このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東京見聞録  
2007年2月24日() 一日目  <長野(善光寺、川中島古戦場跡)、松本(松本城、開智学校、蔵の街並み)>


新幹線で長野へ>

 JR東日本が発売している割引切符の中に、 「土日きっぷ」 というものがあります。これは連続する土・日に、北東北3県を除くJR東日本管内の新幹線・特急の普通車自由席が乗り放題になり、指定席も4回まで取れるというものです。値段は大人1人18000円。新幹線や特急が乗り放題なので、使い方によってはかなり得ができる切符です。僕がこの切符の存在を知ったのはつい最近でした。今までお得な切符といえば「青春18切符」しか知らず、毎回鈍行でとことこ旅行していたので、何でもっと早く土日きっぷの存在に気が付かなかったのかと後悔しきりでした。

 そんなわけで、今回はこの土日きっぷを利用して、今までずっと行ってみたかった場所へ行こうと思い立ちました。目的地は1日目が長野・松本、2日目が喜多方・会津若松。これらは18切符で行ってじっくり観光しようとすると、どうしても泊まらなければならず、ずっと二の足を踏んでいた場所でした。それが新幹線や特急を使うと日帰りで行けます。特に新幹線は偉大です。

 前日の金曜日、渋谷のみどりの窓口で土日きっぷを購入。ついでに指定席も予約。ところが指定席は結構混雑しました。特に土曜朝の東京発と日曜夜の東京行きは既にほぼ満席。スキーシーズンだからかねぇ。明日の長野行きは何とか最後の一席が空いていたらしく、ギリギリセーフでした。朝から座れる保障もない自由席の移動なんて嫌だからな。僕は東海道・山陽新幹線にはもう何回も乗っているけど、東京から北へ向かう東北・新潟・長野新幹線には乗ったことがありません。だから知らない新幹線に乗るのがちょっと楽しみでした。


<揃ったきっぷ達>

 明けて土曜日。4時半に起きて渋谷駅に向かい、5時半の山手線に乗って東京駅へ。新幹線は6時40分だというのに、6時過ぎに着いてしまいました。余裕を持ちすぎたかな。しかしまだ朝早いというのに、東京駅の新幹線乗り場は混雑していました。ほとんどの人がスキーやスノボの道具を持っていたから、みんな滑りに行くのかな?サラリーマンが多い東海道新幹線の乗り場とはちょっと雰囲気が違います。朝からキャッキャキャッキャしてる。


<6時40分のほうに乗ります>

<長野新幹線「あさま」>

 さて、6時40分発の新幹線あさまは既にホームに入っていたので、暖かいお茶を買って早めに乗車。席について驚いたのは、各席毎に備え付けの雑誌があることでした。東海道新幹線はグリーン車だけに「WEDGE」が置いてあって、普通車には何もないというのに。(そしてWEDGEは思想的に結構片寄っているというのに。)JR東日本の新幹線は飛行機みたいですね。

 6時40分、定刻通り出発。新幹線はあっという間に上野・大宮・高崎へ。高崎までは57分。何と1時間切ってます。速いねぇ。つい4日前に高崎に行ったけど、在来線にしてはそれなりに速い湘南新宿ラインでも2時間かかったというのに。改めて新幹線は偉大だと感じます。

 高崎を過ぎると次第に山がちになり、軽井沢・佐久平・上田に停車。軽井沢はいい天気で、あんまり雪が積もっていません。しかしスキーをしに行くと思われる人々がたくさん降りていきました。果たして彼らはちゃんとスキーできるのか?まあ観光する身にとっては晴れていてくれたほうが助かるので問題ありません。が、軽井沢であれだけよかった天気は、上田を過ぎたあたりから徐々におかしくなり、長野に到着する頃には完全に雪模様になりました。ちょっと待て、天気予報では長野は晴れって言ってたぞ??年が明けてから初めて見る雪だけど、よりによってこんなところで遭遇しなくてもいいのに。。


<軽井沢駅>

<長野駅付近>

 8時29分、長野駅に到着しました。東京からわずか1時間50分です。新幹線だと長野ってこんなに近かったのか・・・。もう一度改めて言おう。新幹線は偉大だ。

 長野に来たのは9年振りです。実は高校の修学旅行が長野だったのです。と言っても3泊4日志賀高原でスキーだったので、長野駅は電車の乗り換え程度でしか利用していません。修学旅行は高校2年のことだから1997年の12月。このときの長野はオリンピック開催前で異様に盛り上がっていた記憶があります。長野新幹線が出来たのも確かこの年だったはず。新幹線開業とオリンピック開催に合わせて駅舎も改築されたらしく、当時の長野駅は本当にきれいでした。あれから9年。さすがに少しは色褪せてたけど、修学旅行のときに電車の出発まで並んで待った広場はあるかな・・・?おぉ、あったあった。広場は長野オリンピックのマークが掲げられているところまで当時のままでした。というか、まだシンボルマーク掲げてたのね。


