では社会的なルール、道交法を率先して守っているのですから、矛盾を感じます。すると、人間というものはその時々の環境の中で、その時々の境遇及び精神状態による未知なる圧力に支配されるのでしょう。人とは不思議な行動をとるという生き物であると言えそうです。

私たちは個人的な自己の失態を回避すべく、責任を他人に押し付けてしまうことがあります。自己保身という防衛本能が自制心を振り切って責任転嫁をしてしまうのです。この行動は個体を守る防衛本能として人間に備わっている三大欲望の何れかの一つに辿り着くと思うのです。ですが、この行動は好い事か、悪い事かを問えば悪い事です。ですから、責任転嫁を制御するこころが育っている者が紳士淑女であるのです。が、紳士淑女であっても社会生活の中でなぜか自己保身に陥り、迷惑行為を平然と行う人々と出会うことがあります。

こうした実態、現実が想定される道路環境に於いて危険回避へと至った原因を探れば、1件の重大事故の前段が29件の軽微な事故、その前段に300件の危険回避があったという訳ですから、危険回避の前段を考える事とは、人間の心理行動を解明し理解した上での運転技術向上だと思うのです。思うに、交通事故防止策の原点とは、互いに相手方の心理を察し、他人を労わるこころが存在する状態での運転であり、緊張感を含んだ平穏なこころの状態であると思うのです。

道交法の原点は歩行者優先とした道交法ですから歩行者が横断歩道を渡り切れる時間が基本となっています。さらに主要道路に交わる交差点では交通渋滞解消をも考慮した時間です。ですから道路幅によって、或いは交通量によって各交叉点の信号機が指示する時間が異なることを認識せねばなりません。その時々の場面に適した臨機応変な対処運転を行うことが有効であり、そうすることで無事故に繋がるのだ、と思うのです。臨機応変な対処が身を助ける予測運転とは、一歩下がった目線から他者を思い遣るこころを保持し続ける運転であると思うのですが、このように安全運転に徹するのは不可能かも、と過る心があります。わたくしも生身の人間ですから・・・ヒューマンエラーから逃れられないと思っています。

by T 2017/4/4(水)

☆ 錯覚による判断 Note42

乗務員がホテルの車寄せで客を降ろした後、トランクサービスを行うため車外に出ると、無人になった車両が動き出した。慌てた乗務員はタクシーを制止すべくブレーキを踏んだがアクセルを踏み込んでしまい暴走してしまった。その結果、近くにいた男女数人に激突し負傷させるといるという痛ましい事故が新宿のホテル敷地内で起こった。今回はこの事故の要因を考えたいと思います。

業務上過失傷害に問われかねない今回の事故は、日常の手慣れた業務中に発生したヒューマン・エラーだと思うのです。生身の人間が陥りやすい人為的錯誤を因とする事故だと思うのです。

ヒューマンエラーとは体力の限界が近づくにつれて、疲労が蓄積すると集中力が衰えてきます。長時間に及ぶ労働は肉体に精神に想定外なダメージを与えます。疲労を解消できぬままに労働を続けたならば集中力は衰えるのです。その結果、判断力を鈍らせ、的確な作業を行うことが困難となり、次第にミスが目立ち始めるという生身の人間であるからこその現象です。ですから連続労働は避けなければなりません。

弊社では頻繁に業務連絡メッセージを送信してきます。「休憩をとりなさい、ドライバーリフレッシュ体操をしなさい」とメッセージを送信する意図はヒューマンエラーを原因とする交通事故・違反、接客トラブルを防止せよと促すメッセージという事になります。

さて本題の事故につい考えたいと思います。
客と乗務員とが下車して間もなく車両が動いた、のですからシフトレバーの位置がパーキングでなかった、更にサイドブレーキを引いていなかった。と考えられるのです。ドライブレンジのままサイドブレーキを効かせず乗客・乗員が下車すれば、軽くなった車両は当然前進するのです。この事案は通常考えられない重大な過失となります。

では、なぜ乗務員は安全確保しなかったのか、という疑問です。
1、乗務員はドライブレンジの状態でフット・ブレーキを踏んだまま料金精算を行う癖があった。
2、客にせかされ焦ってしまいパーキング及びサイドブレーキをかけ忘れてしまった。
3、或いは敏速なサービスを以って客に喜んでもらいたいという好意を優先したためパーキング及びサイドブレーキをかけ忘れてしまった。
と考えたとき、乗務員は安全を最優先とする規範に欠ける資質であった。と総括ができるのではと思えます。

さらに重大なミスがあります。車両が無人のままに動き始めたとき乗務員のとった行動です。乗務員は動く車両に追いつき、ドアーを開けていつもの様に足にてブレーキを踏んだ。が、ブレーキ・ペタルを踏み込んだ足は勢い余って滑りアクセルを力強く踏み込んでしまい、その結果暴走した。この現実は当然の結果なのです。なぜならば、片方の足を車両内に入れた状態では、半身が車外にあるため身体の重心は車外にあった、突っ込んだ足がブレーキ届いたとしても、動いている車両のブレーキペタルを踏み込み続けられないと考えるのが妥当、現実は車外に居残る乗務員と車両との位置関係は当然遠のくばかりで、身体の重心を車内に傾けてもブレーキを踏み込めないのです、物理的に足はブレーキペタルから離れてしまい、意図せずアクセルを強く踏み込んでしまうのです。乗務員の危険回避のために行った緊急避難処置、行動は合理的でなく無理があり的外れであったのです。

では、どうしたら遠ざかる車両を安全に停車させることが出来るか、事故になるまでの状況を再考察すれば、遠ざかる車両に気付き、追いついた乗務員はドアーを開けると半身になり片足でブレーキペタルを踏み込んだ。この処置ができるほどの車速であったという事実です。どうやらここに解決策があると思えるのです。
つまり乗務員のとった行動とは、平常時の運転操作手順通りに足でブレーキ操作を行い、車両を停止させる行動を行った。しかし、結果は事故となった。してみれば、平常とは異なる異常事態での判断は誤判断であったという結果になります。どうも此度に事故原因があるように思えるのです。

再度気合を入れて考えてみよう。半身を入り込ませられる車速であれば車両のドアーを開けたのち、手を以ってエンジンキーをオフにするのは容易いと思えます。この操作ならば車両が進む速度に併せて歩きながらエンジンキーを回し切る処置が出来るし、安全に車両停止できるのではないかと思うのです。急こう配を下る状況でなければこれで解決なのです。

次回はヒューマンエラーにおけるヒアリー・ハットとの関連を考察したいと予定しています。

by T 2017/3/12(日)3月14日修正

☆ 願う Note41

自宅の真向かいに幼稚園があります、園児たちはマイクロバスで送迎されています。 園児たちが園庭や教室で思い思いに発する甲高い奇声や、彼らの発する歓声は実に微笑ましく、うらやましくも思うのは私だけではないはず、彼らは将来の宝だと思います。

いつの頃からか幼稚園が用意するバス通園が通り相場になっているのにはそれなりの訳があります。 そのひとつに交通事情があります。

ニュースで見聞きする悲しい悲惨な交通事故には思わず目を覆いたくなってしまうものです。私が タクシーという仕事に就いて間もない頃でした。 埼玉県川口市のとある交差点に設置されていた捨て看板に書かれていた文面の意味を今も忘れることはありません。 不確かな文章で再現すれば「この場所でとても悲しい出来事がありました。あなたもここに悲しい思い出を残しますか」 と書かれた捨て看板でした。私は路肩に車を停めてその文章を読みながら立ちすくんでいる自分を忘れてはいません。

文面からして警察が設置したとは思えない。 だとすれば、悲しい出来事に突然襲われたご家族かそのお身内のだれかが身銭を切って設置したのだと思うのです。

「この場所でとても悲しい出来事がありました。あなたもここに悲しい思い出を残しますか。」と問われたら運転することを職業としている私らはこの呼びかけに応えなければならないと強く思うのです。

「たった一つの命だから」NHKがこの言葉の後に続く言葉を募集していたのが確か昨年の今頃だった。応募された言葉をラジオで聴いていたとき思わず涙が流れていたことを思い出します。 難病に侵され、交通事故に遭われ、愛する人を突然失った人々の悲痛な声がラジオから流れていたのです。

私は、私の不注意から、意図せずとも人の命を簡単に奪い去ってしまい兼ねない仕事に就いています。 ですが、人の命を奪うことを生業とはしてはいません。私は旅客を目的地まで安全に送るのが仕事です。 しかし、交通ルールを守り、顧客を交通違反なく安全に目的地へと送ることがとても難しいのです。

安全運行を一元的に計画管理する鉄道、航空機でさえも思わぬ想像を絶するアクシデントに陥る事があるのです。 まして道路上を人や自転車が勝手気ままに動き回るに至っては事故を防ぎようがありません。
ですが、自らが引き起こす交通事故は防ぐことは出来ます。 それには先ず交通違反の撲滅です。 自分から交通違反を犯さなければ事故は半減するはずです。 なぜ半減なのでしょうか。例えば優先道路を走行していても路地道から突然飛び出す人や自転車、そして自動車がいることは誰もが承知しています。 優先道路であるから自分は徐行する必要などない、順法だと主張すれば事故になる確立は高まるのです。

ではなぜわき道から人や自転車、そして自動車が飛び出すのかと考えてみれば、その方々は命知らずか交通事故の怖さを知らぬ方々なのだと思います。 いや、若しかすると道路構造を知らなかった、或いは深刻な悩みを抱えており交差点であることに気づかづかひょっとしたら居眠り運転かもしれません。 後者の言い分は私にも心当たりがあります。私にも悩みが多くて・・・・

どうしたら交通違反、交通事故を無くすことが出来るか、と考えたのですがそのヒントは恋愛にありました。ヒントが恋愛にあるとは大胆だと思われるでしょう。 ふしだらな爺だと思うでしょうが、ここで言う恋愛とは男女間のそれではなく愛する心を大切に思うことです。 恋するとは自分のものにしたいという恋の成就です。恋の成就を願うならば周囲を愛することです。 そして愛することは相手を思い遣る心ですから、歩行者、自転車、自動車を含め彼らに慈愛をもって接するという愛情表現をしたら交通違反や交通事故はかなり減少するのではないだろうか、と思った次第です。

by T 2009/9/25(金)

  ☆ 今一度考えよう Note40

警視庁のHPに 「交通違反の点数一覧表・反則行為の種類及び反則金一覧表」 (警視庁公式サイトへのリンク)が記載されています。 一覧表によると最も重い交通違反が「酒酔い運転」点数は25点であり反則金額の欄が空欄となっています。これは反則金では済ませられない重大な違反であるとした上で裁判を行って決める事を意味するのです。 交通違反の点数一覧表には記載されていませんが、反則行為の種類及び反則金一覧表の一番下に記載されている軽い違反の「免許証不携帯」点数は0点で反則金額は車両の種類を問わず一律3.000円と表記されています。

 自動車運転を職業とする我々は交通違反、交通事故など無く職務を全うしたいと誰しもが考え、願っていますが、無事故、無違反で一日の仕事を終えることは難しいと思っています。なぜなら、乗客が唐突に右左折個所、降車場所を指示することが往々にあるのです。しかしそれに応えることは交通事故や交通違反に繋がることがあるからです。交通違反を犯し警察官に検挙された時、その処理時間に加え水揚げにもひびくでしょう。最悪な事故となった場合、乗客共々事故の相手方までの命を失う悲惨な交通事故へと繋がるから怖いものです。これはこの当事者だけの苦しさや悲しみに終わることではなく、其々の家族にまで重篤な悲しみと苦難を伴います。

