五箇山・白川郷・飛騨旅行記 1
2012年8月28日()〜29日(水) 0日目・1日目 <東京→高岡、城端(散策)、五箇山(相倉、菅沼)、白川郷、高山泊>


<夜行バスで高岡・城端へ>

 盆も帰省しなかった2012年夏ですが、最後に急遽3日程度の休暇日を設けて、夏の五箇山・白川郷・飛騨へ。白川郷と飛騨高山は2006年2月に学部の友人達と訪れていますが、今回は是非とも夏の白川郷と高山も見てみたい、そして以前行けなかった五箇山の合掌造り集落も見たいと思い、再び飛越地方を訪れることにしました。加えて以前からずっと行ってみたかった水の街、郡上八幡も訪れることにして、高山を拠点にした2泊3日の旅程が決定。2006年のときはあまり綺麗な写真が撮れなかったので、今回はきちんとした写真を撮りまくることも重要な目的です。

 出発は8月28日夜。今回は経費節約のため、往復とも高速バスです。夜9時前に家を出て、まずは30分程かけて出発地の池袋へ。


<久々の池袋駅前>

<サンシャイン60>

 バスの出発まで1時間弱あったので、夕食を取るべく東池袋方面へ。せっかく普段来ない池袋に来たのだから、ここは名店を攻めようと、東池袋大勝軒の本店へ。2005年に移転前の味のある店舗だったとき並んで食べたことはありますが、引っ越してからは初めてです。日中だと会長の山岸さんがマスコットのように店頭に座っているそうですが、さすがに夜だからかいませんでした。まあ、昔は午後の早い時間に店じまいしていたので、新しい店舗で夜まで営業しているのはありがたいことです。

 カウンターに座り、特製もりそばを注文。注文してから結構な早さで出てきました。最近は吉祥寺の大勝軒でよくもりそばを食べているので、それとよく似たものかと思ったら、本店のもりそばは吉祥寺のそれよりももっと甘みが強く、一口食べただけで全然違うものだと分かります。個人的にはやや甘過ぎるような感じもしましたが、許容範囲内です。麺もモチモチ感が強い。以前、古い店舗のときの本店で中華そばを食べたときは「味が無い・・・」と愕然とした記憶がありますが、今の本店の味はしっかりとしていて、一体どっちが正しい本店の姿なのか・・・。


<東池袋大勝軒>

<特製もりそば(700円)>

 大勝軒でもりそばを食べた後、コンビニで寝酒のチューハイと1リットルペットボトルの麦茶を買ってから駅前の高速バス乗り場へ。しばらく待った後、10時50分発の高岡・氷見行きバスに乗車。今回はまず富山県の高岡に向かいます。バスは独立3列で、僕の割り当てられたのは最後列の窓際というベストポジションでした。後ろに気を使わずに思いっきりリクライニングできるし、後ろのスペースに荷物も置ける。最大限にリクライニングすると飛行機のビジネスクラス程度の簡易ベッドにはなるので、思った以上に快適でした。料金が半額の4列のツアーバスにしようか迷ったけれど、3列バスにしてよかった。


<西武バスに乗って高岡へ出発>

<思ったよりも快適だった3列バス>

 途中2か所のサービスエリアでの休憩をはさみ、一路北陸高岡へ。一応寝付きのためにアルコール度数8%の缶チューハイを飲みましたが、逆に目が冴えた上にトイレが近くなり、なかなか寝られませんでした。隣のおばさんがカップホルダーにかけていたビニール袋のクシュクシュという音も気になる。結局寝たか寝てないか分からない状態で、午前5時45分頃に高岡駅前に到着。


<朝6時前に高岡に到着>

<絶賛工事中の高岡駅北口前広場>

 高岡は2006年の年末に訪れて以来約6年振り。高岡駅とその周辺は絶賛改修工事中のようで、当時の面影は全くありませんでした。下に2006年当時の南口の様子を載せていますが、北アルプスをかたどった前衛的なオブジェは見事に撤去され、今風の当たり障りない駅舎に変わってしまっていました。これも北陸新幹線の延伸工事に合わせてのものかもしれませんが、高岡駅には新幹線は来ないからなあ・・・。

