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東京見聞録  
2007年8月7日(火) 一日目   <伊勢(外宮、内宮、赤福、徴古館)、二見浦、鳥羽>


ムーンライトながら>

 今年も帰省を兼ねた夏の旅行に出ます。こういう機会がないと、金銭的な問題もあってなかなか遠出できません。実家が本州の西の端にあることに感謝しなきゃいけませんな。

 8月6日午後10時、重い荷物を持って東京駒場の自宅を出発。一週間分の着替えとパソコン類一式が入ったリュックに、これから訪れる各地のガイドブック、暇つぶしのための新書6冊、院生らしく印刷した論文各種を収めた手提げカバンを引っさげて渋谷駅へと向かいました。正直相当重いです。特に本が。これから先が思いやられます。

 渋谷で山手線に乗り品川へ。今日は品川から夜行のムーンライトながらに乗ります。下りのムーンライトながらに乗るのは本当に久しぶり。いつ以来だろうかと調べたら、何と2002年の8月6日のことでした。本当にちょうど5年前。このときは臨時のムーンライトながら(というか当時臨時には名前が付いてなかった気がする)に乗ったのですが、全席自由席でおまけに全てボックス席、通路には座れない人が立っているという劣悪な環境でした。僕は2時間前から並んでいたので何とか座ることができたけど、向かい合って座ったお姉さんに気を使って足を延ばせなかったので身動きがとれず本当にきつかった。この間約6時間半。翌朝終点の大垣に付いた時にはもうくたくたでした。そんな東南アジア的な乗車状況を見かねたのか、翌年からは臨時のムーンライトも全席指定になり、ボックス席も解消されたそうです。

 今日はそんな思い出深いムーンライトながらの臨時に乗車して名古屋まで。ながらの出発まで時間があったので、夕食をとってなかったこともあって、安曇野という立ち食い蕎麦屋で冷たいかき揚げ蕎麦をかきこみました。しかしこの蕎麦がいただけない。駅の立ち食いだということはわかるけど、麺が伸び過ぎてコシが全くない。勘弁してほしい。旅行の最初がこれでは先が思いやられます。

 11時35分、臨時ムーンライトながら91号に乗車。全席指定だと2時間前から並ばないでいいから素晴らしい。しかも特急並みの席なので足を延ばすことが出来て快適。指定席券の値段は510円だけど、自由席からの環境改善度は510円以上の価値があります。


<臨時ムーンライトながら乗車ホームへ>

<ながらの車内>

 ここ最近暑くて過度の寝不足になっていたので、電車の中ではぐっすり寝ようと思っていましたが、当然夜行列車で寝られるはずもなく、寝たり起きたりの状態で朝を迎えてしまいました。後ろの座席の方では酒に酔っているジイさんと若者が言い争いしてるしさ。ジイさんの腕が隣の席にまで進出しているかしてないかで揉めているようです。明らかにジイさんが悪いんだけど、ジイさんの声がうるさいし謝る気配もありません。最終的には車掌が出てきて、ジイさんは他の車両に移動させられたけど、夜中にこんな言い争いをされちゃ寝られるものも寝られません。夜行はプライバシーがないから困ります。

 明けて8月7日朝5時19分、名古屋着。ここから近鉄に乗り換えて、今回の第一目的地、伊勢へ。今回は青春18きっぷを使っているので、伊勢までもできることならJRを使いたかったのですが、JRだと伊勢に着くのが8時48分になってしまいます。対して近鉄だと7時7分。この1時間40分の差は大きいです。ということで今回は1410円払って近鉄に乗ることにしました。しかし近鉄ってカバーする範囲が大きいんですね。西は大阪から東は名古屋まで。プロ野球から撤退したから、もっと小さい会社かと思ってた。


<近鉄 急行鳥羽行き>

<近鉄の車窓>

 曇り空の車窓を眺めつつ、桑名・四日市・津・松坂と三重県の主要な都市を通過し、7時7分に伊勢市駅に到着。途中は曇っていた天気も、伊勢に近付くにつれて晴れてきました。