 乗車時に目的地を把握し、道順を確かめること。この徹底さえ行っていれば交通違反、交通事故に遭うことは減少すると思います。それは、急な交差点間際での右左折及び車線変更をすることが減少するからです。交差点は事故多発地点として最も危険な所であると誰もが承知しています。しかし、事故は無くならない。何故なのでしょう? 道路構造に、道路を利用する人間にその原因があるのだと思います。いかに道路事情が悪くとも、道路を利用する人々が道路とは公共のものであり、共有して利用するものだという譲り合う配慮の欠如があるのだろうと思います。

 公共の道路だからこそ自分勝手な理由で通行したならば事故になるのでしょう。例えば、横断歩道を渡る人々の中には健康に問題を抱えている人もいるでしょうし、心に問題を抱えている人もいます。車椅子で横断歩道を渡る人は歩行者信号を見て渡りきれないと判断したとき、無理せず渡ろうとはしません。一見健康に見える人でも、体力的に衰えを思う人も渡りません。渡りきれないままに赤信号になると予想するからです。そう、予測するのです。さて問題視すべきは自分勝手な行動をとる人です。突然、飛び出してくるからです。傍目にはその人物の考えていることなど見えませんし、何かに悩みながら歩いているとは解りません。当人も横断歩道の信号など確かめてもいません。また、体力に自信のある歩行者は点滅している信号を見ると急に駆け出し渡ります。横断歩道を渡る人々は信号に従っている人だけではないのだ!。と思うことが大切なのです。運転する者は潜在意識として持ち備える必要があるのでしょう。

 歩行者側の実態に対して自動車を運転する側の問題です。左折時の心構えを考えて見ましょう。交差点に近づき左折するとき、自転車・オートバイとの事故を懸念しなければなりません。車道の左側は自転車及びオートバイの通行区分帯です。左折行為に入るに当たってその区分帯に自転車、オートバイがいない事が条件です。その為には左折の合図をした上で徐行し、左折する意思を相手に伝えなければなりません。そして、自転車・オートバイの通行区分帯を通行する者がいないことを確認した上で左に寄るのです。この通行帯を塞ぐ事で巻き込み事故を防ぐことが出来るのです。
横断歩道を渡る人、左右から自転車の有無の確認を終えるまで横断歩道を横切ってはいけません。一旦停止します。運転席から左右を見たとき、盲点があります。ピラーの存在です。ピラーとは自動車の屋根を支える支柱のことです。乗用車のピラーは6箇所あり、運転者が車外の状況判断する上での障害となっています。そうです死角です。細い支柱でも歩行者や自転車の有無確認の際そのピラーの影に隠れていると言う怖さがあります。横断歩道を渡るものがいないと判断し、発進したと同時の横断歩道上の事故はこの死角と言う落とし穴があるのだと考慮し無ければなりません。

そして、事故違反を無くすと言う最たるものは、公衆の中で自分はいかにして動くか(待つか)という心構えなのだろうと思います。

by T 2009/5/28(木)

☆ 停止距離 Note39

雨降る町の光景は何処と無く物寂しさが漂う季節。上着の襟元を重ね冷えた風から喉元を守る人が目に付く。上州名物のからっ風は凄まじい程冷たい。その空っ風が北風と共に町を襲い来ると震え上がる人々。文明が進み多くの施設では快適な空調が整う事が当然だということに慣れてしまい、防寒することを忘れてしまったからであろうか。ファッションは季節にシンクロさせてこそその美しさ優雅さを感じると思うがどうだろう。季節を無視した服装は居合わせた者の不幸であり見ていて痛々しく思う。環境に応じた服装それは正に文明を感じるものである。

その環境に適した服装を持つ人の価値観を自動車の運転に重ね見ると凍結した雪道を走行する自動車に似合うタイヤは何と言ってもスパイク・タイヤである。スタッドレス・タイヤでの凍結路走行は不安があるが路面を削り道路補修費の増加となるという理由からスパイク・タイヤは禁止されている。雪道で制動距離が短いのはスパイク、スタッドレス、普通タイヤという順になり、乾いた道路ではその逆と成る。

以下 実務の友 の「事故における車速と停止距離を考えるから」を参考にしました。  

 運転者が危険を感じ急ブレーキが必要と判断し、アクセルペダルからブレーキペタルまでの時間(反射時間0.4〜0.5秒)、ブレーキペダルを踏み込み(踏替え時間0.2秒)、ブレーキが効き始める(踏込み時間0.1〜0.3秒)までの空走距離がこれに当たり、個人差はあるが通常人の平均的な反応時間は0.75秒とされている。  制動距離は路面の状態、速度によっても大きく変る。街中の制限速度は30Km/h〜50km/hが多く、おおよそ30km/hで9m〜10m。40km/hで約16m。50km/hで20m〜21mほどの停止距離を必要とする。時速50km/hで急ブレーキを踏み停止するまでの時間が約5-6秒で相手も同速度であったとした時、衝突までの時間は2〜3秒であり、言葉を発する間もなく事故になってしまう。
 更にタイヤの空気圧。タイヤの磨耗、忘れてはならない条件だと思います。

by T 2008/9/30(木)

☆ 優雅にそして笑顔で! Note38

平成二十年六月より自転車の通行方法が原則車道を走行するようになりました。もっとも、小さな子供や年長者の自転車走行は従来どうりに歩道通行可能です。 これは歩行者と自転車との事故が目に余るようになり法改正されたものです。が歩道から締め出され自転車は車道の左側路側帯をふらつき走行します。

さて、踊る姿が美しく見えて優雅に感じるのは何故かを考えてみました。例えばハワイのフラ・ダンスですが、踊る時の身体、手の動きは手話なのだと言われています。文字が使われていなかった古代ハワイの名残なのでしょう。全身を使って意思の疎通をフラに託して伝え、伝承していると言うのです。男性の踊るフラは宗教的で神聖な踊りが多く、また部族間の争いごとの前に士気高揚を高める為打楽器に合わせ踊ったそうです。タ・フ・ワフ・ワイがその時の曲でウクレレ漫談の牧伸二が歌うあの曲です。女性の踊るフラにはその戦いに挑む恋人に対して無事に帰ってきてと願う純愛の踊り、自然、神への感謝や幸せを願う踊りが多いようです。彼女らが笑顔でフラを踊るには訳があります。不幸にも別れ別れになってしまったとしても再会した時には笑顔で会いたいという笑顔なのだと言われています。

優雅に踊るには振りを熟知していなければ表情をつけて踊ることは出来ません。ピアニストが暗譜していても楽譜を前に演奏するのと同じです。自動車の運転も全くこれと同じだと思います。次なる行動を予知無くて優雅に安全を確保できないのだと思うのです。私自身二年前の虫歯の日に限りなく赤信号に近い黄色信号で交差点に進入し、見事に摘発されましたし。最近では気のゆるみから方向転換自損事故を起こしています。さても、笑顔で帰庫しましょう。

by T 2008/9/25(木)

☆ おちおち出来ませんよ! Note37

当然と言えば当然の結果だとも思うのですが、軽自動車と二人乗りのバイクとが変則交差点内で衝突し、バイクに乗っていた一人が死亡する交通事故の原因は交差点内に駐車していたワゴン車にあるとし、ワゴン車の所有者2人を自動車運転過失致死傷容疑で、さいたま地検川越支部へ書類送検した。というニュースを目にしました。
 バイク側から視た道路構造は「T字」の交差点になっており軽自動車側からは「ト字」の交差点でしかも右側はコンクリートの壁で右方への見通しが利きません。どちらの道幅も6メートルの幅員を持っています。送検されたワゴン車は軽自動車の進路を塞ぐ様な進路上に駐車しており、対向車車線にはみ出さねば先へと進めない状況です。悲劇は軽自動車が駐車しているワゴン車を追い抜くように対向車線に入り交差点を通過するときに起こりました。交差する道路右方からバイクが進入しそのバイクに軽自動車が激突をしたと言うのが事のあらましです。
 バイク側から視た道路構造は前方が行き止まりという交差点ですから、道幅が同じであるとしてもバイク側の一時停止という規制があると思うのですがなんの説明文もありません。軽自動車が対向車線に入った位置は交差点の真ん中であると言う状況ですから右方から来るだろう車両を想定し、徐行しつつ通過するべきだと思います。
 バイクにしても軽自動車にしても見通しの悪い変則交差点を通過する注意が足らないことで事故に遭われたと思うのですが、その交差点のど真ん中に駐車し続けたワゴン車の責任は重く「事故を誘発する可能性を予見できた」と判断した県警は今後も同様に対処していく姿勢をみせているというニュースでした。
 この記事を読んで客の乗り降り時に重ね考えると決して他人事ではないと思いました。

by T 2008/9/15(月)

☆ 安全を創るある力。Note36

 ある力を働かせ、新たに生み出す何かを望むとしたら、私たちは先ず冒頭に交通事故、交通違反を無くし安全を生み出さねばならないと思います。そして、それは誰しもが懸念している事なのですが、厳しい状況下において容易く生み出す事は困難だと思います。しかし、生み出さねばなりません!運転中に恐怖や不安を感じるという感情は誰にでもある筈だし、そう言う恐怖や不安など俺には無縁だと豪語すれば、これこそ問題であると言えるのではないでしょうか。つまり道路とは様々な思惑、目的を持った人々が往来するという場所であるからです。

人と人とが無秩序に右往左往すればぶつかります。権力を持って交通規制されていても自由奔放に育った現代人の中には守らない者がいる事でしょう。例えば酒気帯び運転が未だに無くならないという事実をどう思いますか。昨年九月に罰則が強化された酒酔い運転者への罰則が三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金から五年、百万円へと改正されたのですが検挙されたというニュースが絶えません。何故でしょうか。検挙された人の言い訳は「酔いを醒ましてから運転した」とか「断りきれずに一、二杯ほど呑んだが酔ってはいないと思った」と弁明しています。彼らは検挙されなければ一般道や高速道路を酔ったまま自動車を運転し続けるのです。これほど怖いことはありません。アルコールを帯びての運転は視力の低下、判断力、運転動作が鈍く、遅く成ることは誰しもが承知していることです。また、運転者の中には時を急ぐあまり無理な追い越しや信号無視、速度超過をする者もいることでしょうし、歩行者にしても同じ状態の者がいるのです。交通ルールを正常に判断できないと思われる歩行者や運転者らと混在しての運転ですから恐怖や不安を持った事が無い等と豪語できやしません。

更に営業車の場合、乗客のわがままや暴言、行き先を尋ねても、道順を聞いてもハッキリせず、只まっすぐ行け、挙句には曲がり角に差し掛かった時に曲がれという客もいます。客扱いとは真に以って扱い難いものです。無事故を願い一つひとつの危険を回避するには「ある力」が備わっていなければ成りません。それは自分自身の心にあるのだと思います。適切な状況判断をするには「心」を強くせねば成らないのだと思います。心に交通安全を願い全うすると言う「価値観」を備える。周囲の動きから自分は何をどうするかと言う決断は「感性」だと思います。不審な動きを見つけて感じ取り、事故に巻き込まれる前に回避する行動を取るには「無事故を願う価値観」を「危険を感じ取る感性」を育む事であるとだと思います。