 予定していた電車まで1時間ほど時間があったので、新しくなった駅コンコースをうろうろしました。やはり6年前の面影がありません。すっかり今風の綺麗な駅舎になってしまって、「躍進高岡日本一 アルミの産地」という看板もない。北アルプスを眺められるように配慮したのか、駅舎はガラス張りになっていて眺めが以前より良くなっていますが、その分太陽光が直に降り注ぐので、朝でもかなりムシムシします。

 あと、駅構内ではアニメ風キャラクターが「ようこそ高岡へ」とお出迎えしてくれます。最近はアニメで町おこしをする事例も増えているそうですが、高岡は藤子・F・不二雄、氷見は藤子不二雄Aという偉大なる巨匠の出身地なのだから、もっとそちらを押し出してもいいのに。


<新しくなった高岡駅南口>

<Cf.2006年の高岡駅南口>

<新しくなった高岡駅>

<高岡駅改札>

<高岡駅から見る朝の立山連峰>

<高岡もアニメキャラで町興し>

 6時になって南口の今庄が営業を始めたので、朝食を取るべく店内へ。今庄は福井県内で展開している駅そばチェーン店だそうですが、なぜか富山の高岡にもあるようです。僕が最初の客でしたが、その後に地元客がぞろぞろとが入ってきて、朝6時とは思えない賑わいでした。

 ここはうどん・そば各種に加え、「ちゃんぽん」というメニューがあります。これはいわゆる長崎のちゃんぽんではなく、出汁にうどんとそばを半分ずつぶち込むというなかなかの料理でした。当初はうどんオンリーにするつもりだったけれど、ちょっと興味が湧いたので山菜ちゃんぽんを注文。左にそば、右にうどんと、見た目は何だか不思議ですが、そばもうどんも味は安心する駅そばの味でした。ただ勇気がないので、そばはそばで、うどんはうどんで食べてしまい、一緒に食べることは出来ず。一緒に食べたらまた全然違う味わいになるのかもしれないけれど。


<南口前にある今庄>

<山菜ちゃんぽん(370円)>

 食後、城端線の電車まで1時間近くあったので近くの高岡大仏でも見に行こうかと思いましたが、朝から思った以上に蒸し暑くて汗をかくのは勘弁だったので、早目にホームに下りて電車を待つことに。割と早めに電車がやってきたので、乗り込んで席を確保してぼんやりとしていましたが、結果として正解でした。どうやら沿線に高校が多いらしく、出発時間が近づくにつれて大量の高校生が乗り込んできて、電車は朝の山手線みたいな状況になりました。山手線と違うのは平均年齢が低いことです。地方のJRはこうやって成り立っているのだというのが良く分かります。

 大量の高校生を乗せて、7時4分に出発。城端線は砺波平野を走る電車で、車窓には一面の田んぼと散村が広がります。散村は小学校の社会科の授業で習いましたが、それから約20年を経て初めてこの目で散村を見ることができました。なるほど、これが散村か、と。


<城端行き電車に乗車>

<砺波平野と散村>

 途中の駅で高校生たちは降りて行き、8時1分に終点の城端駅に到着。長閑な駅です。


<城端線の終点 城端駅>

<城端駅ホーム>

<巨大な傘>

<4年前にアニメの舞台にもなった>

 五箇山行きバスの時間まで1時間あるので、歩ける範囲で城端の街を散策することに。城端は平成の大合併によって南砺市の一部になっていますが、昔から「越中の小京都」と呼ばれ、古い街並みが有名だそうです。今回は古い街並みまで行く時間がなかったので、一番の目玉スポットである城端別院善徳寺まで行くことにして駅から歩きだしました。

 途中にあったA-COOPの名前は「なんとセフレ」。「なんと」は「南砺」なので分かりますが、「セフレ」とはこれ如何に・・・。敢えてこの店名のまま営業しているのがすごい。