<JR・近鉄伊勢市駅>

<駅前の街灯>

<伊勢参り 外宮と内宮と赤福>

 この旅第一の目的は御伊勢参りです。日本人として生まれたからには、一度はお参りしておきたかった伊勢神宮。長いこと心の中に引っかかってましたが、ようやく伊勢に来ることができました。そして神聖さを感じるならば、人が少ないほうがいい。このために1410円も払って近鉄に乗って来たのです。年中参拝客が多い伊勢と言えども、早朝なら人も少ないだろうと。

 駅のロッカーに荷物を預け、身軽になったところで、まずは歩いて外宮へ。よく「伊勢神宮」と言いますが、伊勢神宮の正式名称は単なる「神宮」で、建物としては内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)からなるそうです。単なる「神宮」という呼び名が、伊勢神宮の別格さを醸し出している気がします。

 駅から外宮までは歩いて約10分。朝早いこともあって、参拝客はほとんどいません。そして緑に覆われた神社内の、朝の清々しい空気はたまりません。


 

 

<次の遷宮予定地>

<外宮別宮の月夜見宮>

 外宮(豊受大神宮)は食の神様である豊受大御神を祭っているところです(確か)。天照大神を祭っている内宮より500年後の創建だそうですが、現在の扱いとしては内宮と同格になっています。さすがに古くから信仰の対象となってきた場所だけあって、神聖な雰囲気に包まれてい(るような気がし)ます。外宮内部は撮影禁止なので、外から一枚。


<外宮>

<外宮の近くを上る>

 伊勢神宮は内宮・外宮から別宮・末社に至るまで、20年ごとに本殿を建て直す「神宮式年遷宮」が行われているそうで、外宮本殿の隣にも次回の遷宮予定地が確保されていました。本殿用に二つの場所が確保されていて、20年ごとに両者を移動するみたいです。690年の持統天皇の時代に始まり、第62回の次回は2013年。何だか果てしない物語を聞かされているような気がします。

 一般的に歴史遺産というと、法隆寺のような、創建当時の姿形のままで保存されていることが素晴らしいことだと思ってしまいがちですが、伊勢神宮の20年に一度全てを破棄して作り直すという形も、別の意味で素晴らしいものであるように感じます。姿形は創建当時のものでなくても、技術や考え方が脈々と伝承されていくという過程。生物の生の営みと同じですね。

 外宮にお参りし、敷地内の別宮を一通り回ったところで、次はバスに乗って内宮へ。外宮から内宮まではバスで10分程度です。内宮の少し手前の「猿田彦神社前」で降り、猿田彦神社にお参りしてきました。巫女さんが二人掃除をしてたけど、いいですねぇ。。猿田彦神社からは歩いて内宮方面へ。内宮まで参道は土産屋や飲食店が立ち並ぶ「おはらい通り」となっています。


<猿田彦神社>

<おはらい通りへ>

 さて、おはらい通りに着いた時点で8時半。朝食をまだ食べてないので、どこか適当な店に入りたいところですが、朝が早すぎてどこも開いていません。唯一開いているのは赤福本店。今日はここで赤福餅を食べて、これを朝食とします。

 赤福と言えば言わずと知れた伊勢名物。今回の旅行で僕はこの赤福餅を本店で食べるのを非常に楽しみにしていました。小さい頃、父が関西に出張すると、毎回買ってくるのは赤福12個。幼い僕と妹は、毎回この赤福を楽しみにしていました。そんな思い出の赤福を、本店の座敷で目の前の五十鈴川を眺めながら食べる。しかも出来立て。こんな幸せがあるものか。3個で280円という値段も良心的です。待つこと2分、お茶とともに赤福が到着。

 出来立ての赤福は今まで食べたどの赤福よりも柔らかく、さらに目の前に広がる五十鈴川と本店で食べているという感覚で一層おいしく感じられました。お茶もおいしかった。幸せですね。やはり名物は出来立てをその場所で食べるのに限ります。冷えて固くなった赤福もおいしいけれど、出来立てはさらにおいしい。


