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東京見聞録  
2007年8月13日() 七日目   <吉野ヶ里遺跡、福岡(箱崎宮、もつ鍋)>


福岡へ>

 昨日の寝つきはよかったものの、当然夜行列車でぐっすり寝られるわけもなく、日が変わる前に目が覚めてしまいました。1時間しか寝られなかった。それでも頑張って寝ようとして、寝たか寝てないかよく分からない状態で迎えた朝5時30分、本州の端にしてわが故郷、下関に到着。ここで機関車の付け替えのため、15分ほど停車します。停車すると同時に、機関車の付け替えを見ようとカメラを持って走り出す鉄オタ達。僕はそこには興味がないので、気分転換も兼ねてホームに降り立ちました。

 ホームではこの時間を利用して駅弁を買う人も。結構な行列をなしてます。朝食は福岡で食べるつもりなのでそれもスルーして、朝焼けを写真に収めました。写真を撮っていると、もうこのままここで電車を降りて、実家に帰ってしまいたい衝動に駆られましたが、ぐっと我慢して再びムーンライト九州の車内へ。


<下関駅とムーンライト九州>

<駅弁を求める人>

 5時46分、下関駅を出発。終点の博多には7時18分に到着。駅のコインロッカーに荷物を預けて、どこか銭湯でもないかと探してみると、駅前のホテルが1時間840円のサウナを提供しているというのでそこへ行ってきました。840円は結構高いけど、ホテルの施設だし、設備もかなりしっかりしていたので仕方がないかと。昨日風呂に入れなかった分、風呂に浸かってさっぱりしてきました。ただ1時間って結構短いですね。ゆっくり湯船に浸かる暇もない。

 さっぱりして、朝食をとるべく天神方面へ。100円バスの範囲ぎりぎりの天神北まで移動し、そこからは歩いて長浜を目指しました。が、予報ハズレの雨が降り出して、折りたたみ傘しか持っていない僕は焦りました。海が近いから風も強く、横から殴りつけてくるような霧雨なので傘の意味がありません。せっかくここまでずっと晴れてたのに、最後に雨に降られるとは。

 雨の中歩いて、長浜にある福岡市鮮魚市場の市場会館へ。長浜ということで24時間営業の長浜ラーメンを食べに行くんじゃないかと思ったアナタ、残念。そう思ったアナタは僕のHPを見過ぎか、僕がいつもラーメンしか食べないと勘違いしているかのどちらかです。確かに長浜ラーメンも捨てがたいですが、最近太り気味なので、朝はもっと健康的な食事をしたいところ。ということで、市場会館の1階にある「おきよ食堂」へ。市場関係者も多く利用するというこのおきよ食堂で、名物のごまやず定食を食べてきました。

 「ごまやず」とは、やずという魚の醤油漬けにゴマがふんだんにかかったもので、ご飯にかけて食べるとこれがまたおいしいんだ。値段も630円と安くて、しかもこの味で煮物もついているときたら、毎朝利用したいくらいです。おいしかった。。


<ごまやず定食>

<ごまやず接写>

 

<吉野ヶ里遺跡>

 食後は天神まで戻り、10時に西鉄福岡駅でyneさんと待ち合わせ。マクドナルドに移動し、遅れてきたDKさんも合流。福岡ではこの二人にお世話になります。福岡市内は何度となく来て見ているので、今回はちょっと郊外まで足を延ばして観光してみるつもりです。事前の案として、僕は柳川・唐津・吉野ヶ里の三案を出していました。その中で検討して、距離も時間もちょうど手頃な吉野ヶ里遺跡を見に行くことに決定。そうと決まれば博多駅まで移動して、鹿児島本線の快速に乗って鳥栖駅へ。

 鳥栖駅では乗り換えの待ち時間が15分ほどあったので、外に出て鳥栖駅を眺めてみました。鳥栖と言えば交通の要所で、さぞかし駅も駅前も立派なのだろうと思っていたら、びっくりするほど静か。県庁所在地クラスの駅を想像していた僕は拍子抜けしてしまいました。まあ都市の規模からしたらこんなものなのかもしれません。


<鳥栖駅>

<駅から見える鳥栖スタジアム>

 鳥栖駅からは長崎本線に乗り換えて3駅先の吉野ヶ里公園駅へ。12時16分、吉野ヶ里公園駅に到着。駅名は「吉野ヶ里公園駅」となっていながら、ここから吉野ヶ里公園までは750mほど歩かなければいけません。遠い!とはいっても一面に田んぼが広がり、遠く福岡の脊振山地が見える風景はなかなかです。のどかだ。


<田んぼと遠く脊振山地>

<マンホールも吉野ヶ里>

 750mを歩いて吉野ヶ里歴史公園の入り口に到着。しかしそこは入り口で、エントランスゲートまではさらに200mくらい歩かなければいけませんでした。ううん、さすがにスケールがでかい。ようやくお土産屋やレストランが入ったエントランスゲートに到着したので、まずは手始めにお土産屋を物色。そしたら、年始に九州歴史博物館と福岡タワーで見た「○○へ行ってきました」のお菓子を発見しました。だから何でそんなネーミングにするのかと。九州ではこういうネーミングがブームなのか?