野球でファインプレーをし、チームに勝利を導くと言う記事を読んだ時、ファインプレーという言葉を調べてみました。「スポーツで素晴らしい技をする」と辞書に書いてありました。Fine playと英和辞書で調べても同じ意味でした。所がもう一つ意味がありました。「褒める」ことに対して「罰金、科料」という意味もあったのです。ブック・シェルフという辞書ですが驚きました。例文では以下の通りです。fine a person for speeding スピード違反で人に罰金を科する。と表記していたのです。一つの言葉で何故に裏と表の意味があるのだろうかと思ったのです。
 褒める意に対して罰金ですから不思議です。強打者の打球を追って外野手が猛ダッシュをし捕球が間に合わぬと思った正にその瞬間、すっ飛び身体を宙に浮かばしたまま見事に捕球をし、強打者をアウトにした。これは心から妙技、美技であると観客の誰しもが感じる所でしょう。拍手喝采物です。しかし、冷静に科学的に解析をすれば、この選手は下手な選手であるという見方も出来るのです。捕球が間に合ったからこそのファインプレーであったのだという見方が出来るのです。若し、この野手が名選手であったならば平凡な外野フライとして処理されていたと言う見方があるのです。つまり、強打者は外角高目を打つのが得意とすると読み、そのコースに投球が行ったとしたら打球はあそこに飛んでくると先読みをし、先回りして打球の飛んでくるのを待っているから平凡な外野フライとして処理をする。という解釈なんですね。自動車の運転にも応用できそうです。

by T 2008/9/10(水)

☆ 音もセンサー。 Note35

めったに聞くことの出来ない音。それは何だと思いますか。と聞いたところ間髪を入れず、新妻のおならと某さんが答えてきました。
★タクシー車両管理は毎月行われる点検整備、一年毎の車検整備と自家用の車両より点検整備が異なります。そして大事なことは運転者自身による始業点検は欠かすことが出来ません。今夕まで順調に作動していたのに、稼ぎ時に一箇所でも故障、不具合に襲われてしまったら帰庫し修理しなければなりません。出庫時の点検全てよし、でも100%の完全動作は有り得ないと思うのです。

最近、まず無いパンク。チューブレスタイヤの普及により釘が刺さって即パンクという事は無くなりましたが、釘が刺さったまま走行は大変危険な事だと思っています。即空気漏れは有りませんが、微量な空気漏れは生じているのだと考えてください。今の時点で釘や石ころ、異物がタイヤの溝に挟まっていないかをいち早く知ることが安全走行に必要なのです。その方法ですが、目視、耳から知ることが出来るのです。始業点検の際、トイレや休憩時にタイヤ溝の見える範囲を覗き見る癖を身に付ける。何気なく四本のタイヤの溝を見るという仕草点検で刺さった釘や、溝に挟まった小石、異物の一端を見つけることが出来ます。走行中も運転席の窓をちょいとばかり下げ、車外の音を聴く癖をつけるだけでもタイヤの異常に気付くものです。走行時のタイヤの音はツーという連続音ですが、異物が刺さっていると連続音に混ざり、規則正しく刻むリズム音が聞こえます。その音色は金属と小石とでは異なり、速度に比例したリズム音が聞こえる筈です。

★速度を上げると比例してボンネットの中から異常音が聞こえたときがありました。アイドリング時には聞こえない音、速度を上げるとブォーともゴウゴウという異常な音が聞こえる。何が災いしているのかと気になり恐る恐るボンネットを開けて観察をしましたが、皆目その原因が見えてきません。ポケットから一本のタバコを取り出し壊れかけている思考力と共に休憩をし、改めてエンジン周りの一つひとつ点検をすると見つけました。異常な音のする部分を見つけたのです。空気取り入れ口近くのフイルターを収める固体のフタが原因でした。二ヶ所のピンで留めているその一ヶ所のピンが緩み外れていて、その緩んだ所から大量に空気を吸い込んでいた音でした。何かの弾みで緩み、外れたのかハメ忘れたのか解りませんが、その後車外音は遮断され静かさが戻りました。

★年に十二回の整備点検、毎年の車検整備を漏れなくしていても、車両故障は起こるとは、私たちが年に二回の健康診断をするに似ているものだと思います。常日頃から小さな不具合を見つける大切さは、人の身体も車両も同じなのですね。速度メーターわきにある警告灯があります。エンジン、バッテリーの充電、油圧系統、とそういう類の警告灯です。始動する前にそれらの警告灯が点灯し、エンジンの始動と共に消えますが、走行時に点滅した場合、いち早く気付き対処をしなければ成りません。この真夏日に懸念するトラブルは電気の使いすぎによるバッテリーの消耗があります。オーバー・ヒートは水温の上昇等により起こる現象です。冷却水の不足かラジエターの目詰まり、または、各ベルトの緩みに寄ることもあります。電気系統も冷却水トラブルも始業点検、及び運転中にあるほどは予知できます。クラクションの鳴りが変だとか、ヘッドライトが他車と比べて暗いという前兆を察することで解ると思います。

★つい最近、ブレーキを踏むたびに「キーキー」と金属の擦れ合う音が起こりました。小窓を締め切るとその金属音は聞こえません。が確かにブレーキを踏むたびに通常とは異なる異常な音がでているのです。工場でその音を確かめて頂きました所、流石です。ブレーキ・パットの磨耗だと、磨耗を知らせる警告音だと教えてくれました。デスク・ブレーキ特有のセンサーが働きブレーキ・パットの寿命を知らせるというのです。新品のブレーキ・パットの溝の深さは11mm程で使用限度に達するとブレーキパッドウェアインジケーターがブレーキ・パットの交換をすべきと知らせるということでした。警告音を発生させたままに走行を続けるとデスクの損傷、それに伴い制動時に発生する高熱がブレーキ・オイルに伝わり沸騰してブレーキ・オイルに気泡が生じ、ペーパーロック現象が起こる。それはブレーキ・ペタルを床に着くまで踏み込んでも制動されません。そしてもう一つフエード現象という現象があるのですが、パッドの磨耗によりデスクとの摩擦熱で摩擦係数が極端に減少し、制動されないという事態に陥ることがありますから怖いですね。

by T 2008/9/10(水)

☆ 猛反省 Note34

今年に入りどうした事か異常に事故違反が頻発している。これは何とか歯止めを掛けなければ緊急事態であると思い「衣食足りて礼節を知る」に一文を訴えたものです。そのなかで「私は無事故無違反を常に心がけ意識して運転するという事は確約します」と宣言した私が舌の根も乾かぬうちに自ら自損事故を犯してしまい全く以て恥ずかしい限りです。自分自身に怒り、あきれを思います。まことに申し訳ございませんでした。平身低頭の思いでございます。過日の私が犯した自損事故を深く反省し、その自損事故に至る心理顛末をここに記して猛反省をし、今後の安全運行の糧にと思います。

事故現場はとある産院の駐車場出入口、後退時に歩道のガードレールに衝突したものです。場内で回転し本道へ出ようとするも場内は満車状態でその余地が全く無く、そのまま後退するという行動を選択しました。ルームミラー、左右のフエンダーミラー及び振り向き目視を繰り返しながら駐車場出入口まで後退、場内から歩道の所まで下がってきたとき、左側のフエンダーミラーに障害物のガードレールが写り見え確認し、後退の方向を右へと修正。このまま後退すれば後方のガードレールに接触せず本線へと出られると確信し、ルームミラー及び肉眼で歩道の歩行者の有無を確認しつつ後退を続けたのです。車両の後部が歩道上に差し掛かったとき右のフエンダーミラーに一台の車両が駐車場へと入構する体制に入り本線上にて待機しているのが写り確認。このまま自車が後退すれば入構待ちの車両と接触すると思い後退方向を左側へと修正しつつ下がる。今思えばこの時点で事故になる要素が揃ってしまったのです。左側後方にガードレールが在るという記憶が消えていたのです。歩道を行き来する歩行者の有無、自車と入れ違いに入構しようと待つ車両それらへ時間を待たせてはと一瞬考えてしまった事が事故へと相成ったのだと考えますれば、今回の自損事故の要因は私の弱い心にあり、現況の安全を瞬時に判断し迷う心との視差を無くす努力不足。そして進行方向を変える度に安全を目視、再確認をしなければならないと改めて思うのであります。

by T 2008/4/20(日)

☆ 衣食足りて礼節を知る Note33
   あらぶる交通社会において自分の家族を思うとこんな道路上で死にたくない。後にも先にも一度限りの生命をここで失いたくない。私はこの仕事に就いてから何度も交通事故で死にたくない路上で死んでなるものかといくども思ったことか。私の生業は人間という尊い命を輸送する仕事。一日の勤務で2〜30組の客を運べば25人から40人余の乗客の身柄を私は家族、友人、仕事関係者から一時預かると言うことであり仕事のミスから乗客の人生を変えてしまう。あるいは乗客の尊い命をも私が終止符を記してしまう危険を担う重責を課せられた職業なのだと思っています。しかし、命を運ぶ重責の在る職業であるにも拘らず職業報酬価値は正当に評価されず社会的な地位の評価もそう高くないという現実があるのです。たとえば航空機の操縦士、たとえば船舶の航海士、列車の運転士も旅客の輸送という職業でこの点では私の仕事となんら変わりはないと思うが異なる点は航空、鉄道、船舶を用いての旅客運送は一度に大量の旅客の輸送を実現する点。またその輸送ルートは固定され安全管理はかなりのコストを費やし安全輸送管理を徹底している点だ。タクシー業務において事業者の行う安全運行管理は車両の保守、独立した輸送ルートを持たず街中で他の車両や歩行者との混在する道路をもって営業する安全運行管理は運転者への安全意識を高めるということになる。航空路や鉄道のようにできうる限りの安全管理下においても事故発生は少なくない現実。まして人馬の混在する平面路交通での事故撲滅は一人ひとりの歩行者が一人ひとりの運転者が安全意識を高めなければならないだろう。現代の複雑な人間社会において人々は多くのしがらみを持ち、いや課せられて行動する。その行動範囲は広域になり種々の交通機関を利用し、緻密な時間という制約から中にはともすれば自分本位で勝手な行動に出る者がいても不思議なことではない。なぜなら課せられた職務の敢行や約束事を不履行すれば自分の信用問題になると考え社会人としての自覚より目先の自身の安泰を優先するという一面が人間にはある。しかし、交通機関に従事する者にとって最優先するべきことは運行の安全であり無事故を確保することだと思う。

 衣食足りて礼節を知るという格言があるが人間の本質を見抜き、さらに人間社会の集団生活を営む上での共生の難しさを提言していると思う。
2007/11/19 の掲載日に 「レモンティの味」 の話を書いた。思い起こして戴きたい。記事の要約は摘発されぬぎりぎりの交通違反を重ねる毎に安全意識、交通法規を守るという価値観の鈍化が進み、さらに重大な違反を犯すもそれすら自覚できなくなってしまう意識の欠如を喚起するという内容でした。 初めてハンドルを握った当時を思い起こしてほしいのです。懸命に交通法規を守りながら運転をしていた頃をいま思い起こしてほしいのです。どんなに安全運転を心がけていても、40年50年と運転していても人間のする事ですから信号を見落すことがあります。私は二十一年間ほど無事故無違反でした。しかしこの間に違反を全く犯さなかったかと自問すれば犯しています。自分からの交通事故も無かったかと言えば嘘になります。事故としての立件に至らぬだけでした。ですが二年前六月四日の虫歯の日に信号を無視したことでその記録は終わりました。 この日、この時から私は心新たに事故違反を犯さぬぞと心うちに誓いましたがこの先の無事故無違反の確約はできません。しかし無事故無違反を常に心がけ意識して運転するという事は確約します。私は思うのです。若き日の頃小さな違反を重ねるたびに初めて交通違反を犯してしまった頃、自責の念が心の中に過ぎった筈です。事故にならずに良かったと或いは思わず周囲を見回し摘発されずに良かったと胸を撫ぜ下ろすことがあったと思います。しかし、当初の小さな過ちは自分に被害及ばぬとこの位の交通違反は誰でもやっているのだ!そして誰も事故を引き起こしていないではないかという意識が連続し慣例となると慣れてしまい違反や過ちを犯したという意識は消え去り、この時から交通違反を犯してもなんでもないぞと自分勝手な価値観が観念として凝り固まってしまったのです。慣れから生じた観念は意識の中で囁き始める悪魔と化すのです。私の意識の中で肥大したその悪魔は瞬時に大勢の人々を悲しみのどん底へと陥れてしまう重大な交通事故へとなるでしょう。