<城端の街並み>

<A-COOP「なんとセフレ」>

 駅から15分程歩いて善徳寺に到着。善徳寺は開基530年の真宗大谷派の寺院で、城端の町のシンボルと言っても過言ではない場所だそうです。朝なので他に参拝客は誰もいませんでしたが、その分静かな雰囲気を堪能できました。朝から太陽が照りつけて気温は30度越えと暑かったので、山門の陰に隠れてしばし休憩。


<善徳寺山門>

<本堂>

<本堂と境内>

<のどかな城端の街>

 しばし休憩した後、再び歩いて城端駅へ。熱中症防止のため、今回は帽子を被っていますが、駅に戻って来た時点で帽子は汗だくになり、汗をぬぐうには小さなハンカチだけではこと足りなくなりました。リュックからタオルを取り出して汗を拭いて何とか落ち着きましたが、使うことはないと思っていた予備用タオルを使うことになるとはおもいませんでした。冬は豪雪地帯になるのに、夏はこんなに暑いとは。

 9時に白川郷行きの路線バスに乗車し、次の目的地の五箇山へ。このバスは高岡と白川郷を結ぶバスで、一日往復4便運転されています。公共交通機関で白川郷と五箇山を観光する場合、この4便を上手い具合に使わなければいけません。城端駅を9時に出るのは第1便。バスは高岡発ですが、城端までは電車より時間がかかる上に運賃も高いので(あと一度城端線に乗っておきたかったので)、今回は城端駅から乗ることにしました。バスは僕のような一人旅の男女を数人乗せて城端駅を出発しました。

<五箇山 相倉集落と菅沼集落といわな料理>

 城端駅を出たバスはうねうねと山道を進み、9時25分に相倉口に到着。五箇山の一つ目の集落である相倉集落はバス停から歩いて10分。


<相倉口バス停付近>

<集落の見学は8時30分以降>

 10分ほど歩いて相倉集落に到着。相倉集落は江戸時代後期から明治期に造られた23棟の合掌造り家屋が点在する、五箇山の比較的小さな集落です。駐車場には大型観光バスが数台停まっていますが、以前行った白川郷と比べると観光客の数は絶対的少なく、全体的に小ぢんまりしっとりとした雰囲気です。

 まず世界遺産の碑を見て、観光バスから降りてきた観光客が集落に入って行ったのが見えたので、人の少なそうな展望ポイントへと行って相倉集落の全景を眺めることに。展望ポイントまでは徒歩5分でしたが、展望であるからして高い場所に登らなければならないわけで、またまたものすごい汗をかいてしまいました。暑い。ただ展望ポイントから眺める集落のが眺めは素晴らしく、相倉集落が山に囲まれていることが良く分かります。よくこんな場所に集落が出来たものだと思います。 


<相倉集落に到着>

<展望ポイントからの眺め>

 展望ポイントから降りた後は、大型バスの観光客も減っていたようなので、集落に入ってぶらぶらと散策。のどかで味のある風景です。

 集落内には市立の民俗館が2館あり、200円で2館に入ることができるということなので休憩を兼ねて入ることに。1号館は旧尾崎家をそのまま使っているということで、一般的な家庭の大きさの合掌造りということだと思います。


<南砺市立相倉民俗館 1号館(旧尾崎家)>

<1号館1階>

<急梯子を使って2階にも登れる>

<五箇山の食>

 2号館は旧中谷家を使用したもので、五箇山発祥の「こきりこ節」の展示が充実しています。こきりこ節は小学校の時に習い、その独特な言い回しと音階のために今でも頭から離れず覚えていますが、五箇山発祥だとは思いませんでした。僕はずっと「こきりこ」のことを特別な服か何かと思っていましたが、実は音を出す竹の楽器のことだったということをここで初めて知りました。いやはや。言い訳をすると、「こきりこの丈は七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ(現代語訳:こきりこの丈は7寸5分だ。長いと袖の邪魔になる)」という歌詞から、丈とか袖とかの邪魔になるとかいう文意から服だと思い込んでいたからです。それがまさか竹の楽器だったとは。約20年振りに正しい知識にアップデートされました。思い込みは怖いもんです。