<赤福本店>

<赤福 280円>

 赤福の朝食後は、まだ店の開いてないおはらい通りを通り抜け内宮へ。外宮と比べると早朝にもかかわらず人が多く、敷地も広大で、どの神社よりも別格で圧倒的な雰囲気が漂います。さすが、天皇の先祖を祭っているだけのことはある。雰囲気だけで圧倒させることのできるほどの存在感は、今まで見てきたどの神社よりも強いものでした。さすが、日本の神社の総本山なだけのことはあります。フランスから来たと思われる観光客の集団もいたけれど、ガイドさんの説明に「ワァーオ!」を連発して感心しきり。


<内宮へ>

<五十鈴橋>

<さらに奥へ>

<五十鈴川>

<本殿への参道>

<遷宮予定地>

<内宮本殿>

 テレビや雑誌で何度となく見ていた内宮の本殿にお参りして、来た道を戻る頃には空が晴れ渡ってきました。同時に気温もぐんぐんと上昇。朝早かったからよかったけど、真夏の日中に内宮の長い砂利道を歩くとなると少々堪えるかもしれません。それほど内宮は広い。

 帰り道、神の使いであるという白馬が展示(?)されていました。最初は全く身動きをしなかったので剥製かマネキンかと思い、「馬の体調が変わるのでエサを与えないでください」だの「馬の健康のためフラッシュはたかないでください」だの注意書きを見て、内宮もなかなかユーモアあることするねぇと思っていたのですが、カメラを向けたその瞬間、白馬がのそっと動き出したのでした。お前生きてたのか、と。あまりにおとなしくてびっくりした。


<神楽殿>

<神の使いの白馬>

 本格的に暑くなってきたので、クーラーの効いた休憩所へ。無料のお茶を飲みながら、ビデオでやっていた神宮式年遷宮の内容紹介を見て勉強しました。本殿に使用する木を切り出すにも儀式があるそうです。一つ一つの儀式が、はるか昔から受け継がれてきたものだそうで、長い歴史を考えると僕は気が遠くなります。

 内宮を見た後は再び赤福本店前まで戻り、本店前に広がる「おかげ横丁」へ。このおかげ横丁は、赤福が「今まで300年間儲けさせてもらったのも伊勢神宮のお陰」ということで立ち上げた門前町で、ミニテーマパークみたいになっているところです。伊勢名物が食べられる名店から資料館、お土産屋まで多種多様な店が軒を連ねてます。

 さて、時間も9時半を過ぎて、ようやく店が開きはじめました。そしてさっき赤福を食べて朝食としたものの、やっぱり何だか物足りない。ということで、おかげ横丁で買い食いです。まずは明治42年創業、伊勢牛の老舗「豚捨」のコロッケ。1個80円。小さなコロッケですが、味が濃厚でおいしい。これは日中行列ができるのもわかる味です。そしてもう一つ、赤福別館に立ち寄って、この季節にここでしか食べられないという「赤福氷」を。赤福餅も楽しみでしたが、実は赤福氷はもっと楽しみでした。抹茶味のカキ氷の中には、赤福餅の餡と餅が別々になって埋もれています。抹茶のシロップも甘さ控えめでおいしい。歩いて暑くなっていたところにひんやりとするカキ氷は最高ですね。カキ氷なんて久しぶりに食べた。ご馳走様。


<おかげ横丁>

<おかげ横丁2>

<豚捨のコロッケ 80円>

<赤福氷 500円>

 カキ氷を食べ終えた時点で時刻は10時。多くの店が開き始め、参拝客も急に多くなってきました。赤福本店も豚捨も、そしてもちろん内宮も日中は相当混雑するみたいだから、朝早く来ておいてよかった。伊勢神宮の参拝は早朝がお薦めです。ということで、増え続ける観光客を尻目に再びバスに乗り、次は伊勢神宮の博物館である神宮徴古館へ。

 徴古館では伊勢神宮の歴史や祭事、江戸時代の御伊勢参りの様子や宝物などなど、いろいろと学んできました。中でも印象に残ったのは江戸時代の御伊勢参りで、多い時には年間500万人、1日で23万人というときもあったそうです。当時は日本の総人口が1000万から2000万程度、移動手段は徒歩のみ、旅行は自由にできないという制約がある中での1日23万人だから、それがいかに凄いかがわかります。また御伊勢参りには周期があって、60年に一度大ブームになるんだとか。何でなんでしょうね?この辺はよく分かりません。