 もし今、私が事故を起こしたならば、それが死亡事故となってしまったならば、後部座席に座る乗客の命を、財産を当然私が奪うことになります彼の奥さん、お子さん、彼の両親、彼の兄弟、彼の親友と、多くの知人と何処までも続く彼の縁故者の方々との親密な絆を私が断ち切ってしまうのです。彼が働くことで収入を得て家族を養うということも私の過ちからそれさえも断ち切ってしまうのです。私がここで事故を起こしたならば相手の車両の運転者、同乗者、その方々の縁故者に悲しみを彼らとの交流をもこの私が断ち切ってしまう。道路は封鎖され交通は遮断され荷物の運送、恋人に逢うための移動も仕事先に向かうことにも、大勢の人々がそれぞれの思惑や目的を持ってこの道を利用していることを考えると私に科する責任は甚大なのです。客が急ぐからと親切心に速度をあげたり、信号を無視したり、或いは私が次の客を探すための仕事場へと急ぐにあまり、私が速度超過や信号無視したことにより周囲の方々が私の運転する車との衝突事故を避けようとしたばっかりに事故を起こす人が出ることもあるだと。私の命も周囲の人々の命も一度きりの命であり奪ってはならないと。今ここで誓わねばなりません。私は交通事故や交通違反を今後引き起こしてはならないのだと。いまこそ誠心誠意誓わなければならないのです。私から起こした交通事故により周囲の人々の運命を変へ、死なせる訳にはゆかない。交通事故を誘発させる交通違反をも犯してはならないのだと・・・!。

「縁ありや一期一会のこの世こそ笑み交わしつつ明日の楽しみ」

by T 2008/3/24(月)

☆ 無謀な人々 その1 Note32
 交通事故はなぜに発生するのか!当然事故当事者のどちらかが動いていたからであり双方ともに停止していたならば衝突事故は起こり得ない。言うならば交通事故は衝突した側の人為的なミスであり、衝突された側が法に反した場所に停止していない場合を除きなんら非はないのであり交通事故の原点はここにあるのだろう。
 この人為的ミスとは相互信頼を裏切る行為を指し交通法規を根底とする相互信頼のことである。交通法規を尊重する度合いの強い人と弱い人がいるが運転者側だけの問題ではなく対する歩行者側の意識も重要だと考えます。この意識とは事故を未然に防ぐという意識の有無であるがいつの頃からか交通放棄を尊重し行動をとる者が増えつつある現代の風潮は実に寂しいことだと思う。この交通放棄の例を取り上げてみることにする。  先ず歩行者、「赤信号皆で渡れば怖くない」という川柳があるが全くその通りで大勢で道路を渡っていたら車の流れは完全に止まるという事実がある。川柳は江戸時代の中期に発生したらしい。その作風は俳句のように季語という制約はなく通常使う言葉、口語を用いて世相や風俗を面白おかしく、風刺し表現描写し世の鬱憤を解消していたようだ。この時の選者が柄井川柳(からいせんりゅう)という人でその名から川柳というようになったと辞書に記載されていた。
 「赤信号皆で渡れば怖くない」作者不詳のこの作品は見事なものだと思うが実践実行をされたのではたまらない。さすがにこの様な乱暴はないものの各人の心の中に生きている事は事実なのである。仲間と連れ立ち街中を徘徊する時、やもすれば酔った勢いからか「赤信号皆で渡れば怖くない」と言いつつ実践に及ぶ者がいる。商店街の在る一角に於いても見受けられるのが自転車の駐輪の仕方である。周知のように歩道は狭く駐輪は車道にはみ出すケースが多く今まさに自転車公害の頂点に達する有様なのです。狭い道路に駐輪した自転車は歩行者の通行のみに止まらず自動車の通行にも大きな弊害となっている。警察の指導を受けた関係者は整頓するもののその場の利用者が乱し置く事をやめない限りいたちごっこは続くのである。人や自転車の集まるところに駐輪場を設ければ解決なのだろうが利用する者の自覚の有無が最たる処だと思う。
 信号に依る横断歩道、歩行者の中には車道に一二歩進んだ所で待つものがいる。自分の身にどれ程の危険が及ぶかを知らないからこその行動なのだろうか。現在の運転免許証保持者数は約8、000万人であり日本の人口は約一億三千万人、この比率から推測したならば車道にはみ出て待つ人物は高確率で運転免許保持者であると思う。つまり立場を変えたならば彼、或いは彼女は運転をし交通規則を知り自動車を運転する側の心理も知っている筈である。
 横断歩道はガードレールもなく車道との段差も小さく自動車が歩道に乗り上げ易い構造であり言わば歩行者が被害者となる要素の大なる所なのであります。横断歩道の信号が青に変わった瞬間に右方から進行してくる自動車の動向を確かめずに横断歩道を渡り始めるのはこう言う人に多いのではないだろうか。

by T 2008/3/14(金)

☆ 瞬時に安全を選ぶ Note31
 スポーツにも子供の遊びにもルールがあります。ルールとは規則、規定、きまりでありこの枠内で競技を進めるからこそ公正なスポーツを楽しめるというものです。ルールなくしての競技はそれこそハチャメチャ! 喧嘩や乱闘へと発展します。賢明なスポーツ・フアンはその様な試合など観たくも無いのです。スポーツの中で例えば高校野球の開会式典で選手宣誓があります。選手代表の球児はルールを尊重し競技に挑むと宣誓する。選手代表の溌剌かつ快活な発声や姿勢を前にいよいよ始まる熱戦に期待する。そうした高まる昂揚を感じる多くの観客に選手たちは応えるべく宣誓するのだ。彼らのその態度、物腰から全身から自然と湧き出てくるその感動、興奮を感じる時が来たというシチュエーションが堪らなく嬉しいものであります。

葛飾区に修徳高校が在り1993年 (平成5年) 75回 に於いて岡山南、甲府工、東海大四 (南北海道)と対戦し勝ち進む。当時地元の商店街では甲子園で応援をと参加を募り近隣から父兄から甲子園球場で準々決勝の応援に向かう興奮や歓喜と相成り賑わいを見せたものです。ベスト4の試合に挑むが兵庫の育英に奪われた悔しい記憶がある。時を空けずに地元商店街、亀有駅周辺に「応援をありがとうございました」とお礼のポスターが貼られ感謝の気持ちを伝えていた。以来中川のグランドで体を鍛える彼らを見かけると若者特有な勇壮を感じ怪我をするなよと思わず声援を贈る自分がいる。

競技ルールはスポーツの中だけでなく社会の中に於いても、交通社会の中に於いても存在し、ルール無くしての安堵、安心、安全な移動は確保できない。たとえ通行量がまばらな夜間でも皆が勝手な動きをしたならば衝突、事故は起こるもの。交通規則は自動車を運転する者だけの規則ではなく歩行者側も交通規則を尊び履行してこそ事故を無くす事が出来るというものだと思う。然しながら如何なる場面に於いてでもルールを尊重し正義を頑なに押し通すと一瞬のうちに事故に遭い被害者にと成ることがある事実。例えば前方の青信号に従い交差点を通過する時、対する赤信号を無視し交差点に突入する車両を目視したとしよう。双方がこのまま進めば衝突になるとした場合、相手に対しルール違反をしているぞ!止まれよと叫びつつ青信号に従い交差点に突入したならばほぼ間違いなく衝突事故になるのは火を見るより明らか。後に如何なる理を説いたとて事故になってしまっては元も子もないのです。仮に故意にルール違反を敢行する輩だとしたら、それ相当な機関でじっくりと時間を設け諭すしかない。残念な悔しい事ですが事故を回避するためにはこちら側が青信号で正しくとも減速、停止するという行動を選択をするしかないのでしょうね。

 

by T 2008/3/7(金)

☆ 歩行者同士でも Note30
 この世で最も大切なものそれは命。隣人の命もその命の持ち主である隣人の最も大切な命なのです。今一度自分の命が老いた具合が悪いと言って新たに自分を作り出す事は誰にも出来やしません。が、私には隣人の一つしかない大切な命を奪う事は出来てしまうのです。隣人を憎くて奪い去るのではなく状況誤認、運転誤操作等があると常に冷静沈着な運転を心掛ける意図に反し、重大な事故を起こすという事があります。その恐ろしさは自動車の利便性のみを甘受していた若き日の私は知る由もありませんでした。
 さて、今回は「歩行者同士での正面衝突はなぜに起こるか」を考えてみる。歩行者同士の衝突は双方が同一の歩行ライン上を進行し自らの進路対向する歩行者の進路予見、安全確認をしていないからであり、雑踏の中でも常に周囲の状況を目視確認する事により衝突を避けることは出来る。誰しも無意識のまま自分の歩行ラインを設定し歩くものであるが彗星の如く飛び込む者あらば歩行速度を緩め或いは停止し、歩行ラインを無意識のまま変更することで衝突を避けている。ここで一つ考えて見よう。このまま進めば前方から進み来る人物に当たると自分の意識が働けばこそ避けられる、だが自分が気づかずにいたら衝突は起こったのかと言えば低確率で衝突は起こらない。なぜか! 相手が自分に気づき避けるから衝突は起こらないのであって衝突の主なる原因とは両者とも見過ごしていたからこそぶつかるのである。
 今私が狭い駅舎のホーム上に棒立ちしているとしよう。通勤電車から降りてくる客の多くは棒立ちしている私を見つけると避けて通り行くものだ。つまり多くの乗客は雑踏の中でも安全を考え視野に入れて進むからこそ棒立ちしていても当たらずに進み行くのである。だが、障害物に気づくも避けられるスペースが無ければ、進路変更するための進路、空間を確保できなければどうだろうか。つまり安全とは自分の周囲に有るほどの余裕が無ければならない。六本木の芋洗坂のような密着状態という環境では避ける手立ては無いのであります。
 雑踏の中で障害物を避けて通るもこれは表面的なものでその避ける人の心理状態は怒り心頭であると考える。つまり通勤客は出勤、通学する或いは人との約束の時刻に急ぎ行くという目的があり又、雑踏の中で身体の自由がきかない拘束された環境を望んでいない。一刻一秒でも密着状態という無防備な状態から開放されたいと無意識のうちに願うから棒立ちの私を見つけると睨み避け通り去って行くのが常であって中には「おい!おやじ、 何してるんだ! 邪魔だよ。」と怒る乗客もいる。
 棒立ちの人物は初めての場所でありその場が通勤客の通り道である事を知らずして立ち止まり進み行く先の検討をしている最中で有るという事も考えられる。つまり道に迷う子羊状態であれば納得できるものの通行の邪魔である事は間違いない。

訂正、不適切な表記がありました。お詫びいたします。
「だが自分が気づかずにいたら衝突は起こったのかと言えば高確率で衝突は起こらない。なぜか!」
との文面を以下の様に訂正修正いたします。
「だが自分が気づかずにいたら衝突は起こったのかと言えば低確率で衝突は起こらない。なぜか!」

by T 2008/2/18(月)