<ようこそ信州へ>

<長野駅の広場>

 余談ですが、高校の修学旅行は何でわざわざ長野までスキーをしに来たんでしょうか?スキーするなら近くの山陰とかでもよかったはずなのに、それをわざわざ新幹線+特急を乗り継いで長野まで来て、そこからバスで志賀高原なんて。移動だけで8時間もかかって、一日まるまる潰れたぞ。

<長野の街 善光寺と川中島古戦場跡>

 長野駅前からバスに乗って善光寺へ。長野駅前から善光寺までは10分で100円。安い!しかし、長野は寒い。。雪が横から殴りかかってきます。晴れると思っていたので傘をもっておらず、頭や服に付いた雪を振り払うのが大変でした。善光寺の参道に100円という激安のビニール傘を売っていたけど、きっとこれから晴れるだろうと天気予報を信じていたので、買うのを我慢。まだまだいける。

 身を震わせながら参道を歩いていくと、工事中の三門が見えてきました。これだけ大掛かりな改修工事をしているのは、今年が善光寺本堂再建からちょうど300年を迎えるからみたいです。そして工事中の三門をくぐると、その本堂が見えてきました。あぁ、これが「牛に引かれて善光寺参り」の善光寺か。なるほど、大きくて立派です。横から見ると奥行きがすごくあります。雪が降っているのもまたいい。


<三門(重要文化財)は工事中>

<善光寺本堂(国宝)>

<本堂から雪の降る庭を>

<本堂を横から>

 本堂の中を見学するには料金が必要だったので500円の料金を払って中へ。外から見ても大きさはわかりますが、実際に本堂の中に入るとその大きさが際立ちます。広い本堂に仏像が安置されていると威圧感も若干増す気がしなくもありません。善光寺のご本尊は日本最古の仏像で、絶対の秘仏となっているそうですね。

 その後「戒壇めぐり」というものを体験してみました。パンフレットから引用すると、戒壇めぐりとは「ご本尊の安置される瑠璃壇下の真っ暗な回廊を通り、中程に懸かる極楽の錠前を探り当てて、秘仏のご本尊と結縁する道場です。右手で腰の高さの壁を伝ってお進みください。」ということだそうで、実際階段を下りて戒壇に入ると(シャレじゃないよ)、本当に真っ暗で何も見えません。こんな暗闇は生まれて初めての経験かも。ただ暗闇で目が見えないことで、他の感覚が研ぎ澄まされます。心も多分研ぎ澄まされるはず。お陰で神聖な気持ちで戒壇めぐりをできることになりました。

 ・・・と本来ならこう書きたかったんだけど、残念ながらそうも書けません。というのも、僕の少し後ろを歩いていた夫婦の女の方がよくしゃべってうるさいうるさい。年の頃40代くらいと思うけど、何も見えない恐怖心なのからか、必死にダンナに話しかけています。「これ、危ないね!」「いや、これ本当に大丈夫なん?」「手はどこに置けばいいんだっけ?」「いやちょっと、右に曲がっているよ!」と、とにかくうるさい。多分彼女は自分が恐いのを必死に隠しているんでしょうが、バレバレです。もうちょっと若かったら、「必死に隠そうとしているところが可愛いね」なんてことも言えるけど、おばさんなのでうるさい。彼女のお陰で僕の神聖な気持ちに雑音が入ってしまいました。ほんとにもう。。ちなみに錠前は無事に触ることができました。

 本堂のあとは資料館に行って見物。朝早いにもかかわらず、本堂のほうには結構人がいたけど(外国人が多かった!)、資料館には誰も人がいませんでした。ここでまずは係りの人が「ビデオがありますんで是非見てください。30分くらいです」と言いながら準備してくれたので、見ないわけにもいかず、寄進されたという50インチのプラズマテレビで善光寺の紹介ビデオを見ました。7年に1度の前立本尊(秘仏の本尊の代わり)が開帳されるときの様子が主で、他にも善光寺は無宗派であるとか、善光寺の朝は早いとか、そんな話。次のご開帳は2010年なので、時間を作って是非行ってみたいです。ビデオは思ったよりも勉強になりました。