<こきりこ節のための用具>

<これが「こきりこ」>

 まだバスまで時間があったので、その後も集落をぶらぶらと散策。集落の中にある寺も合掌造りでしたが、神社は一般的な造りでした。


<寺も合掌造り>

<神社は一般的な造りだった>

 あまりに暑かったので、この日3本目のペットボトルを購入し、再び相倉口バス停まで。2便目である11時18分のバスに乗り、15分ほどかけて次の菅沼集落まで。11時33分に菅沼に到着し、歩いてすぐの菅沼集落へと下りていきました。さっきまで晴れていて死ぬほど暑かった気候ですが、いつの間にか曇っていて、若干楽になったのは助かりました。


<バス停菅沼に到着>

<菅沼集落>

 菅沼集落の合掌造りは9棟と、相倉集落よりもさらに小ぢんまりとしている集落で、観光客の数も多くなくひっそりとしています。その分「世間から隔離された集落」として、僻地感の味わいがあります。江戸時代はこの隔絶された立地条件を利用して、五箇山では火薬の原料となる塩硝が作られ特産品となっていたそうです。その塩硝作りの資料館があるということで、入って見物。工程は難しいので詳しい解説は省略しますが、地中に埋めたりなんだりとなかなか手間暇がかかるようです。


<南砺市立塩硝の館>

<入り口にあるリアル人形>

<塩硝造りの道具が展示されている>

<古い一輪車>

 菅沼集落は小さいので、かなりじっくり見学しても1時間で見終わりました。次のバスは午後2時発で、このまま待つとするとさらに1時間半を菅沼集落で過ごさなければなりません。当初は集落内の食事亭で昼食を食べても良いかと思ったけれど、せっかくここまで来たのだからもう少し五箇山の別の場所もみたいということで、今回はタクシーで移動することに。ということで集落散策中に地元のタクシー会社に連絡して、12時40分にバス停まで来てもらうようにお願いしました。タクシーを使うとは、僕も大人になったものです。

 集落から駐車場にはエレベーターが通じており、この辺鄙な集落の一角に近代的なエレベーターがあるのはある種異様な感じがします。これも世界遺産効果でしょうか。とりあえずバス停に戻るついでにエレベーターに乗って駐車場まで行くと、そこは展望所になっており、そこから菅沼集落を眺めました。やはり高い場所から眺めると全体の様子が掴めて良いです。こうやってみると本当に小さな集落であることが分かります。


<展望所より菅沼集落の眺め>

<眺めをアップで>

 12時40分、時間通りにタクシーがやってきたので、白川郷方面に3kmほど行ったところにある「道の駅ささら館」へ。以前だったら3km程度であればタクシーなんかに乗らず歩いたと思いますが、さすがにもうそういう無理はしたくありません。僕も大人になりました。時間にして10分程度、料金は1700円でしたが、時間の有効利用のためのお金を考えれば高くありません。金で買える時間であればガンガン買います。

 なぜタクシーを使ってまで道の駅に来たかと言えば、道の駅にあるいわな専門店でいわな寿司を食べたかったから。ということでその「旬菜工房いわな」へ。いわなの握り寿司といわなの塩焼き、それに五箇山豆腐などがセットになった「いわな寿司膳」を注文しました。いわなの寿司は歯ごたえがしっかりしていて、川魚の臭みがありません。塩焼きも良い焼け具合で、良い具合に身が締まっています。五箇山豆腐は水分が少ないためにかなり固く、これはこれでおいしい。最初は昼なので飲まないつもりでしたが、イワナの塩焼きを見ていたら飲みたくてどうしようもなくなり、五箇山の地酒である三笑楽の蔵出生原酒を追加で注文。昼から飲む酒はたまりません。いやあ、たまらん。


<道の駅ささら館>

<ささら館内にある「五箇山旬菜工房いわな」>

<いわなの寿司膳(2300円)>

<五箇山の地酒・三笑楽の蔵出生原酒(700円)>

 昼食後、バスの時間まで30分程度あったので、道の駅から歩いて5分程度のところにある岩瀬家へ。五箇山・白川郷で最大の合掌造り家屋で、国の重要文化財に指定されています。