☆ 見えない! Note29
 春先の日差し穏やかな午後、見えそうで見えなくてイライラした事はありませんか? もうちょいあれが無ければ見えるのに、どうにもこうにもならない悔しさ。で思うのですが!見るべきところは全て見なければこちとらとしても納得出来ないしストレス蓄積してしまいます。右側から見ようと右に寄れば前の奴右に寄りやがる、なんて奴だと小憎らしく思うも自分と思いは同じなのでしょうねぇ。
 片側一車線の狭い道路でですよ、しかもこの渋滞で既に2〜3分も立ち往生してれば先頭の奴何しているのだと様子を見たくなります。
 道路構造なのですがもうちょいと何とかならないものか!と常々思います。 狭い路地道から本線に合流する場合です。本線に頭を出さずに歩道手前で一時停車し様子を見るも左右の建造物が視界を遮って全く車・歩道の通行状況が見えません。これを怠ると歩行者や自転車がボンネットに激突か、跳ね飛ばしてしまう。合流する本線の車の流れや歩行者らの状況がまったく掴めない路地から本線への合流は大変気を使います。見える情報は真正面だけで交通弱者といわれる歩行者が自車の前を通行するか否かが見えない訳です。恐る恐るゆっくりせりだしつつ左右様子を伺い見るしか手はありません。頭を半分ほど出すと歩行者、自転車の有無存在が目視確認出来ますが本線上の車やオートバイの存在は街路樹、看板等に視界を遮られ目視確認できない。緑化の為の街路樹が捨て看板が吹流しの広告が死角となってスムースで安全な合流を妨げているのです。流れが切れたとして合流しようとすれば速度を上げパッシングの連荘で威嚇してくる輩もいる。歩道から半分突き出た自車のボンネットの前を自転車に跨るミニスカートのお姉さんや歩行者がこちらを睨みながら弧を描くように前を横切る有様です。ですが親切なドライバーもいますね。一発パッシングしながら速度を緩め合流をしなさいと合図をしてくれる人もいます。路地道からの本線への合流とはいやはや痩せる思いです。市街地に於ける道路構造、何とかならないものなのでしょうか!

by T 2008/2/10(金)

☆ 事故マップ Note28
 警視庁のホームページには交通事故発生マップが開示されている。その統計情報の中から地点別人身事故発生状況(平成19年度)の発生件数ワースト50の順位を見ると最も多い交差点は高井戸警察署管轄の中の橋、世田谷署の上馬、代々木署の初台と続き六位に両津勘吉巡査の勤める亀有暑の青砥8丁目交差点がある。この交差点は環状七号線と水戸街道との交差点で一昨年の事故件数は21件だという。その典型的な事例が図示されており見ると環七の奥戸方向から水戸街道を右折する車両が事故を多発している。この交差点は周知のとおり時差信号であり交差点内での事故及び横断歩道での自転車や歩行者との事故が目立つようだ。なかには広い交差点であることからセンターラインを見失い水戸街道の上り車線に入り込もうとする車両を見かけたことがあり危険な交差点であります。
 高齢者の事故被害は平成10年の件数を100%とし19年では201%、時間別では夜明けから日没までで約90%の発生率である。男女比では80才超を境として女性の死亡率が男性を上回る。又自転車を利用する高齢者は自宅から500m以内での事故が約60%だという。その多くは出会頭事故で通り慣れている所が多い。ここで言う高齢者とは65歳以上でいよいよ私もその年齢に間も無くである事から若者の記事を見ず高齢者のページをじっくりと調べ見たものであります。

by T 2008/2/8(金)

☆ お熱いのがお好き Note27
 かれこれ48年も過ぎたのですねぇ・・ え! 何の話だって? マリリン・モンローが出演した映画の話ですよ。1960年当時34歳、映画「恋をしましょう」で共演のイヴ・モンタンとの恋に陥ったり、大統領に就任したジョン・F・ケネディと交際が話題になったり。「奥様はお熱いのがお好き」でゴールデン・グローブ賞を受賞したあのグラマーなアメリカの女優のマリリン・モンロー。その後彼女はアルコールと睡眠薬におぼれる日々が続きうんぬん・・36歳という若さでこの世を去ったかつての今で言う悩殺女優です。 映画はどんなストーリーだと聞かれても題名しか覚えていませんから聞かないでください。

お熱いと言えば帰庫した直後にタイヤ・ホイールに水を掛けるとビックリしますよ!もうもうと立ち昇る水蒸気にです。察するにデスク・ブレーキにかなりの熱が蓄えられていたのでしょう。ブレーキの酷使はデスクの異常な過熱、その高熱によりブレーキ・パットとブレーキ・デスクとの摩擦係数が下がりブレーキの機能が低下してしまいます。今でこそこの種の事故はめったに起こりませんがブレーキの使いすぎは制動距離に影響が出るのではと思います。そこでゆったり2〜3時間毎のブレーキの為に休憩を設け余裕を持った運転を心がけたいものです。ベーパロック現象という怖い現象をご存知でしょうか? 出庫前点検事項の中にブレーキ・オイルの項目があります。点検時に油面が規定のラインまで達していれば良いのですが油断すると減っているときがあります。ブレーキ・オイルはブレーキ・ペタルを踏み込んだとき水鉄砲の原理と同じで踏み込む圧力に応じた力をブレーキ・パットに伝えタイヤ回転の制動をコントロールします。その際にデスクとパットとの摩擦から生じる熱がブレーキ・オイルにまで伝わることがあります。このオイルが過熱するとオイルの中に気泡が生じ踏み込む力を阻害します。つまりブレーキが利かない状況に陥ってしまいます。

 話は戻りますが・・マリリンモンローいいなぁ。
も一度モンローに会いたい方々の為にサイトを探しました。
マリリンモンローの写真が見れます!
うっとり・・・・
ハンカチをお使いください・・どうぞ!
by T 2008/2/8(金)

☆ 落し物! Note26
 先行く女性やすれ違う女性に「お嬢さん! 落し物ですよ」とわざとらしからぬ素振りで声をかけ近づくのは自称二枚目と称する男性の常套手段です。 私は内気な性格なものでして声かけたくとも勇気が出ず苦手なんです。かといって異性を嫌いな訳ではなく大好きです。

落し物といえば昭和55年4月、当時トラック運転手の大貫さんが銀座で1億円入りの風呂敷包みを拾い届けるも落とし主は名乗り出ず一億円の出所に就いてあちらこちらの井戸端で大いに賑わかせたものでした。自分の持ち物を落としたり置き忘れる時とは他のことに集中していたり深く考え事をしている時にしまった! となるようですね。
航空機でも着陸時に車輪に付着している氷の塊の落下が年に2〜4回、金属片の落下も全く無い訳ではなく極まれにあるようです。

最近自動車のパンクはめっきり減少しています。以前パンクの原因は路上に落ちている釘が主なる犯人でした。昔、家屋の解体からでた廃材に残る釘がトラックの荷台から落ちたのでしょうか。その釘を後続の運転者が丁寧に拾ったんでしょうね。 落下物は釘だけではなく結構大物もあるんです。 現金、自動車の部品、金属類、廃材、家電、動物の遺骸、ごみと調べたらきりがありません。運転中落下物に気づいても避けられるとは限りません。いきなり車線を変更したならば隣を走行中の車との接触事故の危険があり、最悪時、落下物に乗り上げたとしたら車両の転覆横転、急ブレーキでは追突されるという事態になりかねません。 ではどうしたらよいか! 第一に車間距離、第二に複線の場合並列して走らず逃げ道を確保する。とはいえどちらの対策走行もほぼ不可能な現状です。安全確保のため車間距離を作れば割り込まれ、隣の車線に於いてもあおり運転の奴の車両で逃げ道を塞がれているのが現状です。

首都高速のデーター見た所、昨年の通行車両総数419,474,550台で首都高速上に落し物の件数は34,976件、一日あたり約100件で驚きの数字です。国道や県道と更に範囲を広げたらいったいどれ程の落下物があるのだろうか天文学的な数字になることでしょう。全ての落下物が即危険だとは言い切れませんが風に飛ばされ飛んでくる飛来物にも気をつけたいと思います。

by T 2008/1/31(木)

☆ あんた忍者か! Note25
 頃は昨年の秋、そう、お月様がちょいと欠けている十三夜で程よい月明かりでした。なぜか満月のお月様を見上げると嬉しくって心浮き浮きして得をした気分になるのです。確か、十月の三十日の夜半だったと思うのですが月明かりに誘われつつ右手のコップに少々のお酒注ぎ入れ、左手にはチクワを持ち外に出たのでした。
 二十数年前までの私の家の前の道路の半分は元々農業用水路で現在は親水公園水路として束の間の憩いの場所として生まれ変わっています。車道の両脇の狭い歩道の端に立ち止まり十三夜を見上げ、ほろ酔い気分を楽しんでいた正にその時です!背後から私の右肩をかすり抜けたチャリンコ! 危うくコップとチクワを落とすところでした。
 昔の自転車はペタルを踏み、チエーンがあっちゃらコッチャラ当たるギーコ、ギーコとこき鳴らす音がして闇夜でも自転車が近づくのが分ったものですが近頃は自転車でもスーパーチャリンコで無音。まぁ私も歩道の隅っこで立ち止まってのお月見は通行の邪魔をしていたのかも知れませんがいや〜びっくりしました。
 闇夜でなく月明かりに加え大きな街灯の明かり照らされ佇むオヤジが見えない訳がないと思うのですが。ひょっとしたらこのクソオヤジ道端で呑気に月見なんかするんじゃねぇ!と私は脅かされたんでしょうか。 これが若しもですよ、くっそオヤジで無くですよ、うら若き女性が淡いピンク色の花柄のハンカチを目頭に当てていたらチャリンコの彼は気づいたのでしょうか? 考え悩むまでも無いですよなぁ!

by T 2008/1/24(木)

☆ ボールの後ろから Note24
 昔の子供に好きなものは何だと聞くと「巨人、大鵬、卵焼き」と決まって答えが返ってきたものでしたが最近ではちと違うらしい。ではどの様に違うかを懸命に考えてみるのだが分りません。現代の子供達の好きなものが多くて的が絞れないのです。
 その中で特に目立つスポーツがサッカー! 日本のサッカー選手の活躍は世界にも名を馳せる程で、街中の路上で子供達がボールを蹴飛ばし遊ぶ程。昔のように広い原っぱがあればそこで遊ぶのだろうがその様な広場はいまや皆無のようです。
 そこで日本のサッカー歴史なるものをJリーグ公式サイトより調べてみると”明治維新後に日本に伝えられたと言われています。1873年(明治6年)には、当時日本の海軍兵学寮に教官として招かれたイギリス人将校ダグラス少佐が、日本海軍の軍人たちにサッカーを教えたという記録が残されています。”
 びっくりしました。なんと135年も前に到来していたのだとは驚きました。考えて見ますと今日本に於けるサッカー熱とはかつて高度経済成長で見せた狂気のようなバブル時期とは異なり地道なものだということが出来るのだろうと思います。
 然しながらサッカー大好き子供達にとって私の子供の頃のロケーションとは違い何処でも遊べる広場がありません。区の小中学校の校舎、校庭を放課後に開放していますが利用は僅かなようです。勢い即遊びたいという子供達にとっては遊ぶ時間が勿体無いのかも知れません。現代の子供達は非常に忙しいのでしょう。学校から帰宅後には塾に行かねばなりませんから、そのほんの僅かな時間を惜しむかのように大好きなサッカー・ボールを二三人の友達と道路上で遊ぶのだろうと思います。
 路地から小さな公園から急にボールが公道に飛び出し来たりして危うくボールを轢きそうになったりします。ハンドル操作やブレーキを以ってボールを轢かなくてよかったと思ったその次の瞬間、転がり行くボールを拾い求めてくる子供が必ず飛び出てくるのです。

by T 2008/1/4(金)