 もう一つ、徴古館の見ものは宝物で、前回や前々回の遷宮で下げられた数々の宝物が展示されています。遷宮では建物だけでなく、納める宝物の数々も作り直すそうです。前々回の遷宮で下ろされた、昭和26年〜27年にかけて作られた宝物が数多く展示されていましたが、そのいずれもが最近作られたかのような輝きを放っており、とても僕の母と同じ歳月を経ているとは思えません。匠の技に感心しました。

 クーラーの効いた涼しい徴古館を1時間ほど見学して、次に訪れたのは農業館。外宮の豊受大御神が食の神様ということで、農に関する様々な資料が展示されていました・・・が、ここはさっとしか見ることができませんでした。なぜなら腹が痛くなったから。さっきの徴古館で冷えすぎたのかもしれん。毎度のことですが、旅行先で腹が痛くなると困りますね。


<神宮徴古館>

<農業館>

 腹の痛みも治まったところで徴古館・農業館を後にして、再び伊勢市駅へと戻ります。結構距離があるので(4キロくらい)バスに乗りたかったのだけど、ちょうどのタイミングで行かれてしまいました。仕方がないので歩けるところまで歩くことに。しかし昨今の睡眠不足に、昨日ほとんど眠れなかったということが重なり、おまけに暑い中外宮・内宮を歩いた疲労まで重なって、1キロくらい歩いたところでダウンしてしまいました。ちょうど伊勢郵便局とバス停があったので、そこで次のバスを待ってから伊勢市駅へ。無駄な体力は使っちゃいかん。

<伊勢の南 二見浦と鳥羽>

 次の目的地は少し南に下ったところにある二見浦(ふたみのうら)の夫婦岩。伊勢市駅1時5分発の快速みえ3号に乗ると、わずか6分ほどで二見浦駅に到着しました。二見浦駅付近はとてものどかです。


<二見浦駅と快速みえ>

<二見浦駅から望む>

 夫婦岩がある二見興玉神社までは約1.5キロ、歩いて20分の距離。結構あります。次の電車の関係もあるので、やや早足で急ぎました。海岸沿いには歴史ある旅館が並び、合宿に来ていると思われる学生達が大勢泊まっているみたいです。伊勢という場所は、関西の大学生達にとってちょうどいい合宿場所なのかもしれません。

 やがて二見興玉神社に到着。ここの神社も猿田彦大神を祭っているらしく、境内には猿田彦大神の使者であるといわれるカエルの置物がたくさん置かれていました。どこもかしこもエルだらけ。そしてこのカエルの置物の先には夫婦岩。うーん、なかなか迫力があります。それぞれの岩の高さは9mと4mで、この二つの岩に注連縄を張って神社の鳥居に見立てているそうです。ここの神社は交通安全、海上鎮護の神として信仰されているそうですが、夫婦岩という名前から勘違いしたのか、周りにはたくさんのカップルがいました。。恋愛成就じゃないとは思うんだけど。


<二見興玉神社>

<神社内にあるかえるの像>

<夫婦岩>

 もうちょっと潮風に吹かれながら夫婦岩を眺めていたかったのだけど、電車の時間が危ないので急いで二見浦駅へ。また歩いて20分。日が本格的に照りだしてきて、アスファルトの道路を歩くのは暑い。暑さに耐え切れず、この日3本目のペットボトルを飲み始めました。暑い時はこまめに水分を取らないと熱中症になってしまうので気をつけなければ。そして1時6分の快速みえ5号に乗ってさらに南下し、JRの終点鳥羽へ。二見浦から鳥羽まではわずか7分で到着しました。