 結局資料館は最初から最後まで僕一人で、次は経蔵を見学。ここには「輪蔵」というこまのような形をした大きな書庫があり、これを回すことで一切経という仏教経典の全てを網羅したものを読んだのと同じ徳が得られるそうです。僕は別に回すつもりなかったんだけど、中に入ったら受付のお姉さんが「ここからこう回してください」と、さも回すのが当たり前のような口調で言ってきたので、回さざるを得なくなりました。輪蔵って結構大きいから、一人で回すのは大変で力がいります。特に最初の動き出すまでが大変。静止摩擦係数がかなり高い。まあ、これで徳を得られたかな。


<ビデオを見る>

<経蔵>

 その後は長野オリンピックでも開会を告げる役割を果たした鐘楼を見学。ちょうど10時だったので、お坊さんが鐘を撞いていました。いい音ですねぇ。10時を過ぎると少し晴れたけど、雪は降り続けるまま。。


<鐘楼>

<少し晴れた>

 善光寺をお参りして、ちょっと早いけど昼食に。長野と言ったら何と言っても「信州そば」です。これを食べなければいけません。今回の旅行、結構突発的に決まったので、観光場所の下調べはあまりできてませんが、食べることだけは後悔したくなかったので、食事場所は入念に調べておきました。そして調べた結果が門前にある 「藤木庵」 という店。ここで名物の「ごくらくそば」を注文。くるみ汁ととろろ汁で蕎麦を味わうというものです。蕎麦は10割蕎麦と二八蕎麦が選べるということだったので、ちょっと値段は高いけど10割蕎麦を。お値段しめて1250円。


<ごくらくそば二段>

<蕎麦湯で暖まる>

 まず最初に汁につけずに蕎麦だけ食べてみました。そしたらこれがうまいの何の。噛めば噛むほど蕎麦の香りが出てきて、そばってこういう味がするのかーと感動しました。今まで食べてきた蕎麦は一体何だったのかと思うほどおいしかった。もちろんくるみやとろろにつけて食べた蕎麦もおいしかったんだけど、最初の何もつけない蕎麦の印象が強烈すぎ。くるみ汁はくるみの味に蕎麦負けてしまう気もしたけど、それはそれでおいしい。あと驚くべきは蕎麦湯で、ものすごくとろとろの濃いのが出てきました。蕎麦湯だけで飲んでもおいしいから、初めて出された蕎麦湯を全部飲みきってしまった程です。いやー、いい店発見。

 蕎麦を食べた後はバスで長野駅に戻って、今度は違うバスに乗って川中島古戦場跡へ。の前に、あまりに雪がひどいので、耐えかねてコンビニで300円のビニール傘を買ってしまいました。古戦場行きのバスを待っているときも寒いったらありゃしない。

 バスに乗って20分くらいで古戦場跡に到着。古戦場跡なので大したものはありませんが、武田信玄と上杉謙信の有名な像はありました。武田信玄が軍配で防いだっていうあれね。あとは神社があったり往時の土塁が残っていたり。ここは武田軍の本拠地があったところのようです。


<武田信玄と上杉謙信>

<土塁の跡が残る>

 ちなみに「敵に塩を送る」という言葉は川中島の戦いが大元になっているそうです。武田軍の武将が戦いで亡くなった武士を武田軍上杉軍関係無しに厚く葬り、それを聞いた上杉謙信はいたく感動したそうです。そして後日、武田信玄が治める甲斐の国が食糧難になったとき、上杉謙信は「信玄と争うのは鉄砲や刀であり、塩や食物で争うのではない」と、大量の塩を武田信玄に送ったそうです。そこから「敵に塩を送る」という言葉が生まれたと。美談だねぇ。でもどうやらこの説にも反対意見があるそうなので、真相はよく分かりません。

 他には特に見るべきものも他になかったので、30分程度で再びバスに乗って長野駅へ。駅1階にある「おやき工房」でおやきを3つ買った後、長野駅に12時50分発の特急「しなの」に乗って、次の目的地である松本に向かいます。「しなの」と言えば高校の修学旅行のときに名古屋−長野間で乗った電車です。懐かしい。