☆ 金魚の糞 Note23
 水槽の中で優雅に泳ぐ金魚を見詰めていると疲れた心がとても和みます。金魚の養殖といえばこの界隈では江戸川区が盛んでありました。その歴史は明治時代に始まり最盛期には三四十軒ほどの金魚養殖場が生産をしていたのが都市化の波に追いやられ現在では数えるほどになったそうです。かつて、きんぎょえ〜きんぎょえ〜とリヤカーに金魚鉢を沢山並べ積み各地を売り歩くその夏の風物詩を近頃とんと見かけなくなってしまったことは実に寂しい事だと思うのは私だけではないでしょうか。しかし、昨年の七月二十一日〜二十二日と二日間に行船公園 (北葛西3−2−1)に於いて第三十五回の金魚祭りが盛大に行われ今なお健在であることは嬉しいことです。
   金魚のトイレは大も小も一緒くたで一つの肛門から薄く長いチューブのような物の中へおしっこと固形物とを包み込み排出し、その固形物は何処までも長くふんわりふわふわ垂れ下がり糞切りが悪く長く続くその様は正月の凧揚げの尻尾そのものに見えます。
 「他人の成り見てわが身を正す」 という言葉。他人の滑稽な格好で歩くその様を見て笑う自分が実は自分に瓜二つであるということが在り得るのであります。
月に何度か見かける他人の交通事故にしても信号機のある交差点でどうして事故に! せまい路地から広い道に出るのなら止まって左右確認すればぶつからないのにとか。この場所でこの環境でどうして事故になるんだとか思うことがあります。ですが他人の起こした事故だからこそそう思うのであって当事者達の心理状態まで私達は考えもしません。きっと事故を起こした当事者達にはそれなりの事情があったのだろうと思います。
 その事情とはどんな事情かを一度じっくりと考えてみたいと思っております。何故なら「明日のわが身ですから」

by T 2008/1/4(金)

☆ 地震に備えて Note22
手ぬぐいを頭に載せ天を仰ぎ都会では見る事の出来ぬ星の数々星空を眺めながらの露天風呂、小さな半合徳利を乗せた盆を湯に浮かべチョビリちびりと・・やってみたいと思うのですが中々出来やしません。 真夜中の夜空は黒一色から藍色と日によって色が変わるんです。夜空暗闇の色もネオン街のおねぇさんのように実は彩っているのであります。その色の違いはたぶん・・大気の状況によってかチリや埃の影響かと推測するのですがほろ酔う身体が左右に揺れていては分りません。揺れと言えば気象庁が昨年の10月1日から最大震度5弱以上の強い揺れが予測された場合、震度4以上が予測される地域を広く一般に発表し。それを受けたNHKは、テレビとラジオで速報します。その方法とはチャイムです。そのチャイム音やチャイムを聞いたその時車両を運転する者への対処方法を実地前から広く広報していましたから既に聞いた方が大勢おられると思います。それはラジオ放送番組が中断しチャイムが連続して流れます。その後、緊急地震速報です。まもなく大きな揺れが・・とアナウンスされます。その時私達は落ち着いて車両を安全に停車させなければなりません。 NHKでは下記のように広報していました。

・後続の車が情報を聞いていないおそれがあることを考慮し、あわててスピードを落とさない。
・ハザードランプを点灯するなどして、周りの車に注意を促したあと、急ブレーキをかけずに、緩やかにスピードを落とす。
・大きな揺れを感じたら、急ハンドル、急ブレーキを避けるなど、できるだけ安全な方法で、道路状況を確認して左側に停止させる。

という内容でした。緊急時に備え一連の行動をシュミレーションし自信を持って車両を安全に停車できるようにしょうか。

by T 2007/12/25

☆ 雨に歩けば Note21
雨降る町をただ一人当てもなく濡れてゆく
胸の中にも雨が降る忘られぬ君ゆえに・・
恋に破れたこの身には町の噂が身に沁みる♪
 という歌いだしで始まる懐かしい江利チエミの映画昭和32年作品。当時私は11歳、小学生で映画そのものの存在も知らずテレビもない時代で娯楽と言えば親父が真空管を使ったラジオから流れる落語や浪曲を茶碗酒飲みながら聴いているのを蜜柑を食いながらコタツの中で聞くだけ。この歌を子供心に聞いて恋に破れた悲しみを歌っているとはつゆも知らずに楽しげに真似て歌っていました。

 いま雨の降る街中で客を探し走るタクシーの前を傘を前倒しに歩くうら若き女性の中には複雑な気持ちで彷徨う娘さんがいるやも知れませんね。その人は呆然と歩いている訳ですから歩道を歩いているのか信号が・・・なんて見てはいませんよ。いきなり御足を車道に踏み出したり、小路から飛び出されてはたまったものではありません。いつぞや親友のS氏が言っていたピラーの死角に隠れ見えない事もありますからねぇ。接触人身事故は歩行者と運転者が互いに安全にすれ違える空間を目視確認をしてこそですから。雨天時は傘がかさ張り道幅ががより狭くなる訳ですから運転は十分気をつけたいと思います。

by T 2007/12/20

☆ 車椅子 Note20
 タクシー乗務をしていると実に色々な人々との出会いがあります。車椅子を使うお客様にも日に何度か出会うことが多くなってきました。中には付き添う人無く一人でタクシーを利用する方もいます。初めて出会った時どう接してよいのやら戸惑いました。乗車時に車椅子から後部座席へ移動するにあたって力の配分はご本人の両腕の力と腹筋です。お一人でタクシーを利用する人は大概一人で乗車できますが車椅子をトランクへと積み込まなければなりません。車椅子を折りたたみ、ハンドルが折りたためる構造があれば折たためないタイプのものもあります。旧式タイプでは大型でトランクからはみ出してしまいますが最近は小型化して大方トランクに収まるタイプが多くなってきました。タクシーから下車移動時にはフット・プレートを上げブレーキを掛けた状態であわてさせず騒がずゆっくりと車椅子に座ってもらうのが一番安全です。 車椅子に着席してからフット・プレートを下げて足を置き、両輪のブレーキを緩めるのですが動作を言葉で伝えながら行うことで安心感を与えます。車椅子を引き歩道か安全な場所まで車椅子を押すことがありますがこの時も歩道まで押しますねと声を掛けます。急発進するとびっくりしますから車椅子を引くときはゆっくりと引きゆっくりと押します。段差を乗り越える時は大きな車輪の両内側にステピング・バーがありますから介護者が足を乗せ踏み込むと同時にハンド・グリップを下げ押すと前輪の小さな車輪(キャスター)が段差を乗り越えますからゆっくりと前進で段差を乗り越えられます。降りる段差であるときは後ろ向きに後退します。前進姿勢のまま坂を下るとつんのめって飛び出す恐れがありますので下りは後ろ向きで後退します。何気なく歩く歩道や車道には意外と障害物が多いのですね。

by T 2007/12/17

☆  タッチ・アンド・ゴー Note19
 タッチ・アンド・ゴー と言えば航空機の離着陸訓練の一つで飛行機を滑走路に一瞬着陸させ、若しくは着陸寸前で再度急ぎ離陸すると言う訓練である事は飛行機マニアでなくとも知る人が多い。航空機は安全を確保した上で運行されるが万が一の場合に備えて事故を未然に回避するための訓練なのです。

 このタッチ・アンド・ゴーの自動車版は貴方も日に何度か体験しているのではないかと思います。例えば交差点を右折する為に方向指示器を点滅させ減速しながら右折ラインに進入した所で黄信号と変わる。黄信号は停止線で停止出来ない場合に限り交差点内外の安全を確認しつつ通過できると解釈し右折敢行を目指し進行するもあえなく停止線手前で赤信号に変わってしまった! 仕方なく右折をあきらめブレーキを踏むと後続車からのブーイングのクラクションが二三発くらう、ふと信号を見ると右折の青い矢印信号が点灯している。 勢いタッチ・アンド・ゴー! なんて事があったりという場面はよく出くわすと思います。 信号機の赤信号の下に点灯はしていないが矢印信号機らしきランプが設置されているので突入したら使われていない信号だったりで慌てること然りです。右折信号をだすなら黄信号に変わると同時に青矢印を点滅させ対向車線の赤信号に合わせ青矢印点灯してくれればタッチ・アンド・ゴーせずともよいのになぁと思うのですが。最近青から黄信号時に変わると同時に青矢印が点灯する交差点が増えつつあると思います。交通量が飽和し複雑な交差点での信号機の多種で一筋縄では行かないものですね。

by T 2007/12/04

☆ 雪は怖いです Note18
 話は昔々のこと連れ合いと上野公園に遊びに出かけその帰り道、突如大粒な雪が降り始めあれよという間に降り積もってきた。久しぶりの雪景色に変貌しつつある町並み、雪をかぶりながら歩き行く人々を見やりながら上野駅近くの坂道に差し掛かったとき私は見事に滑って転んでしまった。隣で心配顔ではあるが笑いながら私を見やる連れ合い、立ち上がろうにも滑ってしまい空を泳ぐような格好で手足をばたつかせやっとの思いで難を逃れるも又宙を泳いでしまう。雪に不慣れな者にとって雪は怖いものであります。雪国での履物は滑りにくい構造になっているんです女房の履く靴底を見て納得しました。
履物と言えば車のタイヤです。私がこの仕事に就き始めた頃のタクシー業界では雪が降ると車庫に戻り後輪にチエーンを巻きつけ仕事を再開した記憶があります。営業所によっては何処そこに工場のスタッフがチエーンを持って待機しているから装備をしてくださいと無線で呼びかける光景も懐かしく思い起こせます。都会の交通量の多い幹線道路では雪が圧雪、砕かれてしまい雪が消え去った所を走る、言わばやすり上の走行ですからチエーンを擦り切らし、その先端がタイヤ周辺のボディを破壊し走る車も見られました。わが社では師走に入ると全車両後輪のみですがスタッドレスに順次履き替えており万全とは言えませんが雪対策は進んでいます。
以前TV番組の中で雪道走行をしている南国の運転手さんがタイヤをスリップさせ、これ以上進めないと手を上げたところで雪国育ちのベテランと交代するとテコでも動かなかった車が水を得た魚、いや雪を得たスキーヤーのようにすいすいと走り始めます。雪道走行には雪を知らなくては走れないのだとつくづく思いました。雪国出身の方々の話を雪の降る前に聞きたいとこの時期に思うのであります。

by T 2007/11/30

☆ タイヤを考える Note17
 自動車にとってタイヤとは必要不可欠な部品、しかもその構造とはエンジンと比べて簡素であるがその役割は重要であります。エンジンは燃料を消費しその熱効率から駆動を作り自動車を走らせるその構造は多くの部品を組み立て成り立つ。対しタイヤの構造はシンプルで空気をも部品としています。その構造の多くは分らないけれど季節に合わせ夏用、冬用、として使用しています。タイヤの溝には走行時に発生する路面との摩擦熱の開放、雨天時の水はけ、路面のグリップ、乗り心地などを考慮され我等が工場ではタイヤの磨耗から想定される操縦性、燃費、スリップ、バーストを懸念し定期的に検査を行っていることは運転者にとって心強いことだと思う。タイヤの接地面積は葉書一枚ほどのしかありません。その僅かな面積で一トン以上の重さを支え安全に乗り心地良く高速走行をもする大事な部品であるから ①スリップサインが出ていないか ②溝に石や釘などが挟まっていないか ③亀裂は無いか ④空気圧は適正か 確認しなければなりません。 そして走行時に窓を開け耳を澄ませてみると溝に異物が挟まっていると速度に応じた規則正しいリズム間隔で音が聞こえるし空気圧が高ければ路面のガタガタが直接ハンドルに響き乗り心地が悪くなる。また、左右の空気圧に差があるとハンドルを取られたりする。 常に高い空気圧での走行はタイヤの中央の溝が減り、中央の溝があるのに両側の溝の減りが早いのは空気圧が常に低めであるという事を表しています。高めでは制動距離が長くなり追突の危険あり、低目での高速走行はバーストの危険があります。出庫前点検は命を守る重要事なのです。