<終点鳥羽に到着>

<鳥羽駅>

 鳥羽と言えば鳥羽水族館やミキモト真珠館といった真珠島が有名みたいですが、僕は水族館や装飾品には一切興味がありません。さらにこの時期は、名産の牡蠣も食べることができない。となると別に鳥羽に来る意味がなかったんじゃ・・・とも思いましたが、せっかくなので鳥羽の街をぶらぶらと。調べてみると、鳥羽城跡である城山公園からの眺めがいいということなので、そこへ行ってみました。

 鳥羽駅から歩いて10分。城山というだけあって、公園は小高い山の上にあります。暑い中階段を上るのか・・・。元気を出すために階段が何段あるのかを数えながら登ったところ、段数は何とちょうど100段。これは階段を作った人が意図的にそうしたんじゃないだろうか。

 公園には他に誰も観光客がいるわけでもなく、草はボーボーで寂れていましたが、そこから眺める鳥羽の街並みはなかなかのものです。大小様々な島が点々としている景色が美しい。鳥羽城は信長と秀吉のお抱え水軍として活躍した九鬼氏の居城だったそうですが、確かにこうした入り組んだ地形は水軍にぴったりなのでしょう。


<城山公園入り口>

<結構静かな公園内>

<城山公園から鳥羽市街を望む 一応パノラマっぽく。。>

 城山公園から鳥羽の街を一望したら本当にやることがなくなってしまいました。本当なら鳥羽よりさらに南下して、風光明媚な志摩地方を見てみたかったのですが、志摩地方の見所は点々としていて、いろいろと見るにはどうも車が必要そうです。残念ながら僕はまだ免許を持っていません。ということで志摩地方は次回のお楽しみにします。しかし、本当に早く免許を取らないといかんなぁ。

<伊勢うどんとてこね寿し>

 1時52分の快速みえ14号に乗って再び伊勢市へ。2時5分、伊勢市着。時間が遅くなってしまいましたが、昼食です。伊勢に来たからには伊勢名物を食べなければいけません。伊勢の名物といえば赤福の他には伊勢うどんとてこね寿し。ということで、駅近くにあって名店との呼び声が高い 山口屋 へと行ってきました。

 伊勢うどんとてこね寿し、そしてこれまた伊勢名物の「さめのたれ」がセットになった郷土食膳(1200円)を注文。伊勢うどんは噂に聞いていた通り、麺はめちゃくちゃ柔らかく、汁はめちゃくちゃ黒かった。伊勢うどんの由来は、伊勢神宮への大量の参拝客をさばくために、つねに麺をゆで続けていたことだとか。この山口屋でも麺は1時間近くゆでているそうです。汁も本当に真っ黒で、一見すると体に悪そうな塩辛い味を想像してしまいましたが、食べてみると意外とあっさり。そしてコクもある。思ったよりもおいしく食べられました。普通のうどんやでこの麺を出されたら憤慨すること間違いなしですが、伊勢うどんとはこういうものだと思って食べたらなかなかイケる味です。ただ讃岐人が食べたら怒るだろうな。「こんなしまりのないのはうどんじゃない!」とか言って。

 てこね寿しはこの辺りの漁師料理で、鰹の漬けを酢飯に載せたもの。これも甘みがあっておいしかった。さめのたれはサメの干物で、文字通り干物の味がします。日本酒に合いそう。


<郷土食膳>

<混ぜたらこうなる>

 食後は電車の時間まで伊勢市駅の周辺を散策。伊勢市駅周辺にはジャスコ駅前店、三交百貨店という二大デパートがあったそうですが、郊外に大型店舗が出店したせいで今ではそのどちらとも閉店してしまい、空洞化が著しく進んでいるみたいです。事実、駅前一等地にある三交百貨店だったビルは手もつけられず、駅前空洞化の象徴のようになってます。地方都市のご他聞に漏れず、伊勢市も大変だ。


<旧三交デパート>

<ジャスコ駅前店跡地>

 これで伊勢観光は終わり。2時50分発の普通電車に乗って北上し、多気駅まで。本当はもっと北上して県庁所在地の津まで行って、名物のうな丼でも食べようかと思ってたのですが、さすがに睡眠不足でどうしようもならなかったので、体力温存を考えて津はパスすることにしました。津とか桑名とか四日市とか松坂とかいった三重県北部の観光はまたいつか。