 自由席の禁煙車は既に席が満員だったので、仕方なく空いていた喫煙者へ。まあ松本まで1時間弱だから大丈夫だろうと思ったら、どうやら僕と同じような理由で喫煙者に移動してきた人が多くて、結局誰も煙草を吸う人がいませんでした。JR東日本は3月18日から新幹線・特急を全席禁煙にするそうですが、こういう状況を見ればそれも仕方がないかもしれませんね。


<特急しなの>

<おやき>

 しなの乗って、早速買ったおやきを食べてみました。うーん、何というか冷たくてあんまりおいしくない。やっぱりおやきは焼き立てを食べないといけなかったかな。とりあえず3種類の中で一番おいしかったのは、高菜のおやきでした。

 長野を出てすぐの頃は相変わらず天気も悪かったのですが、途中でこれは晴れていたらいい景色だろうなぁという場所を通りました。眼下に街が広がっている風景です。とりあえず写真を撮ってみたけど、後で帰ってから調べてみたら、何とここは日本三大車窓の一つであることが分かりました。「姥捨駅付近から見る善光寺平の風景」。偶然にも僕が撮った写真と同じ場所から撮った写真が説明に使われていてびっくり。天気がよかったらよかったんだけど。


<日本三大車窓の一つ 善光寺平の風景>

 その後はうつらうつらし、1時40分、松本着。松本は晴れてる!

 

<松本 松本城と開智学校>

 松本駅に降り立つと、女性の間延びした声で「まつもと〜まつもと〜ご乗車お疲れ様でした」というアナウンスが流れます。いつも思うけど、この抑揚のないアナウンスはどうにはならないものなのか。松本に降りた瞬間からいつも気が抜けてしまいます。

 僕が松本に降り立つのは今回が3回目です。過去2回は18切符を使った帰省の乗り継ぎのためで、松本では毎回1時間程度の時間がありました。なので松本城なんかには行ったことはないけど、駅前をぶらぶらすることは多く、駅や駅前のことは何故かよく知っています。が、いつの間にか駅は近代的に改修されていて、昔の面影は全くありませんでした。最近至るところで駅の改修が進んでいるけど、何だか思い出を奪われていくようで寂しいねぇ。

 松本駅からは少し距離があるけど、天気もいいので20分くらい歩いて松本城へ。


<松本城>

 松本城は国宝に指定されているだけあって、その姿はさすがに雄大でした。黒塗りの壁と赤い橋のコントラストがいいね。土曜日の午後ということもあって、城に入るには少し並ばなければならず、ちょっと面倒だっだけれども。

 中に入るとさすがに昔の趣を残していて、復元された城の内部とは訳が違いました。エレベーターもエスカレーターもない。ハイテクな機会もない。逆に昔のままなので階段が急で、手すりを使わなければ非常に危険です。一番急で危ないと思われる階段には、係りの人がずっとつきっきりでした。おばさんなんかはひーひー言いながら上がってた。おばさんって階段の上り下りするときもぺちゃくちゃ喋ってうるさいんですねぇ。


<昔の柱が残る>

<一階>

 天守閣最上階に着くと、そこからは松本市街と南アルプスが一望できます。残念ながら南アルプスは雲で見えなかったけど、山に囲まれた松本の街の雰囲気はとてもいい。


<松本市街>

<山々>

 松本城から少し歩いて、日本最古の小学校である開智学校へ。外から見るだけなのかと思ったら、中は展示館のようになっていて、明治当時の小学校の様子が再現されていました。下の教室の写真の黒板に何か書かれているのがわかるかと思いますが、書かれているのは金子みすずの「積もった雪」でした。(「上の雪 さむかろな つめたい月がさしていて」ってやつ)。僕は金子みすずの詩が暗いからあんまり好きじゃないことはどうでもいいとして、金子みすずって大正の人間じゃなかったっけ?とするとこの教室は昭和初期の様子を再現したものなのかな?

 開智学校の内部は他にも講堂や天皇がお越しになった部屋が残されていて、その他にも当時使われていた教科書や写真などなど、展示物が満載でした。昔は小さい黒板とチョークをノート・鉛筆代わりに使っていたんですね。あまり昔の小学校のことを知らないから、思いがけず結構面白かった。ちなみ歴代小学校の教科書も展示されていて、僕が小学校1年生の時(1987年当時)に使っていた光村書店の国語の教科書も展示されていました。右下の写真がそれです。「あかるい おひさま あいうえお」「さよなら さよなら またあした」とか。懐かしいねぇ。もう20年も前のことになるのか・・・。