<吉野ヶ里歴史公園入り口>

<例のお土産>

 昼も過ぎたことだし、公園内を散策する前にまずはレストランで腹ごしらえ。yneさんによると佐賀県ではそうめんが有名だということで、昼食は三人揃ってそうめんセットを注文しました。このそうめんセット、古代米やおかずがつく上に、そうめんお替り自由です。太っ腹な吉野ヶ里公園に感謝。そうめんはyneさんの言うとおり、確かにおいしかった。家で作るそうめんに比べて歯ごたえがしっかりとしています。なんでこんなにしっかりしているのか不思議。


<そうめんセット>

 腹ごしらえを済ませ、いよいよ吉野ヶ里公園の散策へ。今日は暑いこともあって、水に浸したタオルと団扇が無料で配られていたので、ありがたく頂戴し、タオルを首に巻いて出発です。まずはマスコットキャラクターの「ひみか」がお出迎え。ん?ひみか?卑弥呼に微妙に似ているぞ。ここは邪馬台国って証明されたんだっけか・・・??

 ここから先は考古学を専攻するyneさんに解説してもらい、吉野ヶ里の意義や復元のやりすぎな点を聞きながら広い園内を回っていきました。要点をまとめると以下の通り。まず遺構の状態から建物の復元場所は正しいが、復元された建物は本当にそういう形をしていたかどうか不明。次に吉野ヶ里遺跡はここがさも邪馬台国であったかのような復元の仕方をしている。キャラクターのひみかしかり、北内郭の3階で祈祷を行っている女性がまるで卑弥呼の如く書かれていることしかり。ただ歴史的に弥生時代最大の遺構であるそうなので、その価値は計り知れない。

 いろいろ論点はあるみたいですが、考古学素人の僕にとっては結構興味深くて楽しめる場所でした。何かロマンなんですよね、こういうのって。遠い昔に思いを馳せるというか。邪馬台国がどこにあったかは学問的には重要かもしれないけど、僕にはそれよりも、昔実際にここに集落があって、クニをつくって、王がいたということだけで遥かなロマンを感じます。そうか、ここは昔一大勢力地だったのかと。

 散策中に太陽がカンカンに照りだして、暑い中見て回るのは大変でしたが、火起こしの体験ができたり、王の住処の竪穴式住居に入っていったら実際にアルバイトの人が王の格好をして座っていたり、資料館の展示内容もそこそこ充実していたりと、いろいろと勉強になりました。


<マスコットのひみか>

<川を越えて散策開始>

<環濠>

<竪穴式住居>

<見張り台から市を望む>

<ねずみ返し>

<王侯の墓>

<北内郭の主祭殿>

<主祭殿2階では王と諸侯達が集まる>

<3階では祈祷の女性が>

<実際の発掘現場>

<市の様子>

 広い園内で、3時間近くかかってようやく見学終了。今も新しい場所を復元中で、来年あたりには博物館も拡充されてさらに広がるそうなので、また時間を置いて散策しに来たいと思います。そのころには邪馬台国論争に決着が付いていると面白いけど。

 最後に出発地点のシアターで吉野ヶ里遺跡のあらましビデオを見て、パソコンで吉野ヶ里クイズに挑戦してみました。子供向けかと思ってなめてたら、結構難しい問題が出てきて結構戸惑ってしまった。高校の日本史以上のレベルを要求されます。結果は10問中6問。日本史は好きだからもっといける自身があったんだけど、まあこんなものか。


<クイズに挑戦した結果>

<だから邪馬台国なのか?>

 4時59分吉野ヶ里公園駅発の電車の乗り、吉野ヶ里公園にさようなら。

<もつ鍋>

 6時19分に博多の2駅先、箱崎に到着。今日は1月にも訪れた箱崎の串太でもつ鍋を食べようと思ってました。あのもつ鍋の味が忘れられない。ただ晩御飯には少し早く、DKさんも少し用事があって一旦家に帰らなければならないということで、yneさんに筥崎宮案内してもらいました。宇佐神宮、岩清水八幡宮と並び、日本三大八幡の一つにして、備前国一宮。このように筥崎宮は歴史ある神社だということで、いろいろとお願いごとを。


<筥崎宮>

<ホークス選手の絵馬>

 その後、串太へ。先にyneさんと二人で乾杯し、串や軟骨のから揚げなんかをつまみにやっているとDKさんが到着。そして1時間後に長崎からやってきたののも到着。ということで、4人で積もる話なんかはしながらもつ鍋をつつきました。いやーしかし、ここのもつ鍋はうまい。暑い夏なのに鍋っていうのも変だけど、それを通り越してうまい。〆のチャンポンももちろんうまい!でもちょっと茹で過ぎた。。


<もつ鍋>

<〆はチャンポン玉>

 さて、皆で話していたら気持ちよくなってきて、今日はあんまり酒飲まんぞ!と思っていたのに、いつの間にか結構飲んでしまってました。DKさんお薦めのグレープチューハイを飲んでみたけど、これが結構おいしい。もつ鍋だけじゃなくて、グレープチューハイも隠れた名物ですね。その後気分がよくなった僕らは黒霧島のボトルを注文し、それを4人ですべてあけ、さらに追加でもう1本注文し、それもほぼ空けてしまったそうです。そしてその少ないあまりを、たまたま店に来ていたyneさんの後輩にあげたそうです。そうです、となっているのはあまり記憶がないからだということをご承知置きください。

 店を出てからは歩いて近くのDKさんの家へ。そして酒やつまみを買出し、DKさんの家で宴会の続きです。DKさんが働いている地元の某ラジオ局で将来かけてもらうべく、酔った勢いでラジオなんかとってみました。あんまり覚えてないけど、多分内容はめちゃくちゃ。自分でも喋ってて呂律が回ってないの分かったから。やっぱり酔うといけませんね。

 僕はいつの間にかスイッチが切れてしまい、2時ごろ就寝。でもこれもあんまり覚えてない。


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