by T 2007/11/30

☆ ETCの誤作動か Note16
 2007年11月9日に日付の変わった頃、私は数年振りに首都高速三号線から東名川崎を経由し東名横 浜へと進行していた。川崎のICを通過し東名横浜出口ETC精算すべくゲートに進入しゲートが目前に 迫る、速度を確認した。時速は40km/h だっただろうか。ゲートのど真ん中に照準を合わせ車載の ETCから流れ聞こえる女性のアナウンスの声を聞くべく耳を澄ませると「確認できません」だったか 「利用できません」だったか想定外なアナウンスが流れたのだ。 目前の遮断バーが開かない! そんな馬鹿な、首都高速のゲートでは正常に作動していたのになんで東名横浜では作動しないんだと  くっそ 田舎者だと思ってあしらわれたのかと一瞬考えるまもなく左右から閉鎖するバーに突っ込 む自分がいた。 瞬時にルームミラーで後続車の有無を確認しハザードを点灯しながらレーン間の 隙間に停車し安全を確認。その後路肩へと寄せる。車載ETCの動作状況を見た。正常に動作している 時の青色となぜか赤色の二つの色とが点灯していたと思う。  インターネットで調べた所、開閉バーのトラブルが月間4,000件も発生していると言う。開閉バーの 開かないトラブルの原因の多くはETCカードの未挿入が多く、無線交信の異常も発生していると言う 。データーが古くて申し訳ないが2004年国土交通省は月あたり5000万台の内、開閉バーのトラブ ル4000件と発表し事故確率は低いと言うが低い確率でも下手すりゃ死亡事故にも繋がる事を考え ると、決して小さな数字ではないと考える。この種のトラブルを経験した方が私の ほかにもう一人いるらしい。

by T 2007/11/24

☆ 厭な仕事と音楽 Note15
 北島三郎の歌う演歌を聴きつつ小さなお猪口の楽しみと彼の侘び寂のある声色で歌う演歌を聴きながらの一杯程美味い酒は無く生老の楽しみなのです。 もっともカラオケの好きな人は聴くよりもご自分で唄う楽しみを良しとするのでしょうが・・ 歌や音楽を以って心身の疲れを癒す人は多いでしょう。 演歌独特な歌唱法である小節(こぶし)に加えヨナ抜きの旋律です。つまり音階は七音階なのですが五音階で作られているのが演歌です。ハ長調の「ド」から始まる音階の四番目の音「ファ」、七番目の音「シ」の音を抜いた五音階で構成されています。正に人生の轍の様な詩や小節、揺れ動くビブラートに哀愁に一体感を感じとても癒されるのです。 演歌は私達の生き様を歌唱法や詩によって表現していると言っても過言ではないと思います。 楽器で奏でる音楽の素晴らしさは安定した音の高さ、僅かにずらす音の揺れから重なり合うハーモニーや一言では言い表すことが出来ないほど沢山の楽しみ方があります。 音楽を聴き癒された心身を以って今日も厭な仕事を疲れた顔をお客に見せずに仕事に励もうと思っています。

by T 2007/11/10

  ☆ レモン・ティ の味 Note14
 疲れた時、一片の黒糖や一粒の果物味の飴を口の中にほうばると元気が回復します。 ですが歯の手入れを怠ると虫歯になってしまいますから気をつけたいものです。 さて、私は勤務中の夜半に疲れと喉を潤す為に自販機でペット・ボトル500mlのレモン・ティをよく買います。 本来は暖房の効いた喫茶店で綺麗なお嬢さんを横目にほのかに甘酸っぱいレモン・ティから香り来る匂いを前に紫煙をくゆらしながら楽しみたいのですが、そんな贅沢は言えません。 ペット・ボトルのレモン・ティでも一口含むと紅茶の微かな渋みとレモンの酸味とが味わえます。 それは40数年前にあったらしい初恋風味に似て好きなのです。 先達って黒糖を食べた直後にこのレモン・ティを一口含んだのですが、いつも感じるあのほのかなほろ渋い甘さが全く無いのです。 自分の舌に味覚障害がとうとう発症したかとおののきました。 まったく薄く甘酸っぱい風味がそこにはありませんでした。 しかし、よぅく考えてみると直前に食べた口中に広がる黒糖の強い独特な甘味の後にやわらかな甘味の飲み物を味わう事自体が所詮無謀だったのだと思いましたね。 そうなんですよ、どっぷりと甘い黒糖を食べた後に甘味の薄いレモン・ティの甘味を感じる訳が無い事は火を見るより明らかな事、頭の回転の鈍くなっているドジな口汚い自分に気づいたのです。 そうして次の瞬間ひらめきましたね! ひょっとしたらこれはレモン・ティ黒糖事件と交通事故・違反とは酷似しているのではと思い始めました。 無事故・無違反を永年続けることは地道な忍耐を要する行動です。 さっそうと走り回ることは一見運転が巧く見えますが安全確認に見落としがあるやも知れませんし大変危険な運転行為だと思うのです。 ただそこに事故違反が運よく起きなかっただけでこの運転そのものが黒糖の甘さの中にどっぷり浸かっているに似て決して推奨できないと思うのです。 誰しも一日中運転していれば交通違反の一つや二つ犯している、いや幾度も違反をしているではありませんか。 一時停止、速度超過しかり歩行者優先であるのにクラクションを鳴らしややもすれば強引に走り回る自分が見えてきたのです。 しかしですよ! まずこれらの違反はめったに摘発はされない。 勿論警官がいない事を確認しながらやっているわけですからそう簡単には摘発されません。 ですが・・こんなこと許される訳はありません! いずれ近いうちに泣きを見るのは明らかな事です。 違反を重ねた暁には免停・免許取り消し処分が必ず来ます。 最悪の場合重大事故を引き起こし紫煙をくゆらせながらの紅茶を楽しむ明日を取り消されてしまうかも知れません。 世の傍若無人からの甘過ぎる誘惑には乗らないよう、薄味運転をしましょうか!

by T 2007/11/19

☆  AED Note13
 AEDという言葉をご存知ですか? EDではなくAEDです。
EDはErectile Dysfunction:勃起機能の低下でとても深刻な問題ですが、この問題については後日改めて機会をみつけて私の相談に乗ってください。今日はAEDについてお話をします。 AEDはAutomated Extemal Defibrillatorの頭文字です。(なんと読むのか・・)兎も角日本語では自動対外式除細動機と云い病気や事故などの因から心拍ケイレン状態の心臓に電気ショックを施し正常な心拍を取り戻すという装置です。2004年7月以前は医師のみがこの装置を使用しましたが、以後私達一般市民でも扱えるように法律が改正されました。そのAEDは公共施設に設置され始めておりどなたでも使えるように目立つ場所に置かれています。外出時にそれとなく探し見てください。操作方法ですがご安心ください。装置内には心電計がショックの必要であるか否かを機器が判定しまのでその指示に従うだけです。音声で指示されるので誤って患者を死なす事はありません。蘇生率は1分毎に7%〜10%低下し10分後では10%未満の蘇生期待しかできません。自分がAEDを扱う自信が無ければその場所にAEDを探し持って来るだけでも良いと思います。そして叫ぶのです・・AEDを使える人はいませんか!・・と。 野次馬の中にはいますよ!心臓マッサージ、AEDの使える人がきっといます。

 使い方は三ステップです。
1.ふたを開けると同時に電源が入ります。 
2.電極パットを胸に貼る。(わき腹と胸の間に心臓をはさむ様に)
3. (ためらわず)ボタンを押す。
以上です。

by T 2007/08/17

☆  車両等の灯火 Note12
 ヘッド・ライトの基本は下向きである。上向きである。どちらだと思いますか? 多くの運転者は下向きと答えますが調べてみました。道交法の車両等の灯火第52条には「夜間には前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない」。と記されています。更に二項では先行車、対向車が認められた場合に「灯火の光度を減ずる等灯火を操作しなければならない」と記されています。先行する車両の直後を又、対向車とすれ違う時に「減光」せよだって?と云うことは通常は減光せずに走れという事です。つまりヘッド・ライトは上向きが基本であるという事です。上向き走行しても常に充電していますからバッテリーの上がることはありませんからご安心の程を。

by T

☆ 飛び出し事故 Note11
 市中の走行時に自分の進路は空いていても対向車線が渋滞で停車している場面が良くあります。このような時には渋滞を尻目に速度を上げたい衝動に煽られますが大変危険な場合なんです。渋滞している車両の間からオートバイや自転車が更に人が飛び出してくる事が多々あるのです。飛び出されてからではもう止まりきれませんから相手が飛び出す前にあなたが見つければこの種の事故は避けられます。どうやって避けるか?渋滞で停車している車両の縁の下を見ると相手の影が見える時があるのです。もう一つの対策は車道だから人はいないと思わずにゆっくりとキープレフトをし、走行するしかありません。

by T

☆ 鞭打ち症 Note10
   鞭打ち症とは頚椎捻挫若しくは頚部挫傷のことです。信号待ち中に後続車からの追突される、ひどいのになると煽り追突してくる事もあります。追突事故に巻き込まれない為には後続車の動向をこまめに注目することで少しは避けられると思います。尋常でなく異常接近してくる車、つまり煽ってくる車や蛇行しながら走ってくる車を見つけたら相手せずに競う事を避けて後続車に道を譲る事しか回避できません。この先でネズミ捕り中の事を教えてやる必要はありません。渋滞、信号待ち停車している車両に追従する時に、一気に停車するのではなく手前から減速し、後続車両の減速を確認するまで並行せず退避場所を確保しながら減速しましょう。並行する運転者が絶世の美人でもです。停車の継続中は後続車が追突せずに止まってくれるかと注目をする事ですが万が一の場合、ハンドルを強く握り足を踏ん張り構えますと幾分鞭打ち症状が和らぐと思います。

by T

☆  私達は何故に違反・事故を起こすのか! Note9 
     二つの事が考えられます。一つには「欲」一つには「認知症」です。 欲には逃避する事で命を守もる欲と攻撃して吾身を守もる欲とがあります。命の保全を前提とした逃避は決して恥ずかしい事ではなく褒め称えられる価値のあるものだということです。欲と云うことを狭義に考えますと欲が違反や事故を誘発させているのです。その欲とは悪い事でしょうか? 無欲な人は皆無だと思っています。なぜ皆無だと思うかですが欲が無ければ命の維持は出来ません(水揚げも上がらへんなぁ)。そこで無事故で水揚げも確保したいという欲を両立させる為には社会性と云う価値観で管理するのです。

これからお話しする認知症とは病院のお医者さんが使うそれとは違います。運転中は進行先まで道順を間違えずに、事故を犯さずにと常に何かを考えながらハンドルを握っています。問題はここからですが、前後左右の安全認知と客席の動向にも気配りして仕事をしています。お小遣いの少ない私ですから欲しいアレをなんとかして買いたいなぁなんて夢中に考えていると状況判断に見落としや一連状況の記憶が一部抜けてるという事が生じます。走行中に赤信号で停車していた事までの記憶はあるが信号が変わって何時の間にか走り始めている自分に震え上がる事があります。記憶の喪失なのです!