 伊勢の最後に、伊勢の町で見つけた赤福の看板や店をいくつか。伊勢や鳥羽には赤福の看板がいたるところにあって、伊勢に対する赤福の影響力の大きさが伺えます。調べてみると、赤福の会長は伊勢商工会議所の会頭を務めていて、商業のみならず政治に対する影響力も大きいそうです。伊勢の街を見ていると、昔は神宮があって赤福がある、という感じだったんだろうけど、今では赤福があって伊勢がある、という感じに見えなくもありません。それは赤福の企業努力の賜物でもあるとは思うけど、それにしても凄い。


<伊勢市駅のベンチ>

<赤福二見浦店>

<鳥羽駅の看板>

<伊勢市駅の看板>

<熊野へ>

 多気駅で紀勢本線に乗り換えて、三重県南部の尾鷲へ。多気駅のホームから見える田んぼがのどかでよかったので、写真を一枚。僕はこういう風景を見るとほっとします。東京のコンクリートジャングルは住むのに疲れるなぁ。


<多気駅からの風景>

 多気から尾鷲まではトコトコと普通電車で1時間半。地元の高校生の他愛もない会話を盗み聞きしながら、車窓に目をやっていました。こういうのは旅情っぽくていいですねぇ。やがて三重県南部に差し掛かると、車窓は徐々に山がちに。そして空は徐々に曇り空になってきました。三重県南部は日本で一番年間降水量が多いところですが、それを証明するかのように厚い雲に覆われていました。


<紀勢本線の車窓その1>

<車窓その2>

 三重県南部の紀勢本線がここまで山の中を走るとは思っていませんでしたが、よく見てみると厚い雲に覆われているのは紀伊山地の山々の頂上で、海側に目をやると結構晴れていたりします。凄い山のパワー。山が相当な量の水蒸気を発しているのでしょう。だから雨が多いというわけか。自然の力というのは凄いものです。

 5時10分、尾鷲駅着。今日はこの旅行の中で唯一ホテルに泊まります。予約していたホテルは尾鷲港の近くにあり、駅から歩いて20分。重い荷物を持っている人間にはこの20分という道のりが堪えます。やっとこさホテルに着いてチェックインし、部屋に荷物を置いてから今夜の夕食を買うために再び外出。ホテルのフロントでスーパーの場所を聞いてみると、何とスーパーは駅周辺にしかないというのでした。また歩くのか・・・。

 結局尾鷲駅の向こう側にあるジャスコに行くことにし、途中にあった尾鷲神社にお参り。尾鷲神宮は伊勢神宮系の神社だそうで、境内にあるクスノキの大樹が三重県の天然記念物に指定されています。確かに大きくて迫力がある。


<尾鷲神社>

<楠の大樹>

 ジャスコに到着し、この辺りでしか食べられないような地元の惣菜を買おうとするも、商品は東京でも食べられそうなものばかり。何だかなぁ。かろうじて刺身のコーナーに尾鷲港でとれたイカの刺身があったのでそれを買い、あとは鶏の炊き込みご飯を買って妥協しました。飲み物は地酒の熊野川を。

 宿に帰ってシャワーを浴び、すっきりしたところで夕食。さっそくイカの刺身をば。・・・が、このイカの刺身がゴムみたいでがっかりしました。おいしいイカっていうのはサクッとした歯ごたえがあって、天然の甘みがあるものなのに、このイカには歯ごたえも甘みもない。噛みすぎて味がなくなったガムみたいな味しかしません。残念だ。鶏の炊き込みご飯は結構おいしかったけど、これは東京でも食べられるしねぇ。


<尾鷲港産のイカの刺身>

<日本酒熊野川>

 食べ終わってベッドに横になっていると、ここ数日の睡眠不足と疲れからかいつの間にか寝てしまっていました。あぁ、久しぶりにゆっくり寝られる。ということでこの日は7時半に就寝。普通だったら寝るのには早い時間だけど、昨日の夜から考えたら長い長い一日だった。明日は当初の予定をやめて、もっと緩くしよう。


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