このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東京見聞録  
2006年8月30日(水) 
 <帰国>


帰国>

 9時5分の飛行機に乗るためにはマルコフ邸を6時半には出なければならず、そう考えると下手に寝るよりは起きていたほうがいいのでは?と思い、前夜は半分徹夜。1時間だけ仮眠をとって、6時15分にお世話になったマルコフ邸をあとにしました。

 見送りにもついて来てくれたマルコフと共にタクシーに乗って北京空港へ。初日、空港に着いたときのことを思い出しながら、「たった5日間過ごしただけなのに、臭いにも随分慣れたよなぁ・・・」なんて感慨に耽ろうと思ったのですが、何かそれどころじゃないんですわ。高速に入ってしばらくすると、車がえらく左右に揺れだしたのです。車線もはみだしているみたいだし、おかしいぞと思ってバックミラー越しに運転手を見てみたら、何と半分寝てるの、運転手が。目が一瞬閉じるんだけど、必死こいてまた開ける。その繰り返し。もう本当に驚きましたよ。というか、本気で命の危険を感じました。マルコフは隣で寝てるので起こすのも悪いし、ここは自分で何とかしなければと思い、何度も必死に咳払いをして運転手の気を引いていました。後半は本当に天にもすがる気持ちだった。飛行機事故で死ぬならともかく、タクシーで死にたくはない!・・・僕の祈りが通じたのか、タクシーは何とか無事に北京空港へ到着。そしてマルコフとはここでお別れ。五日間本当にお世話になりました。迷惑かけたりしたけど、またいつかお邪魔します。

 空港には早めについたものの、本当に激混みで、出国手続きなんかは40分も並ばされる始末。おまけにノースウエストは検査が厳しいから、それにも時間がかかって、出発ロビーに着いたのは搭乗手続きが始まる10分前でした。北京に行く際は早めの手続きをお勧めします。

 余談ですが、出発ロビーで中国で初めて自動販売機を見ました。北京の街中には自動販売機なんてものはないのです。飲み物が欲しくなったら、露天で買わないといけません。これは一番のカルチャーショックだった。

 飛行機に乗り込んだものの、飛行機の出発待ちの影響で離陸したのは定刻より55分も遅れた10時。上空はいい天気で、飛行機って普通はこんなに揺れないもんなんだ、と初めて知りました。意思に反して結構飛行機には乗ってるつもりなんだけど、いつも天気悪いからなぁ・・・。ただ成田周辺は曇り空で、着陸態勢に入ろうと高度を下げているときには何度も無重力を体験しました。子供が多かったからギャーギャー騒ぎ出し、泣き出す子までいる始末。おれだって恐いんだから、そりゃ恐かろうよねぇ。


<ノースウエストの機内食:チキン>

<琵琶湖がきれいに見えました>

 日本時間で午後2時。無事に成田空港に到着。成田空港のイミグレーションは激空き(って言葉あるんかな?)、誰も並んでいませんでした。時間帯がちょうどよかったんでしょう。手早く帰国手続きをして、行きと同じ電車に乗って駒場へ帰ってきました。

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 初めての中国。北京在住のマルコフ教祖のお陰で楽しい旅行になりました。しかし北京があそこまで臭う街だとは思わなかった。今回の感想は「臭い(「くさい」じゃなくて「におい」)につきます。そして日本の常識が中国では全く通じないことも分かりました。「郷に入れば郷に従え」でないと、生活していけません。

 とマイナスのことしか言っていないような気もしますが、よかった面を言うと、やっぱり食事がおいしかった。あとは中国ならではの豪快さというものを感じることができました。今度行く時は頤和園や円明園といった庭園を訪れて中国的な美を感じたり、盧溝橋や周口店に行って歴史を感じたりしてみたいと思います。

 ちなみにこの旅行で使った大体の金額は・・・
 ・航空費(成田北京往復)・・・70000円
 ・航空費を除く現地での観光費用・・・23000円

 物価が安いのもさることながら、宿泊費が0だったことが大きいでしょう。マルコフ教祖には大感謝。


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