 入館料300円を払って入ると、まずは囲炉裏に来てくださいということで囲炉裏へ。こんな平日の昼間に見学するような奇特な人間は僕くらいのようで、他には誰もいません。まずは囲炉裏でこの家の家主が簡単な説明をしてくれます。説明によると、この家は江戸時代、五箇山特産の塩硝を取りまとめて加賀藩に上納する塩硝上煮役の屋敷として建てられたそうで、相倉集落や菅沼集落で見た合掌造り家屋とは規模が違います。一般的に合掌造り家屋は2層構造ですが、この家はまさかの5層構造。最後に「現在は二人で暮らしているので日々の掃除が大変だ」という説明でオチが付き、その後は自由に家屋内を見物しました。バスの時間まであまり時間がなかったのでかけ足になってしまいましたが、さっと見ただけでも本当にかなりの金持ちだったのだろうと思う規模の家です。


<岩瀬家>

<広い居間>

<今も人が暮らす>

<仏間も広い>

<2階からの眺め>

<3階では蚕が飼われていた>

 岩瀬家の目の前のバス停からこの日3便目のバスに乗り、県境を越えて白川郷へ。

<夏の白川郷>

 岩瀬家から約30分、2時半過ぎに白川郷の終点荻町神社前に到着。終点まで乗ったのは僕と一人旅風のお姉さんでしたが、このお姉さんが5000円札しか持っていなかったらしく、バスでは5000円札は両替出来ないのでどうしようかと、下りる段になってかなり困っていました。運転手も崩せるほどの千円札を持っていないらしい。そこですぱくりさんの登場。出かける前にあらかじめ崩しておいたので、お困りのお姉さんに救いの手を差し伸べました(つまり両替してあげた)。・・・まあ、実際は大したことではありませんが、良いことをしたような気がして気分は悪くありません。

 とりあえず白川郷で降りると、五箇山で見たのとは比較にならない人がいます。五箇山から来るとまるで都会に来たような雰囲気です。とりあえず荷物が重いので、高山行きの高速バスが停まるバスターミナルまで移動し、コインロッカーに大きな荷物を預けてから白川郷を散策することに。


<人の多さが桁違いの白川郷>

<であい橋>

 コインロッカーに大きな荷物を預け、ようやく身軽になって白川郷を散策。白川郷には2006年2月に来ていますが、その時は深い雪に覆われていたため、夏の今とは全く様子が違います。まるで全然違う場所に来ているような感覚です。下の写真のように、ある一部分を切り取ると多くの人が想像するような合掌造りの里の風景になりますが、実際は一般民家もぽつぽつあり、かなり俗的な感じもします。お土産屋や飲食店の数も桁違い。これは深い雪に閉ざされた冬には分かりませんでした。ザ・観光地的というアミューズメント性を求めるなら白川郷、ゆったりと散策したいなら五箇山でしょうか。もちろん規模が大きい白川郷が全体としてこれだけ保全されているのは凄いことだと思いますが。


<明善寺>

<和田家>

 今回の旅行の大きな目的の一つは、荻町城跡展望台から白川郷の全貌を眺めることでした。2006年の冬の時は吹雪になってしまってあまり見えなかったので、今回こそはということで汗をかきつつ遊歩道を歩いて展望台へ。さっきまで曇っていた空も、僕が展望台に着く頃には青空が広がるというありがたい状況になりました。晴れ男でよかった。

 展望台から眺める白川郷の景色は圧巻。僕はこれが見たかった。やっぱり五箇山と比べて規模が格段に違います。


<夏の白川郷>

 白川郷では和田家や長瀬家といった家屋が公開されていますが、前回の訪問時に訪れたし、今回はそれよりも規模の大きい岩瀬家を見学したこともあったので、今回は外から眺めるだけにしておきました。上の写真で言えば左前にある、木に囲まれた比較的大きな合掌造り家屋が和田家です。それよりも何よりも、今日は朝から汗をかき過ぎてどうしようもないくらい気持ち悪かったので、展望台から降りたところにある「白川郷の湯」で温泉に入ってさっぱりすることに。白川郷の観光客が多かったので温泉も混んでいるのかと思ったら、最初客は僕一人だけ。後から男性二人組が入って来たけれど、ゆっくりと温泉を堪能できました。


<白川郷の湯>

<最初は自分一人>

 温泉で1時間くらいゆっくりして外に出ると、日も傾いて大分涼しくなっていました。バスの時間もあるので、表通りをぶらぶらしながらバスターミナルへ。


<太陽とひまわり>

<ぐったりひまわり>

 これで夏の五箇山・白川郷の散策は終了。冬と夏両方の合掌造り集落を見ることができたので満足です。5時20分発の高山行き最終高速バスに乗って一路高山へ。

<夏の高山>

 白川郷を出たバスは東海北陸自動車道を通り高山へ。以前来た時は白川郷IC−飛騨清見IC間がまだ開通していなかったので、御母衣湖の周囲の細い道を通るという大回りルートで高山に戻り、2時間くらいかかったと記憶していますが、さすがに高速道路は早いものでわずか40分で高山に着いてしまいました。税金の無駄だとかいらない公共投資とか言われているけれど、こういうとき高速道路はありがたい。逆に言えば高速道路が全線開通してしまったために白川郷や五箇山がもはや秘境ではなくなった結果、俗世間化が一気に進んでしまう恐れはあるので、一長一短ではあります。


<高山に到着>

<久々の高山駅>

 高山駅の目の前にあるワシントンホテルにチェックインし、少し休憩した後で夕食へ。高山と言えば高山ラーメン、飛騨牛、飛騨そばと、A級からB級まで様々揃っています。本来なら郷土料理を出す居酒屋に入っていろいろと飲み食いしたいところですが、今日は昼食でそこそこ奮発したので夜は抑えめに。ただ飛騨牛関連のものは食べたいということで、ホテルの近くにあるカレー屋「弱尊」へ。多分観光客はそんなに行かないだろうなあという店ですが、ここの店の「飛騨牛すじカレー」がものすごく魅力的で美味しそうだったので行ってみました。

 飛騨牛すじカレーは割と甘めのカレーの中に煮込まれた牛すじがゴロゴロと入っており、脇には野菜とフライドポテトが添えられています。この牛すじがカレーと合うと本当においしかった。味が凝縮されています。ルーも最初は甘めかと思ったら、食べ進むにつれてじわじわと辛さが広がってきてちょうど良い感じです。夕食をカレーにしてよかった。


<カレーハウスの弱尊>

<飛騨牛すじカレー(1000円)>

 食後、高山の街を散策。高山も6年前に訪れていますが、街の位置関係をあまり覚えていません。高山は明後日じっくり散策するつもりなので、その予習も兼ねてぶらぶらと街を歩きました。


<鍛冶橋交差点>

<喫茶店バグパイプ>

<宮川>

<中橋と宮川>

 高山の中心的な観光スポットは古い家屋が連なる「さんまち」であり、その中でも特に上三之町の通りは日中は観光客で溢れかえりますが、夜は全ての店が閉まっていて本当に静かです。明かりも申し訳程度にしか灯っていません。それはそれで味があるので、何枚か写真を撮ってきました。上の段の写真は電灯の赤さを重視した写真で、見た目に近い写真です。下のは赤さを排除して露光を長くし、明るめに撮った写真です。写真はいろいろな撮り方ができるものだということが改めて分かりました。

 9時頃ホテルに戻り、持参した仕事にとりかかりつつ12時過ぎに就寝。仕事を片付けなければならないので、今日の夜は酒無しです。腹が減ったら夜食に高山ラーメンでも、と思っていたけれど、カレーが思った以上に腹持ちよかったので、体のことを考えてぐっと我慢です。酒もラーメンも控えるという極めて健康的な夜になりました。


二日目へ→

旅行記トップにモドル