by T

☆  検問! Note9
 皆さん! 怒りましょう! 怒らなければいけませんよ。 お巡りさんに怒るのではなく矛先は夜夜中に無灯火で走り回る自転車に乗っている連中にですよ!お間違えなく。 先日の夜夜中に例によって無灯火自転車の注意をされていた美しい二人のお嬢さん方なのですが、点灯を促されても尚も応じず逆に食って掛かるという状況です。我々運転者側は無灯火の自転車には毎度のこと泣かされている訳ですからここはお巡りさんに応援のエールを送りましょう。一通りの注意勧告をして両者は右へ左へと分かれ去るのですが、かの麗しきお嬢さん方は点灯を促せられても応じず無灯火のまま自転車にまたがり、ぷんぷん怒り無灯火のまんま闇夜に消えてゆきました。注意勧告された事の不満をあらわに叫びながらですよ! 自転車の無灯火違反で摘発し反則金を課してやらなきゃ分からないんでしょうかねぇ。酔っ払った多くのお父さん方なんかもしもしと声を掛けられただけで点灯するのになぁ。

by T

☆  省みる Note7
 時折呆れ果て感心する事があります。 それは街中の道路でよく見かける恐ろしい場面なのですが暴走する車両の事です。 もう一つは埼玉県川口市で一つの立て看板に書かれている文を読んだ時、とても考えさせられた事をお話します。  直進する車両の信号が青色から黄色に変わり、赤色信号が点灯しても尚、次から次へと交差点に突入する車両が目に付くのです。 赤色信号を無視してまでも交差点に進入するその彼らの度胸には恐怖を覚えます。 交差する停止線で信号待ちをしている運転者は理不尽にも暴走車両の途切れを待つしか仕方ないという表情でひたすら左右の安全確認に集中しているのです。

「交通事故とはいかなる時に起こるか」を考えた時、総ての車両の運転者が交通法規を尊守していればまず事故は起こらない。 対する運転者が赤色信号を無視し交差点に進入した時、交差する貴方は青色信号であるという事から交差点に躊躇なく進入したら事故になる。 と云う事が有り得ると思うのです。  仮に私が信号無視で交差点に進入しても交差する貴方が私の信号無視に気付き、事故回避のため停止すれば衝突事故は発生しない。 この例はどう考えても信号を無視した運転者にその非はあるのですが、交差する運転者は衝突を避けるために青信号を無視するという理不尽な事実が生じます。

さらに衝突を避けるために青信号で停止した場合、その後続車両は追突されるという二次災害が起こりえる危険が発生するのです。 その後続車の運転者は車間距離保持違反、前方不注意、が問われるでしょう。
安全な運転とは先ず、進行方向や周囲の状況を認知し瞬時に自分はどうするかを判断、相手の行動を予測し運転操作の行動を常に繰り返す事であると思う。 いずれか一つでも怠った時に事故は発生する。 つまり進行方向に障害物の有無を見つける事(認知)が事故を回避する最たる第一歩なのであると思うのです。
そして、自分は相手車両を認知しているのだから相手も私を認知しているだろうと思わないことです。 相手を信じず相手の行動に要注意です。
赤色信号を無視してまでも何故に急ぐかを考えてみました。

幾つかのケースが考えられます。
1.大型車両の過積載、 
2.黄色信号のうちに交差点を抜けられると考えてる、 
3.先を急ぐから 
4.勢いよく交差点に進入すれば相手は待つだろうと考えている。 
5.気が強く性格が悪い、 
6.運転者は睡眠中、等が考えられると思うのです。

15年ほど前のお話で恐縮ですが、埼玉県川口市のとある市街地の交差点に差し掛かった時です。よく見かける立て看板なのですが次のように書いてありました。
「この場所でとても悲しい出来事がありました。 あなたもここに悲しい思い出を残しますか」
という内容です。

by T

☆  信号機の無い交差点 Note6
 信号機の無いほぼ同じ道幅の交差点に同時に進入した時どちらが優先なのかを検証してみます。信号の無い交差点にさしかかった時、相手も車両であれば左方優先です。自転車や歩行者の場合にはその状況により道路を横断する歩行者に特に注意をし、できる限り安全な速度と方法で進行しなければなりません。(道交法36条〜4)。つまり歩行者にお先にどうぞと譲るか或いは譲ってもらう。又は自転車、歩行者を威嚇し自分が先に通行すれば捕まるかもね。運悪く双方とも減速せずに交差点に進入し事故に成った時のおおよその過失割合は同率ではなく、左方優先と云う事から左方40:60自車。左方が減速し自車が減速なしですと左方20:80自車.自車が右折で直進車との事故であれば直進車30:70自車。左方からの車も右折、自車も右折の場合、左方:40:60自車。と云うのがおおよその過失割合です。

by T

☆ 歩行者との事故 Note5
   戦前の子供達は、それは其れはもう大人しい子供達でした。いやなぁに私が子供の頃に近所のおじい様に聞いた話ですよ。自動車の通るのが物珍しくわざわざ国道まで出かけ、遠くのほうから土煙を上げて走り来る自動車を今か今かと手に汗を握りながら道端で見ていたというのです。のどかなもんだったんですなぁ。近頃の奴らといったら走り来る車の直前でも横切る始末でしょ困ったもんです。横断歩道も信号も無い所を横断中の人身事故の場合、歩行者の過失20:自動車80、横断歩道上であったら0:100、 赤信号を無視した横断歩道の歩行者の過失は70:30でありますが状況により変動します。いずれにせよ事故は割に合いません。

by T

☆ 掲示板に Note4
 交通事故を起こしたリストの最前列に私の名前が掲載されている。 いつ事故を起こしたっけかな? と回想したのだが心当たりが無い。 しかし、火の気の無いところから煙は立たずである訳で暫し日付と自分の名前を見詰めながら思い起こしてみると、ぴんぽ〜ん! 思い出したのである。 確かに車の一部に損害を与えていた。その顛末をここに懺悔しようと思う。

当日は早朝よりの雨模様、確か午後にはその雨も上がり一日の営業を終え帰庫する途中、雨降り後の社の洗車場は込み合っているだろうなと思い営業所を横目で見ながら素通りし三ツ矢ガススタンドに直行した。三ツ矢ガススタンドの洗車機は最新型でブラシは布製であり車体にとても優しいし車体に残る水滴も強烈な圧縮空気を吹きつけ飛ばすので拭き取りも左程難儀ではない。車を洗車機の所定の位置に停め洗車コースを選択後自動販売機でお茶を買い洗車の終わるのを待っていた。轟音とともに洗車ブラシはボンネットからフロントガラスへと進み、屋根の所まできた。ここでブラシは行灯を避けるため上昇するのだがその気配は無い。もうちょい屋根を洗ってから上昇するんだろうとうつろ思いながら見ているとその気配は無いのだ。これはやばい! 厭な予感がし、飲みかけていたお茶を放り投げ、緊急停止ボタンを押さねば行灯は壊れる〜と走った! だが時既に遅しか、既にブラシは行灯を巻き上げ配線コードもブラシに巻き込まれた所で停止した。 あぁ〜やってしまった! 幾度と無く洗車機を利用していたのだが洗車機の操作を間違え行灯を飛ばしたのは初体験である。

交通事故を起こす事も、洗車機操作ミスで行灯を飛ばす事もその原点は仕事の慣れという油断から何かを見落とした結果発生した事故である事に間違いない。 先日、ラジオ深夜便で登山家が山頂を制覇する時、体力の三分の一を以って挑み、下山時と非常時に三分の二を使うと話していた。

by T

☆ 歩行者専用信号機 Note3
 路面中央に赤色点滅の補助灯が埋め込まれその交差点の信号機は青。交差点の手前約50mほどに近づいたとき一台の車が横切ったのである。目前を横切った車は赤信号を無視したのだと思った。だが信号無視ではなかった。 この信号機は交差点に設置されているが交差する道路の交通を制御する信号機ではなく歩行者専用横断信号機であった。 交差点際のこの種の信号機にはびっくりすることが多い。 交通事故誘発信号機だと私は思いますねぇ。

by T

☆ 悪魔の住処それは死角 Note2
 若し今、夏の海水浴場の駐車場でハンドルを握り周囲を見回す景観を想像したら最高に素晴らしいでしょうね。フロントガラス越し、左右のドアーの窓越しに見えるだろううら若いお嬢さん方の水着姿が右往左往するその様子にもう卒倒しそうです。 しかし運転席から周囲を見回すうちに一つ気づいたことがありました。お嬢さん方の歩く姿が一瞬消える場所があるのです。車の屋根を支える支柱越しの所でした。 このピラー(支柱)は前方に二箇所、中央に二箇所、後方に二箇所、ピラーだけで六箇所の死角があります。更に車両の直近周囲はまったく見えません。 そうですウインドウから下方、ウインドウから上方の部分は死角となり見えません。ルームミラーやフロントミラーを以っても死角は残ります。 この悪魔の住処という死角は制御出来ないものだろうかを考えました。視点、視点を変えることである程解消できそうですよ。それには運転席の座席をほんの少々前に移動する。背もたれを立て視点を高くする。さらに上半身を左右に揺らす事で死角が減少します。  私の親友であるS氏は過日この悪魔の死角に取りつかれ冷や汗ものだったと話してくれました。 S氏が言うには信号に従い車をスタートさせ左折しようと角を曲がり始めたその時、突如かつてのお嬢さんが左前方から出現したのです。彼は瞬時に停車し衝突は避けられたと言葉少なに話しましたがその恐怖は今なお思い起こすと言います。

by T

☆ 急ブレーキの怖さ Note1
 毎日のお勤めご苦労様です。 三角窓、クランク棒、アポロ、これらは何でしょうと聞かれて即答できる人は数少なくなりました。 三角窓とは今でこそ冷暖房が完備され快適な空調空間でドライブが出来ますが昭和40年代頃までは外気取り入れ口として運転席、助手席の窓に装備されていました。クランク棒とは50年ほど前の自動車はバッテリーやセルモーターの未発達で始動時、バンバーの中央の穴からクランク棒を差し込み回しエンジンを始動する棒のことであります。アポロとは方向指示器のことで右左折時にレバーを操作すると車両の脇から矢印のような突起物を出し示す今で言うウインカーのことです。4〜50年も前の自動車から見た現在の自動車は当時からすれば夢のような車ですべてスーパーカーなのです。雑談はこれ位にして本題に入りましょうか。 降雨時に急ブレーキをかけた時、タイヤの回転が完全に止まり制動距離が伸び失速状態に陥ります。昔のベテランはポンピング・ブレーキを使いタイヤのロックを防いでいましたが数年前から自動化されました。この装置を ABS(Antilock Brake System)です。車載のコンピューターが横滑りやタイヤのロックを感知し一瞬制動を解除し失速しないように制動する装置です。 ここでお願いがあるのですがこのABSの作動を実感されたことの無い方は一度ぜひ経験してほしいのです。 ですがやたらに実験をしないでください危険ですからね。 周囲に人馬のいないことを見定めて道の広いところで時速10km以下で一度急ブレーキを踏んでみてください。怖いですよ〜 市街地、高速道路、降雨時の急ブレーキがいかに危険かわかりましたでしょう。 車間距離をとらず並列走行の危険さがこれにより実感できることでしょう。

by T 2007/10/31

おいら・・夢の中でいつも愛していると ぐぅ〜・・ 言ってるんだ! すかぴ〜〜
画像は牛飼いとアイコンの部屋から
Traffic problems     by T

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