<開智学校>

<廊下>

<教室>

<講堂>

<明治天皇が来た部屋>

<さよならさよなら またあした>

 その後市街地のほうに戻って、「なわて通り商店街」へ。ここは7割観光客向け、3割地元向けの商店街で、かえるをマスコットとして全面的に押し出していました。昔はなわて通りの側を流れる川にかえるがたくさんいたけど、最近は減ってしまい、川をきれいにすると同時に商店街を活性化させようとして、かえるがマスコットになっているそうです。商店街の景観が統一されていて、散策し甲斐があります。商店街の団結力の強さがわかりました。


<かえるの像>

<なわて通り>

<かえるが寝ている>

<街を流れる川>

 その後は近くにある蔵の街並みを散策。本当に蔵がずっと続いています。この統一感はすごい。


<蔵の街並み>

<蔵の街並み2>

 とりあえず見ようと思っていたところは一通り見終わったのが4時。夕食をとろうと思っていた店は5時開店なので、1時間ほどできた時間で適当に街歩きします。実は僕はこの「特に観光地でもない街中をぶらぶらする」のが好きです。もしかすると観光地に行くよりも好きかもしれません。その地域の「表の顔」である観光地とは別の、「裏の顔」である普通の生活を見ることができるから。住んでいる人たちにとっては普通の生活が表の顔なんだけど、観光客にとっては時間がないとどうしても覗けない場所でもあります。最近では普通の生活を少し覗き見ると、その街が元気かどうかなんとなくわかるような気がしてきました。

 ということで、地図を無視して適当に住宅地や商業地をぶらぶら。まだ観光地化されてはないけど、大正浪漫溢れる建築物が並ぶ通りがあったり、一歩路地を入ると本当に生活臭漂う場所だったり、川をぼーっと眺めてみたりと、歩き回っても飽きませんでした。松本は夜になろうとしていても結構人が歩いていて、元気な街に見えます。山に囲まれて川があって、昔ながらの街並みがあって綺麗に整備された繁華街もある。とても落ち着いた感じのいい街でした。僕は旅行しても「ここに住んでもいい」と思えるような街に出会うことはあまりないですが、松本だったら1年くらい住んでもいいかも、と思います。ゆったりしていて、それでいて街が死んでいない。個人的にはそれほどいい街でした。いざ東京に出ようとしても、特急で2時間半だしね。将来の居住先候補に入れておこう。

 5時になったのでちょっと早いけど夕食。味噌田楽の木曽屋へ。明治20年創業の老舗だそうで、店の中もレトロな雰囲気で一杯です。開店と同時に入ったので、客はまだ僕一人。

 今日は朝からずっと寒かったけど、せっかく旅行に来ているのでビールを一本頼みました。最近一人でこういう店に入っても、ビールを頼むことに抵抗がなくなっています。前だったら絶対そんなことしなかったのに。おっさん化してるのか?あとは名物の味噌田楽850円。まずビールとお通しの蕨のおひたしがやってきました。蕨のおひたしなんて食べるの初めてだったけど、意外とおいしかった。ビールが進みます。そして主役の味噌田楽定食。豆腐がしっかりとしていて、それでいて味噌が甘くておいしい。日本酒の熱燗なんかあったら最高だろうな・・・と思ったけど、さすがにこれ以上注文すると高くなるのでやめました。でも酒がなくてもおいしかった。ご飯がしそご飯なのもポイント。最近こういう素朴な食べ物がおいしく感じられるようになってきました。


<お通しの蕨のおひたし>

<味噌田楽定食>

 夕食後は日が暮れてきた松本の街を歩きながら松本駅へ。夕暮れの松本の街もまたよいです。


<時計のビル>

<松本駅前>

 今日の帰りは松本を6時35分に出発する「スーパーあずさ」の指定席です。いつも18切符で移動していると、途中であずさに抜かれることがしばしばだったので、いつか乗ってみたいなぁと思っていたのでした。こういう機会でもないと乗ることもないからね。


<特急あずさ>

<今日はガラガラ>

 6時35分に松本を出発して、新宿到着は9時6分。疲れからか、途中の大月くらいまではずっと寝てしまってました。乗車率が低くて、隣の席がずっと空いていたのがよかった。スーパーあずさは八王子出ると終点の新宿まで止まらないので、立川や三鷹、中野なんかを通過すると、何故か変な優越感を覚えます。

 新宿に着いたあとはそのまま家に帰って、明日も早いので日が変わる前に就寝。土日きっぷだと宿泊しなくていいのが助かります。


二日目へ→

旅行記トップにモドル

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください